今朝の報道によると、松坂大輔投手のボストン・レッドソックスへの入団が決まったようです。良かったですね。あれほどの力量のある投手ですから、世界のトップリーグで力を試したいと思うのはごく当たり前のことで、早く夢を実現させてあげたいと思っていました。
松坂投手は、横浜高校時代から、甲子園15連勝、決勝戦でノーヒットノーラン等、圧倒的な力を示し、平成の怪物と呼ばれていました。「平成の」の形容詞をつけられたのは、それ以前に、もっとすごい怪物がいたからです。そうです、江川卓さん(以後敬称略)です。なんと、高校時代にノーヒットノーランを9回、完全試合2回ですよ。今日は、このふたりの怪物の比較をしたいと思います。
江川は、世間(プロ球団)の無理解により、スタートが5年遅れてますから、わずか9年間でプロを引退します。松坂投手は今年で8年で、ほぼ同じ期間ですので、通算成績である程度、力量の比較ができます。まず勝敗ですが、江川:135勝72敗、松坂:108勝60敗;奪三振は、江川:1366、松坂:1355;防御率は、江川:3.02、松坂:2.95です。よく似た数値で、ほぼ互角ですね。100勝1番乗りは、松坂(191試合目)が、これまで最短の江川(193試合)を2試合だけ早く到達しました。また、二人とも、最多勝、奪三振、防御率のタイトルを1~数回とっていて、これも、ほぼ互角です。両者のトータルの力量は同程度といって良いでしょう。
では、全盛期の比較ではどうでしょう。江川の全盛期は、1980年代前半で、81年に20勝6敗で、最多勝など投手5冠を獲得しています。また84年のオールスターでは、江夏の9連続奪三振には及びませんでしたが、8連続奪三振を達成しています。一方、今が全盛期の松坂は、今年連続奪三振をねらいましたが、遠く及びませんでした。全盛期比較では、江川の方が上でしょう。
経済力では比較になりません。松坂の圧勝です。西武入団後、堤オーナーの特別なはからいで、年俸はうなぎ昇りでしたし、今回の契約も6年70億円という巨額です。一方、江川は、当時の、ろくでもない(私みたいに;涙)球団管理者により、不当に年俸を抑えられてきました。私がよく覚えているのが、20勝あげた翌年も19勝しているのですが、そのときの年俸更改のことです。連続20勝前後という、文句なしの成績に対し、なんと、現状維持だったのです。選手のやる気をなくす、全くあきれた査定でした。それ以後、江川が投球に手抜きを始めた、と私はみています(私は、はじめから手抜きの名人ですが;汗)。
江川の全盛期は、ちょうど私も一番仕事がのっていた頃です。張り切っていて、得意の絶頂期でした(汗)。夜帰宅してから、ビールを飲みながら、テレビで江川の奪三振ショーをみるのが何よりの楽しみでした。いけいけ、いいぞ、よし、と声をあげていました。
松坂ボストン入り決定のニュースで、全盛期が私と同じ時代の、もうひとりの怪物のことをふと思い出してしまいました。
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江川は1955年生まれで、松坂が1980年生まれです。ちょうど25年の開きです。ちょうど、その間に、桑田真澄投手がいます。1968年生まれです。ふたりの怪物とも関係があるのですよ。江川が引退を決意したのは、次代のエース桑田に開幕投手を奪われたからです。その年にきっぱり引退しています。一方、松坂は、高校時代から、桑田の熱烈なフアンで、背番号も同じ18をもらっています。西武に入りましたが、巨人に入る可能性もありました。長島監督は、最後の最後まで、上原ではなく、松坂指名を考えていたようです。松坂がもし巨人に入っていたら、桑田も、江川のように余力を残して、そっとグローブを置いたはずです。
(写真は松坂投手も、思い出のある横浜球場です)
松坂投手は、横浜高校時代から、甲子園15連勝、決勝戦でノーヒットノーラン等、圧倒的な力を示し、平成の怪物と呼ばれていました。「平成の」の形容詞をつけられたのは、それ以前に、もっとすごい怪物がいたからです。そうです、江川卓さん(以後敬称略)です。なんと、高校時代にノーヒットノーランを9回、完全試合2回ですよ。今日は、このふたりの怪物の比較をしたいと思います。
江川は、世間(プロ球団)の無理解により、スタートが5年遅れてますから、わずか9年間でプロを引退します。松坂投手は今年で8年で、ほぼ同じ期間ですので、通算成績である程度、力量の比較ができます。まず勝敗ですが、江川:135勝72敗、松坂:108勝60敗;奪三振は、江川:1366、松坂:1355;防御率は、江川:3.02、松坂:2.95です。よく似た数値で、ほぼ互角ですね。100勝1番乗りは、松坂(191試合目)が、これまで最短の江川(193試合)を2試合だけ早く到達しました。また、二人とも、最多勝、奪三振、防御率のタイトルを1~数回とっていて、これも、ほぼ互角です。両者のトータルの力量は同程度といって良いでしょう。
では、全盛期の比較ではどうでしょう。江川の全盛期は、1980年代前半で、81年に20勝6敗で、最多勝など投手5冠を獲得しています。また84年のオールスターでは、江夏の9連続奪三振には及びませんでしたが、8連続奪三振を達成しています。一方、今が全盛期の松坂は、今年連続奪三振をねらいましたが、遠く及びませんでした。全盛期比較では、江川の方が上でしょう。
経済力では比較になりません。松坂の圧勝です。西武入団後、堤オーナーの特別なはからいで、年俸はうなぎ昇りでしたし、今回の契約も6年70億円という巨額です。一方、江川は、当時の、ろくでもない(私みたいに;涙)球団管理者により、不当に年俸を抑えられてきました。私がよく覚えているのが、20勝あげた翌年も19勝しているのですが、そのときの年俸更改のことです。連続20勝前後という、文句なしの成績に対し、なんと、現状維持だったのです。選手のやる気をなくす、全くあきれた査定でした。それ以後、江川が投球に手抜きを始めた、と私はみています(私は、はじめから手抜きの名人ですが;汗)。
江川の全盛期は、ちょうど私も一番仕事がのっていた頃です。張り切っていて、得意の絶頂期でした(汗)。夜帰宅してから、ビールを飲みながら、テレビで江川の奪三振ショーをみるのが何よりの楽しみでした。いけいけ、いいぞ、よし、と声をあげていました。
松坂ボストン入り決定のニュースで、全盛期が私と同じ時代の、もうひとりの怪物のことをふと思い出してしまいました。
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江川は1955年生まれで、松坂が1980年生まれです。ちょうど25年の開きです。ちょうど、その間に、桑田真澄投手がいます。1968年生まれです。ふたりの怪物とも関係があるのですよ。江川が引退を決意したのは、次代のエース桑田に開幕投手を奪われたからです。その年にきっぱり引退しています。一方、松坂は、高校時代から、桑田の熱烈なフアンで、背番号も同じ18をもらっています。西武に入りましたが、巨人に入る可能性もありました。長島監督は、最後の最後まで、上原ではなく、松坂指名を考えていたようです。松坂がもし巨人に入っていたら、桑田も、江川のように余力を残して、そっとグローブを置いたはずです。
(写真は松坂投手も、思い出のある横浜球場です)