気ままに

大船での気ままな生活日誌

小津安二郎の晩春

2006-12-14 09:05:05 | Weblog
小津安二郎監督を偲ぶファンの集い、麦秋忌の第二部で、小津監督の記念碑的作品「晩春」が上映されました。昭和24年の作品で、その後、「麦秋」「東京物語」と続く、いわゆる小津調映画の原点となるものです。広津和郎の「父と娘」原作で、脚本も小津が野田高悟と共同で担当しています。原節子、笠智衆が主演です。

円覚寺での茶会のシーンから始まり、がらんとなった北鎌倉の家の内部の描写で終わる、二時間弱の、この映画は、父と娘のシンプルなストーリーからなっています。なのに、ひとときも飽きさせず、時には笑わせ、時にはしみじみとした情感で観客の胸を熱くします。

大学教授の笠智衆は、27才の娘、原節子と北鎌倉で二人暮らしです。父は娘の婚期が遅れているのは、自分のせいではないかと考えています。一方、娘は、現在の父との落ち着いた暮らしを気に入っていて、あえて新たな生活に踏み出すことに躊躇しています。もちろん、ひとりになる父の暮らしも心配です。そんなとき、父の妹、杉村春子が娘の縁談をもってきます。同時に、父にも再婚の話しが持ち上ります。

父が再婚すると聞いて、不機嫌になる娘。少し冷た過ぎる、恐いような目を父に向けていました。私が監督なら、もう少し穏やかな目にします(笑)。本当にお父さん、再婚するのと、問いただす娘。にっこりうなずく父。娘がいると、再婚のじゃまと言外に匂わします。そして、ついに娘は見合いの相手と結婚することを決意します。

娘の結婚を前にして、二人で京都に旅をします。宿での会話。私、お父さんと暮らしている毎日が、自分に合っているよう、とても楽しかった、結婚しても、それ以上の充実した暮らしができるかどうか心配(意訳)。父は諭します。二人で、新しい生活を作り上げていくことが結婚だ、その創造の過程にこそ、苦しみもあるが、楽しみも詰まっているのだ(意訳)。父と娘の互いを思いやる気持ちがしみじみと伝わるシーンです。

結婚式が終わり、父は、娘の親友、月丘夢路とお茶を飲みます。お父様、本当に再婚なさるの、私反対、しないでしょ?と問いただす月丘。にっこりとうなずく父。観客はここで初めて、父が娘の結婚を促すために、うそを言っていたことを知ります。父親の愛の深さが染みわたってくるシーンです。そして、父親の心象風景として、娘のいなくなった、がらんとした自宅の室内風景が、ラストシーンで流れます。

ストーリーだけではなく、映像でも会話でも、まるで俳句のように、シンプルになっています。余計なことは全部、そぎ取ると言った感じで出来ています。すると、それをみている客の心も、余計な思いや迷いが放たれ、非常に簡素な、あるいは空の状態になってきます。その結果、通常では、それほどおかしいと思わない会話でも無性におかしく感じ、他方、しみじみした情感も一層強まります。

例をあげてみましょう。杉村春子が笠智衆に話しかけます。・・・ねー、兄さん、紀子ちゃん(原節子)がしぶっているのは、相手の名前が気に入らないのかしら、熊五郎なんてね、確かいやよね、身体が毛むくじゃらみたいだし。なんて呼んだらいいのかしらなんて考えるとね、くまごさん?それとも、熊さん、でもこれでは八つあん熊さんみたいだしね、そうだ、くーさんがいいわ・・・たしかに面白い会話ではありますが、通常なら、うふふ程度ですよね。ところが映画館では、あははは、と声を出した笑いになります。観客の感受性が高まった状態になっているのでしょう。

お客におみやげをもたせて帰さなければいけない、が口癖だった小津さんの作品らしく、考えさせることが沢山つまった映画でした。

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翌日(12月12日)が小津安二郎監督の命日でした。その日、円覚寺のお墓に参りました。偶然その時間に、10数人のグループの方々がお参りをしていました。Y氏を見かけましたので、大船撮影所の関係者だということがすぐ分かりました。墓石の前には、お花とお酒(出羽桜と千本桜でした、お好みの銘柄だったのでしょうか)が供えられていました。そして墓石には、シンプルを好まれた監督らしく、究極のシンプル、「無」の字が、深く刻まれていました。
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