豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小津安二郎『秋刀魚の味』--2023年最後の映画

2023年12月27日 | 映画
 
 きのう12月26日(火)午後1時から、“ NHK-BS シネマ ”で、小津安二郎の『秋刀魚の味』を見た。
 先週の同じ時間帯に「お早よう」を見た時に次週予告があったので、忘れないで見た。
 「デジタル修復版 <スタンダード・サイズ>」と画面表示にあった。画面のタテ・ヨコ比を修正する方法が分からないので、そのまま見たが、少しタテ長で、笠智衆や佐田啓二の顔や足が長すぎるような気がするのだが(下の写真)。
 「秋刀魚の味」はこれまでに4、5回見ただろうか。ぼくは同じ映画を2度見ることはほとんどないのだが、「秋刀魚の味」は何度見ても悪くない。

   

 若い頃(といっても50歳頃まで)は小津映画の中では「父ありき」が一番好きだったが、最近では「秋刀魚の味」がいい。小津の最後の映画である。誰かが「小津の最後の作品が『秋刀魚の味』では・・・」と嘆いていたが、ぼくは小津の最後の作品としても悪くないと思う。いい余韻が残る。
 「東京物語」を小津の最高傑作とする見方が一般的らしいが、ぼくは「東京物語」はあまり好きでない。テーマが重すぎるのだ。「孤老」がテーマなのだが、妻に先立たれた笠を末娘の香川京子がずっと見守ってくれるような気がする。あのラストシーンからは、そう見えてしまった。

 「秋刀魚の味」もテーマは「老い」だと思う。「東京物語」の笠智衆よりは多少は若い年齢に設定された笠智衆、中村伸郎、北竜二(それに東野英治郎)たちが主役だが、定年をまじかに控え、末娘を嫁に出す笠にも「老い」は迫っている。
 以前にも書いたが、ぼくは予備校に通っていた18歳の頃に、奥井潔先生の英語の授業でモーム(の抜粋)を読んだ。後に出版された奥井先生の「英文解釈のナビゲーター」(研究社)を見ると、先生はモームを読みながら、若さとか友情とか嫉妬とか老いとか、要するに「人生」について若かったぼくたちに問いかけていたのだったが、18歳のぼくにはそのような感情を受け入れるレセプターがまったくなかった。
 自分も60歳を過ぎたころから、ようやく老いを感じることができるようになったのだろうか、「秋刀魚の味」が身に染みるのだ。   
 
 今回も「いつもながらの」(“Mixture as Before” )小津の風景が随所に見られた。
 会社の重役を務める笠の重役室には応接室が付属していて、そのドア際には来客が帽子とコートを掛けるコート掛けが置かれていた。ぼくが大学を出て就職した出版社の会議室もそんなつくりで、ドアの脇にコート掛けが置いてあった(下の写真)。
             

 定年も近い裕福なサラリーマン中村伸郎の家の和室はそれなりに立派な風情で、他方、若いサラリーマン佐田が住むアパートの一室はまだ冷蔵庫も掃除機もテレビもなく、休日には佐田が座布団を枕に寝そべって手持無沙汰に煙草をふかしている。
 佐田の勤める会社の屋上にはゴルフ練習場があるようだ。ぼくの会社にはゴルフ練習場はなかったが、木造3階建ての3階は壁際の書棚に資料が積んであり、部屋の真ん中には卓球台が1台置いてあった。
 マダム(岸田今日子)が亡くなった妻に似ていると言って笠が通うトリスバーのようなバーは今でもあるのだろうか。
 
 冒頭の写真は「秋刀魚の味」のなかでも、ぼくが好きな場面の一つである、石川台駅のホームの岩下志麻と吉田輝雄のツーショットのシーン。小津映画に定番のこのシーンでは、いつも二人は離れて立っている。「麦秋」の原と二本柳、「お早よう」の佐田と久我、そして岩下と佐田、みんな離れて立っている。
 50年以上前のこと、下校時刻の吉祥寺駅北口の改札口で、高校生だったぼくを待っていた武蔵野女子学院の女の子がいた。声をかける勇気がなかったけれど、岩下志麻くらい色の白い子だったーーなどと思い出しながら見た。 
 先日の岩下志麻が「最終講義」(NHK、Eテレ)で語っていた、失恋して部屋に戻って一人泣く場面はしっかりと見たが(前の書込み「お早よう」を参照)、その前の場面で、思いを寄せる吉田にはフィアンセがいることを父(笠)と兄(佐田)から聞かされた場面の岩下の表情がよかった。  
 
 今年最後の映画が「秋刀魚の味」でよかった。

 2023年12月27日 記
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小津安二郎『お早よう』(NHK... | トップ | ラジオ放送開始100周年(NHK ... »

映画」カテゴリの最新記事