大学の視聴覚センターの棚に、“小津安二郎大全集”というVHSビデオのシリーズ(松竹ホームビデオ)が並んでいるのを先日見つけ、まずは“大学は出たけれど”と“生れてはみたけれど”の2本を見た。
「禁帯出」のレッテルが貼ってあるので、暇な時に学内で見なければならないのだが、昨日、会議と会議の空き時間に立ち寄って何か見ることにした。
空き時間は90分しかないので、上映時間で選ばなければならない。
前回とのつながりで、“ ~ はしたけれど”シリーズの“落第はしたけれど”(64分)にしようかと思ったが、一本も見たことのない「喜八もの」の“東京の宿”(1935年、84分)を見ることにした。スチール写真でしか知らない岡田嘉子という女優も見たかったので。
小津にとって現存する最後のサイレント作品らしい。映画の方式のことはよく分からないが、「サウンド版」と書いてあるものもある。セリフは全部タイトルで表示されるが、音楽は音声で流れる方式のことだろうか。
職を失った坂本武が二人の幼い息子を連れて職探しをつづける。父親はどこの工場でも門前払いを食らい、収入はない。一家は、息子たちが野犬を捕まえては市役所からもらう1匹につき40銭の手当で暮らし、夜は「萬盛館」という雑魚寝の宿で夜露をしのいでいる。
同じような境遇にある母娘(母が岡田嘉子)と知り合い、親子ともども親しくなるが、岡田の娘が疫痢になり、入院代を払うために岡田は酌婦となる。それを知った坂本は旧知の飯田蝶子に借金を申し込むが断られ、思いあまって盗みを働いてしまう。
警官(笠智衆)に追われて飯田の家に逃げ込んだ喜八は、息子たちのことを飯田に頼んで自首する。
最後のタイトルが、「これによって、一人の魂が救われた」となっている。
当時の酌婦というのがどのような仕事をする職業だったのか知らないが、おそらく売春だったのだろう。岡田にそのようなことをさせないために、喜八は窃盗さえ犯す。それを小津は「(おそらく岡田の)魂が救済された」のだという。
ここに描かれたような庶民の生活が、戦後の小津作品に登場するのは“長屋紳士録”だけで、それ以降小津はこういう世界からは離れてしまう。しかし、この作品にも、後の小津作品との共通性はたくさん見られる。
売春を嫌悪するのは“風の中の牝雞”の文谷千代子に対する説教にも見られるし、実子のいない飯田蝶子が他人の子を引き取らされるのは“長屋紳士録”の中にもあった。「子どものいないあんたには、子を持った親の気持ちは分からない」という飯田蝶子に対して惨すぎるセリフまで“長屋紳士録”と同じである。
小津の作品にしばしば登場するゴミ箱と物干しの「カーテンショット」も何度か出てきた。“早春”では、池辺良の家の向かいのかみさん杉村春子が、ゴミ収集が来ないから区役所に文句を言わなきゃ、というシーンもある。
昭和考古学の貴重な資料である、というより昭和25年生まれのぼくには、とても懐かしい風景である。昭和30年代のゴミ箱はこれより少し進化した形になっていたが・・・。
* 写真は、小津安二郎監督“東京の宿”(松竹ホームビデオ)のケース。
2010/10/21