先日、法事で熊本に行ったときに、ひとりで、水前寺公園から江津湖周辺を歩きました。そのとき、県立図書館のそばで、「星の王子様」の碑はこちらです、という案内板を見つけました。えっと思いました。サン・テグジュベリが熊本と、どういう関係があるのだろうと、わくわくした気持ちでその碑の前までたどり着きました。
その碑には、こう記されていました。「星の王子様 内藤濯文学碑」。翻訳者の方が熊本ゆかりの人だったのです。説明文に、内藤氏は明治16年7月7日熊本市生まれ、昭和28年初版で、50年間で600万部、内藤氏生誕120年とサン・テグジュベリ没後60年を期に記念碑を設立、とありました。日付をみると2005年11月27日とあります。まだ出来て1年の新しい碑でした。
その碑には、「おとなは、だれもはじめは子供だった。しかし、そのことを 忘れずにいる おとなは いくらもいない」という有名な訳文が刻まれていました。そして、内藤氏自身の、「いずこかに かすむ宵なり ほのぼのと 星の王子の 影とかたちと」の和歌も添えられていました。
熊本から帰って、本箱を探しましたら、「星の王子様」は残っていました。「残っていました」というのは、私は、昨年の定年退職と引っ越しを機に、蔵書の8割ぐらいを整理しましたので、愛着のある本だけが残っているというわけです。岩波少年文庫版で、昭和45年12月32刷のものでした。
40年代後半というと、私は社会人になっており、まだ独身でした。そのころの世間は、何かと騒々しかった印象があります。学生運動はまだ燃えさかっていましたし、どの職場でも組合活動が盛んで、動員で集会などにも行ったものでした。そんな中、いろいろ考えることもあったのでしょう。ふと、この本を買っていたのでした。
星の王子様は、家の大きさくらいの小さな惑星に、バラと一緒に住んでいましたが、ちょとしたいさかいが元で、他の星めぐりをすることになります。家来がいないのに威張りくさっている王様の星、誰もが自分をほめてくれると思いこんでいるうぬぼれ男の星、星の数を帳簿に記入して、自分の所有物だと主張する実業家の星、街灯を決めた時間につけたり消したりしている点灯夫の星、(これはあまり書きたくないのですが)酒を飲む自分が恥ずかしいといって飲み続ける飲み助の星、等々の星を巡り、地球に到着し、砂漠の真ん中で遭難している飛行士と出会います。おとなって、ほんとにへんだな、おかしいな、と王子様は、旅をつづけながら、むじゃきに思います。
昨日、鎌倉の図書館で、偶然、内藤濯(あろう、と読むそうです)さんのご子息の内藤初穂さんの書かれた「星の王子の影とかたち」という本を見つけました。いろいろなことが分かりました。内藤濯さんは名門の医家の四男として熊本城下で生まれ、幼少年期を過ごし、大学ではフランス文学を専攻し、パリにも留学されたようです。大学の先生を退職し、なんと70才になって、石井桃子さんの紹介で、この本を翻訳したそうです(すごい、勇気がでる(笑))。鎌倉にもお住まいになったことがあり、94才で亡くなられ、鎌倉霊園に眠られているそうです。童話に造詣の深い、美智子様も愛読され、皇太子妃の頃、はじめに紹介しました内藤濯さんの和歌に曲をつけて下さったそうです。生前、内藤さんは、折にふれ、愛唱されていたそうです。
現役時代は、星の王子様になりたくっても、なかなかなれません。へんだな、おかしいなと思っても、組織で決めたことだから、しょうがない、と流されてきました。自分でそう決めたこともあります。でも、今は違います。へんだな、と思うことはする必要がありません。これからは、おとなって、ほんとにへんだな、おかしいなと言われないようにしたいと思います。でもお酒だけは別ですよ。
その碑には、こう記されていました。「星の王子様 内藤濯文学碑」。翻訳者の方が熊本ゆかりの人だったのです。説明文に、内藤氏は明治16年7月7日熊本市生まれ、昭和28年初版で、50年間で600万部、内藤氏生誕120年とサン・テグジュベリ没後60年を期に記念碑を設立、とありました。日付をみると2005年11月27日とあります。まだ出来て1年の新しい碑でした。
その碑には、「おとなは、だれもはじめは子供だった。しかし、そのことを 忘れずにいる おとなは いくらもいない」という有名な訳文が刻まれていました。そして、内藤氏自身の、「いずこかに かすむ宵なり ほのぼのと 星の王子の 影とかたちと」の和歌も添えられていました。
熊本から帰って、本箱を探しましたら、「星の王子様」は残っていました。「残っていました」というのは、私は、昨年の定年退職と引っ越しを機に、蔵書の8割ぐらいを整理しましたので、愛着のある本だけが残っているというわけです。岩波少年文庫版で、昭和45年12月32刷のものでした。
40年代後半というと、私は社会人になっており、まだ独身でした。そのころの世間は、何かと騒々しかった印象があります。学生運動はまだ燃えさかっていましたし、どの職場でも組合活動が盛んで、動員で集会などにも行ったものでした。そんな中、いろいろ考えることもあったのでしょう。ふと、この本を買っていたのでした。
星の王子様は、家の大きさくらいの小さな惑星に、バラと一緒に住んでいましたが、ちょとしたいさかいが元で、他の星めぐりをすることになります。家来がいないのに威張りくさっている王様の星、誰もが自分をほめてくれると思いこんでいるうぬぼれ男の星、星の数を帳簿に記入して、自分の所有物だと主張する実業家の星、街灯を決めた時間につけたり消したりしている点灯夫の星、(これはあまり書きたくないのですが)酒を飲む自分が恥ずかしいといって飲み続ける飲み助の星、等々の星を巡り、地球に到着し、砂漠の真ん中で遭難している飛行士と出会います。おとなって、ほんとにへんだな、おかしいな、と王子様は、旅をつづけながら、むじゃきに思います。
昨日、鎌倉の図書館で、偶然、内藤濯(あろう、と読むそうです)さんのご子息の内藤初穂さんの書かれた「星の王子の影とかたち」という本を見つけました。いろいろなことが分かりました。内藤濯さんは名門の医家の四男として熊本城下で生まれ、幼少年期を過ごし、大学ではフランス文学を専攻し、パリにも留学されたようです。大学の先生を退職し、なんと70才になって、石井桃子さんの紹介で、この本を翻訳したそうです(すごい、勇気がでる(笑))。鎌倉にもお住まいになったことがあり、94才で亡くなられ、鎌倉霊園に眠られているそうです。童話に造詣の深い、美智子様も愛読され、皇太子妃の頃、はじめに紹介しました内藤濯さんの和歌に曲をつけて下さったそうです。生前、内藤さんは、折にふれ、愛唱されていたそうです。
現役時代は、星の王子様になりたくっても、なかなかなれません。へんだな、おかしいなと思っても、組織で決めたことだから、しょうがない、と流されてきました。自分でそう決めたこともあります。でも、今は違います。へんだな、と思うことはする必要がありません。これからは、おとなって、ほんとにへんだな、おかしいなと言われないようにしたいと思います。でもお酒だけは別ですよ。