気ままに

大船での気ままな生活日誌

乳頭温泉郷 鶴の湯

2006-12-09 12:35:07 | Weblog
鷹ノ湯からマイクロバスで乳頭山麓の鶴の湯に向かいます。すっかり晴れ上がり、車窓から見える雪景色は素晴らしく、誰もみな、沈黙して、ただただ眺めるばかりでした。秋田杉の緑の葉に、まるでクリスマスツリーのように、ふんわりと乗かっている雪、落葉樹の枯れ枝には、早春のこぶしのように咲き乱れる雪の花、ときどき、風に揺れ、舞い落ちる雪、風花のように懐かしい、たわわの赤い柿の実が雪景色にあざやかなこと、近くの禿山を覆う雪は、恥ずかしそうに、てかてか光っている、遠くの奥羽山脈の山々が銀色に輝き、神々しい、そんな、多彩な雪景色が次々現れ、飽きさせませんでした。

途中、角館の旧家で昼食をとり、地元の主婦の方から、いろり端で角館の歴史物語を聞きました。秋田藩の殿様、佐竹氏は、もともと常陸の国(茨城県)を治めていましたが、関ヶ原の戦いのとき、あいまいな態度をとったため、家康から北国への配置換えを命ぜられたそうです。佐竹氏は、自分の弟、芦名氏(常陸の江戸崎城主)に角館を治めさせたそうです。これに関連して、茨城県民の笑い話として、こういうのがあります。茨城県に美女がいないのは、佐竹氏が、そのとき美女をみな秋田に連れて行ってしまったからだというのです。私も現役時代は茨城でしたので、弁明しますが、私の地元採用の秘書の方は女優の小雪似の美人でしたよ。・・・でもお父さんは秋田出身と言っていたっけ(汗)・・

雪に埋もれた鶴の湯温泉に到着しました。入り口の、すぐ右側に、時代を感じさせる、茅葺きの本陣と呼ばれる宿泊施設が目に入ります。その昔、湯治にこられた藩主の佐竹氏の警護のためにここに詰めていたという、350年前のたたずまいがそのまま残っています。部屋の中を覗くと、懐かしい、いろりがあり、ランプが下がっていました。私達が泊まる部屋は、新本陣という棟で、ここは少し現代的で、蛍光灯で、暖房もあります。でも自家発電のため、どの棟にもテレビはありません。

ここの温泉の目玉は、なんと言っても、混浴露天風呂です。人気露天風呂の全国1位だそうです。すぐそちらに向かいます。ワイフは混浴は、ちょっと様子をみてからと、女性専用の露天風呂や白湯、黒湯の温泉はしごをすると出かけました。

脱衣所は男女別々です。裸になって外に出ると、乳白色の温泉をたっぷり湛えた広々としたお風呂(こんな広い露天風呂は初めてですね)が目に入ります。入ってどっぷり浸かります。首だけが出る、ちょうど良い深さです。下は砂利になっていますが、そこから、ぶつぶつとお湯が湧き出ている箇所がいくつもあります。湧き水のようです。そこに座ると、熱くて気持ちがいいです。

ぬるめの湯で、長湯ができます。まだ3時過ぎだったせいか、3人ほどの男客だけでした。のんびりと、広い浴場のあちこちを移動したり、雪景色を眺めたりしていました。そのとき、突然、きゃきゃという女性の声が聞こえてきました。二人ずれが入浴してきたのです。明るい昼間には来ないかと思っていたので驚きました。でも考えてみると、乳白色の湯なので、首から下はなにも見えませんので、安心なのです。タオルを頭に載せた、ふたつの首が、あひるのように、こちらに近づいてきます。どちらも二十代の若い女性でした。ついてますね。ひとりは、細身の(肩が少しみえるので推測がつきます)小雪似の美人でした。もう一人の人は、肉付きのよい健康美の、藤山直美のような、ぎょろっとした目の人でした。二人は、男性の目を気にせず、くつろいでいました。

もちろん、夜にも入りました。夜は、首の下はもちろんですが、暗い照明しかないので、首の上も分かりません。これなら女性も安心して入れます。ワイフも入りました。暗闇の中で、女性のおしゃべりばかりが聞こえ、まるで女湯に間違って入ってしまったのではないかと錯覚しました。ふと夜空を見上げると、いざよいの月が、こうこうと私を照らしていてくれました。

朝風呂は雪の中でした。途中で元気な若い女性陣が入ってきましたので、つい長風呂になってしまいました。どうもこのとき湯冷めをしたらしく、帰ってから風邪をひいてしまいました。昨日は1日、おとなしくしていました。







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