東海道大磯宿場まつりがあるというのでワイフと出かけました。大磯駅を降り、歩き始めてすぐに、目の前の高台にある、修復中の洋館前の人だかりに気がつきました。
そのなかの人に話しを聞きますと、この洋館は以前フレンチレストランでしたが、それがつぶれて、しばらく空き屋になっていましたが、不動産屋さんが買いとり、マンションにしようとしたらしいです。それで地元の方々が、この洋館を残そうと、反対運動を起し、結局、イタリアンレストランに再生することになり、その修復状況をみにきたということでした。私はフレンチレストラン時代に食事をしたことがありますので、閉店後どうなってしまうのか、気になっていたところでした。大磯町の玄関口の美しい景観が守られ良かったと思います。地元の皆さんの町を守ろうという強い気持ちが伝わってきます。
お祭りは、東海道松並木が少し残っている、山王町の旧東海道で行われていました。予想通り、人人人の大混雑でした。押されるように進んでいくと、大磯国府太鼓や津軽三味線の音色、バイオリンによる懐かしい曲、落語家のはなし等が、次々と耳に飛び込んきます。出店もいっぱいです、みな江戸時代の町人の扮装をして、売っています、ほとんど、地元の商店が出店していますので、味は一流です。カツサンド、焼きそばのおいしかったこと。ときどき、旅装束のお侍や新撰組装束の若い衆(?)が街道を歩いてきます。
12時からは、花魁道中がやってきました。みなそちらに殺到します。ミス大磯みたいな美女が花魁役をするのかと期待していましたが、むかしの美女で、厚化粧でごまかしていました(笑)。多くのお付きを従え、しゃなりしゃなりと行進してきました。観衆も笑いながらカメラを向けていました。大磯商店街の皆さんの、町をみんなで盛り上げていこうとする気持ちが、伝わってきました。
お祭りの案内役の人に聞きましたら、この辺り一帯は江戸時代の宿場町ですが、鎌倉時代では、ここから平塚寄りの化粧坂にかけてが宿場町だと教えてくれました。鎌倉の武士たちが、馬で飛ばしてここに泊まり、遊んでいったらしいです。曾我兄弟は、ここで待ち伏せし、かたきと出会うのを待っていたそうです。虎御前はここの遊女で、お兄さんの方と恋仲になったということです。説明して下さった方は、大磯ガイドボランテイア協会の人でした。会の研究成果である「曾我兄弟と虎御前の史跡を訪ねて」という資料を買いました。ここでも町の観光のために頑張っている人がいました。
お祭りの熱気に少し疲れましたので、近くの延台寺で虎御前の供養塔と遊女のお墓(先日、藤沢宿の遊女の墓の紹介をしましたが、ここにも小規模のものがありました)にお参りし、人家を抜けて海辺に出ました。
大磯海岸は「今はもう秋、誰もいない海」ではなく、サーファー、浜遊びの家族連れ、岸壁の釣り人が目に入りました。でも、もう夏の賑わいはなく、間違いなく静かな秋の海でした。
そのなかの人に話しを聞きますと、この洋館は以前フレンチレストランでしたが、それがつぶれて、しばらく空き屋になっていましたが、不動産屋さんが買いとり、マンションにしようとしたらしいです。それで地元の方々が、この洋館を残そうと、反対運動を起し、結局、イタリアンレストランに再生することになり、その修復状況をみにきたということでした。私はフレンチレストラン時代に食事をしたことがありますので、閉店後どうなってしまうのか、気になっていたところでした。大磯町の玄関口の美しい景観が守られ良かったと思います。地元の皆さんの町を守ろうという強い気持ちが伝わってきます。
お祭りは、東海道松並木が少し残っている、山王町の旧東海道で行われていました。予想通り、人人人の大混雑でした。押されるように進んでいくと、大磯国府太鼓や津軽三味線の音色、バイオリンによる懐かしい曲、落語家のはなし等が、次々と耳に飛び込んきます。出店もいっぱいです、みな江戸時代の町人の扮装をして、売っています、ほとんど、地元の商店が出店していますので、味は一流です。カツサンド、焼きそばのおいしかったこと。ときどき、旅装束のお侍や新撰組装束の若い衆(?)が街道を歩いてきます。
12時からは、花魁道中がやってきました。みなそちらに殺到します。ミス大磯みたいな美女が花魁役をするのかと期待していましたが、むかしの美女で、厚化粧でごまかしていました(笑)。多くのお付きを従え、しゃなりしゃなりと行進してきました。観衆も笑いながらカメラを向けていました。大磯商店街の皆さんの、町をみんなで盛り上げていこうとする気持ちが、伝わってきました。
お祭りの案内役の人に聞きましたら、この辺り一帯は江戸時代の宿場町ですが、鎌倉時代では、ここから平塚寄りの化粧坂にかけてが宿場町だと教えてくれました。鎌倉の武士たちが、馬で飛ばしてここに泊まり、遊んでいったらしいです。曾我兄弟は、ここで待ち伏せし、かたきと出会うのを待っていたそうです。虎御前はここの遊女で、お兄さんの方と恋仲になったということです。説明して下さった方は、大磯ガイドボランテイア協会の人でした。会の研究成果である「曾我兄弟と虎御前の史跡を訪ねて」という資料を買いました。ここでも町の観光のために頑張っている人がいました。
お祭りの熱気に少し疲れましたので、近くの延台寺で虎御前の供養塔と遊女のお墓(先日、藤沢宿の遊女の墓の紹介をしましたが、ここにも小規模のものがありました)にお参りし、人家を抜けて海辺に出ました。
大磯海岸は「今はもう秋、誰もいない海」ではなく、サーファー、浜遊びの家族連れ、岸壁の釣り人が目に入りました。でも、もう夏の賑わいはなく、間違いなく静かな秋の海でした。