京都3日目は、荷物をホテルに預け、南禅寺方面に向かいました。南禅寺の天授庵の庭園のもみじがそろそろ、見頃かもしれないと思ったからです。4,5年前にワイフが、周囲の紅葉がまだ早い時期にそこを訪れたとき、見頃だったというのです。
平安神宮の前あたりまで、バスで行き、そこから歩きました。南禅寺に近づくと、豆腐料理のお店が目立ってきます。山形有朋の別邸だった、無りん庵というところに出ました。有朋自身が設計したという、池を中心としたすばらしい庭園があり、以前一度、入ったことがあります。今日は入らず、先に進みます。
えっ、ここだったけ、と思いました。「瓢亭」小さなの看板が目に入りました。創業が天保年間という老舗の懐石料理のお店です。私は一度だけ、20年も前になるでしょうか、利用したことがあるのです。京都の国際学会に来られた、アメリカの大学の先生方5人をご招待したのです。日本側は、先生方に以前お世話になった私を含め3名でした。10数種類のお料理が順々に出てきて、慣れない味にとまどい、まだ続くのという顔をしながら、それでも楽しそうに食べていらした姿が思い浮かびます。その先生方も現在はみな、リタイアされ、音信も不通になりました。時の流れを感じます。
南禅寺の山門には、修学旅行生がたむろしていました。周囲のもみじは、まだまだで、緑葉が優勢でした。お目当ての天授庵に入ってみました。たしかに、ワイフが言っていたように、三門近くの紅葉より、少し先を行っていました。大分色づいていました。赤あり、赤みの緑あり、緑あり、十人十色のもみじ葉もいいですね。広い庭園に、私ひとりです(ワイフは歩き疲れたと言って、山門のところで休んでいます)。こんなぜいたくあるでしょうか。もう10日も経てば、人人人でいっぱいになるはずです。
天授庵は今回、初めてですが、とてもすばらしい庭園だと思いました。日本庭園の良さをここに、全部詰め込んでしまったかのような印象です。方丈前の東庭は苔も配した枯山水の石庭で、背景にモミジが植えられています。方丈の縁台に座り、しばらく、無我の境地になり、お昼は何を食べようかなと考えます。
そこを離れ、南庭に入ります。南北朝時代の特徴をもつらしいです。大小の出島で輪郭に変化をもたせた池を見ながら、回遊路を進みます。色づいたモミジがあちこちで艶やかなこと、うしろの緑の竹林のすがすがしいこと、道ばたの幾種類もの苔の緑色のグラデーションのたおやかなこと、松の緑のさわやかなこと、滝の音の涼しげなこと ・・・本当によく作られている、目に優しい、耳にも軽やか、・・・ひょとすると、これを作った庭師は、五感で感じる庭をつくったのではないだろうか、という仮説が突如浮かんできました。
そうに違いない、と検証してみました。視覚は問題なく合格です。聴覚は今聞こえている滝の音、それに、竹林のさやさや、落ち葉のかさこそ、少し前では、秋の虫のりーんりーん、早朝には鳥のさえずりも聞こえるでしょう。十分合格です。次は触角です。回りを見渡し、触ってみます。まず足下の苔、ビロードのようで、うっとり。サルスベリの木、つるつるして気持ちいい。松の幹、ごわごわして刺激的。ぎざぎざの葉っぱの植物、ちくちくして痛がゆい。これだけ楽しめれば十分合格です。
次に嗅覚です。いろいろ匂いをかいでみました。松ヤニの香りが個性的、苔だって鼻を近づければ、かすかな香り(土の香りかな)。今はもう秋、花もいない庭です。でも、ちょっと前にはキンモクセイの花の香りがあったでしょう、春には、梅の花だって素敵な香りです。嗅覚もまあ合格と言っていいでしょう。
さて、問題は、味覚です。ナンテンの赤い実がみえました。実をかじってみました。甘くもなく、しょっぱくもなく、無味でした。でも、精進料理に馴染んだ方の舌には美味に感じるかもしれない、豆腐だって無味ではないでしょうか。お茶の木もあった、葉っぱを咬めば、お茶のかすかな味がするだろう、お茶の実はあめ玉代わりになめればいい、道に落ちている松ぼっくりやどんぐりだって、ちょっと咬めば、苦み走ったいい味かもしれない。それに春には、竹林にタケノコがある、生でだって食べられる、タケノコの皮に梅干しをはさんでなめたっていい、池の滝の水も味があるかもしれない、そう思ってなめてみた、枯れた味がした、上流に落葉がいっぱい浸かっていた。修行を積んだ人なら、養老乃瀧になるかもしれない、銘酒、上善水如だ。味覚もお情けの合格でしょうか。
やはり、この偉大な造園師は5感で味あう庭園を造っていたのでした。すごいです。満足して山門(本当は三門と書くのですが、それでは感じがでないので勝手に変えました)に戻りますと、ワイフは、のんきにいねむりをしていました。
ここから銀閣寺までの、疎水沿いの哲学の道を、ふたりで、高尚な話しをしながら、1時間ほどかけて歩きました。京都のおみやげは、満月の阿闍梨餅にするか、百万遍かぎやのときわ木にするかという高尚な議論のすえ、結局、ばらの阿闍梨餅を5個買うことに決定しました。私は別に、伏見の月桂冠の五合瓶を1本買いました。
