豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

佐古純一郎「家からの解放」

2024年11月18日 | 本と雑誌
 
 佐古純一郎「家からの解放ーー近代日本文学にあらわれた家と人間」(春秋社、1959年)を再読した。巻末の白ページに「1990年5月14日」という日付けが書いてあり、「本が有利に買える店 八木書店 400円」と印刷されたレシートが挟んであった。
 
 日本の近代文学作品の中から、「家」制度の桎梏に悩み「家」からの自己の解放を目ざしてもがき苦しんだ人びとを描いた作品を取りあげて、明治民法下の「家」制度の実情を紹介し、「家」からの解放に向けた各作者の態度を批判的に論ずる。わが国で個人の個性が本当に尊重されるようになるためには、「家」からの解放が必須であったと著者はいう。
 取り上げられた作品は以下のような諸作である。
 第Ⅰ章 徳富蘆花「不如帰」(明治32年)、樋口一葉「十三夜」(明治28年)、島崎藤村「家」(明治43年)、夏目漱石「道草」(大正4年)、正宗白鳥「何処へ」(明治41年)、菊池寛「父帰る」(大正6年)、山代巴「荷車の歌」、高村光太郎「暗愚小伝」、志賀直哉「和解」
 第Ⅱ章 高村光太郎「道程」、太宰治「ヴィヨンの妻」(昭和22年)
 第Ⅲ章 白樺派、「暗夜行路」(前編=大正10年、後篇=昭和12年)

 志賀直哉と小林多喜二の交流はこの本にも出ていた(191頁)。白樺派の作家、作品に対する著者の評価は厳しい印象がした。とくに志賀「暗夜行路」には手厳しい。執筆の動機が弱く(志賀の母親の死に際して父が平然としているのに祖父が強く嘆いたことから、志賀は祖父と母との関係を勘ぐったという)、時任謙作がしばらく旅に出れば苦悩から解放されてしまうのも安易であると非難する。
 著者は「暗夜行路」を通俗小説と評しているが、むしろそういう側面があるから小津が「風の中の雌鶏」の参考にできたのだろう。時任謙作の回復力の早さ、容易さを考えれば、「風の中の雌鶏」のラストで、佐野周二が「明日からまたやり直そう」といって田中絹代を抱きしめるのも額面通りに受け取っていいのではないか。與那覇潤が黒澤清を援用して主張したように、あの場面は幽霊たちの抱擁だったとまで見ることもない。
 白樺派の作家たちの「善意」には厳しいのに対して、太宰「ヴィヨンの妻」の「義」を重んじようとする記述を評価するなど、かえってデカダン派の堕落には寛容であるように読めた。太宰の甲府時代の作品はぼくも好きで、とくに「新樹の言葉」はぼくが中学受験期の息子たちに奨めた本の中でベストワンだった。教科書で読んだ「富岳百景」も甲府時代だろうか。「富士山には月見草がよく似合う」よりも、「井伏先生は放屁された」という一文が忘れられない。
 高村光雲が光太郎に対してそんなに厳しい父親だったとは知らなかったが、彼の木彫の猿の表情などを思い起こすと(あれは光雲の作品だっただろうか)、光雲の厳しさも分からなくはない気がする。島崎藤村の苦悩も山田和夫「家という病巣」の読者としては素直になれないし、紀田順一郎「日記の虚実」で「一葉日記」に書かれなかった(削除された?)彼女のパトロンとの関係などを知った後では、一葉の経済的困窮もやや減殺されてしまう。
 引用された作品の中では山代巴「荷車の歌」が一番読んでみたくなった。映画化もされていいるようである。

 この本は家族法の講義の際に、明治民法の「家」制度の下での家族生活の実情を紹介する場面で時おり利用させてもらった。もっとも、ぼく自身が現物を読んだことがあるのは菊池寛の「父帰る」だけで、他の作品は昭和25年生まれのぼくにとっても「古くさい」ものだったから、昭和50年代以降に生まれた若い学生たちが旧民法の「家」制度を理解するうえで参考になったかは分からない。多分ならなかっただろう。
 ただし、先日の家族法学会でも「寄与分」(年老いた老親を長女が一人で世話したにもかかわらず、老親が亡くなったら他の子どもたちが出てきて均分(平等)相続を主張するのは不公平であるというような問題)がテーマになっていたから、身の回りでお祖父さんやお祖母さんの世話をめぐって、親が兄妹(=学生にとっては伯父叔母)ともめているのを経験した学生などには分かっただろう。
 今朝のNHKテレビ「朝いち」(?)でも相続問題を特集していたが、21世紀の25年が過ぎようという現在でも、亡くなった親の財産を兄(長男)が単独で相続すると主張して譲らないので困っているという妹からの投書が取り上げられていたから、戦後の新民法から80年経っても「家」意識をもち続ける人間もいるようである。

 白樺派の作家の中で、武者小路実篤も取り上げられていたが、久しぶりに武者小路の名前に接して、祖父母の家の食堂と台所の間に、野菜の水彩画に「仲良きことは美しき哉」という言葉が添えられた武者小路の暖簾がかっていたことを思い出した。
 ぼくは「暗夜行路」は読み通せなかったが、「小僧の神様」は好かったし、有島武郎「一房の葡萄」も好かった。白樺派の善意では真の人間解放はできないとしても、中学生がこれらの小説を読んで温かい気持になれたのは事実である。所詮小説によって人間が解放されることはない。「家」からの個人の解放は、何といっても戦後の新憲法制定と民法改正のおかげである、とぼくは思う。

 2024年11月18日 記

         

 ※ 武者小路の暖簾を思い出したので、物置を探して、武者小路実篤「友情」(新潮文庫、昭和22年、同44年63刷!)を見つけた。武者小路の本で読んだのはこの1冊だけのようだ。表紙が祖母の台所の暖簾と同じ画調なので入れておいた(上の写真)。
 「自分は恋する女のために卑しい真似はしたくない。自分を益々立派にしたく思うだけだ。・・・自分の真価を知ってくれて、それでも来る気が出ない女、そんな女に用はない。・・・正直な男という誇りを失ってまで、女を獲ようとすることは彼にはあまりに恥ずかしいことだ」(46頁)とか、「あの人はまだ誰も愛しようとはしていないよ。・・・しかし今が一番大事な、危険な時だと思うね。・・・もう男に愛されるように用意されている。誰か一人を愛し、たよりたがっている。しかし処女の本能でそれを今用心深く吟味している。まだ意識はしていないだろうが」(60頁)などという文章に鉛筆で傍線などが引いてある(他にも数か所傍線が引いてあったが、今では書き写すほどの文章には思えない)。
 19歳、浪人か大学1年の頃に読んだのだろうが、何を考えていたのか、そして、誰のことを考えていたのか。 (2024年11月22日 追記)

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