平安神宮の前あたりまで、バスで行き、そこから歩きました。南禅寺に近づくと、豆腐料理のお店が目立ってきます。山形有朋の別邸だった、無りん庵というところに出ました。有朋自身が設計したという、池を中心としたすばらしい庭園があり、以前一度、入ったことがあります。今日は入らず、先に進みます。
えっ、ここだったけ、と思いました。「瓢亭」小さなの看板が目に入りました。創業が天保年間という老舗の懐石料理のお店です。私は一度だけ、20年も前になるでしょうか、利用したことがあるのです。京都の国際学会に来られた、アメリカの大学の先生方5人をご招待したのです。日本側は、先生方に以前お世話になった私を含め3名でした。10数種類のお料理が順々に出てきて、慣れない味にとまどい、まだ続くのという顔をしながら、それでも楽しそうに食べていらした姿が思い浮かびます。その先生方も現在はみな、リタイアされ、音信も不通になりました。時の流れを感じます。
南禅寺の山門には、修学旅行生がたむろしていました。周囲のもみじは、まだまだで、緑葉が優勢でした。お目当ての天授庵に入ってみました。たしかに、ワイフが言っていたように、三門近くの紅葉より、少し先を行っていました。大分色づいていました。赤あり、赤みの緑あり、緑あり、十人十色のもみじ葉もいいですね。広い庭園に、私ひとりです(ワイフは歩き疲れたと言って、山門のところで休んでいます)。こんなぜいたくあるでしょうか。もう10日も経てば、人人人でいっぱいになるはずです。
天授庵は今回、初めてですが、とてもすばらしい庭園だと思いました。日本庭園の良さをここに、全部詰め込んでしまったかのような印象です。方丈前の東庭は苔も配した枯山水の石庭で、背景にモミジが植えられています。方丈の縁台に座り、しばらく、無我の境地になり、お昼は何を食べようかなと考えます。
そこを離れ、南庭に入ります。南北朝時代の特徴をもつらしいです。大小の出島で輪郭に変化をもたせた池を見ながら、回遊路を進みます。色づいたモミジがあちこちで艶やかなこと、うしろの緑の竹林のすがすがしいこと、道ばたの幾種類もの苔の緑色のグラデーションのたおやかなこと、松の緑のさわやかなこと、滝の音の涼しげなこと ・・・本当によく作られている、目に優しい、耳にも軽やか、・・・ひょとすると、これを作った庭師は、五感で感じる庭をつくったのではないだろうか、という仮説が突如浮かんできました。
そうに違いない、と検証してみました。視覚は問題なく合格です。聴覚は今聞こえている滝の音、それに、竹林のさやさや、落ち葉のかさこそ、少し前では、秋の虫のりーんりーん、早朝には鳥のさえずりも聞こえるでしょう。十分合格です。次は触角です。回りを見渡し、触ってみます。まず足下の苔、ビロードのようで、うっとり。サルスベリの木、つるつるして気持ちいい。松の幹、ごわごわして刺激的。ぎざぎざの葉っぱの植物、ちくちくして痛がゆい。これだけ楽しめれば十分合格です。
次に嗅覚です。いろいろ匂いをかいでみました。松ヤニの香りが個性的、苔だって鼻を近づければ、かすかな香り(土の香りかな)。今はもう秋、花もいない庭です。でも、ちょっと前にはキンモクセイの花の香りがあったでしょう、春には、梅の花だって素敵な香りです。嗅覚もまあ合格と言っていいでしょう。
さて、問題は、味覚です。ナンテンの赤い実がみえました。実をかじってみました。甘くもなく、しょっぱくもなく、無味でした。でも、精進料理に馴染んだ方の舌には美味に感じるかもしれない、豆腐だって無味ではないでしょうか。お茶の木もあった、葉っぱを咬めば、お茶のかすかな味がするだろう、お茶の実はあめ玉代わりになめればいい、道に落ちている松ぼっくりやどんぐりだって、ちょっと咬めば、苦み走ったいい味かもしれない。それに春には、竹林にタケノコがある、生でだって食べられる、タケノコの皮に梅干しをはさんでなめたっていい、池の滝の水も味があるかもしれない、そう思ってなめてみた、枯れた味がした、上流に落葉がいっぱい浸かっていた。修行を積んだ人なら、養老乃瀧になるかもしれない、銘酒、上善水如だ。味覚もお情けの合格でしょうか。
やはり、この偉大な造園師は5感で味あう庭園を造っていたのでした。すごいです。満足して山門(本当は三門と書くのですが、それでは感じがでないので勝手に変えました)に戻りますと、ワイフは、のんきにいねむりをしていました。
ここから銀閣寺までの、疎水沿いの哲学の道を、ふたりで、高尚な話しをしながら、1時間ほどかけて歩きました。京都のおみやげは、満月の阿闍梨餅にするか、百万遍かぎやのときわ木にするかという高尚な議論のすえ、結局、ばらの阿闍梨餅を5個買うことに決定しました。私は別に、伏見の月桂冠の五合瓶を1本買いました。