気ままに

大船での気ままな生活日誌

たそがれ清兵衛 あれこれ

2006-12-24 10:53:05 | Weblog
おととい、テレビで山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」を観ました。この作品が数年前の日本アカデミー賞を総なめした名作であることは知っていましたが、これまでこの映画をみる機会を逸していました。貧乏侍を主人公にした藤沢周平ワールドがていねいに描かれていて、しんみりした情感溢れるとてもいい映画になっていました。

たそがれ清兵衛の娘、以登が晩年になって、昔の父との貧しい生活を追憶するというかたちで物語が進行していきます。その晩年の以登役に岸恵子さんが扮しています。ラストシーンのお墓参りのところで、今も変わらぬ美貌の姿をみせてくれますが、そのほとんどが、ナレーターとしての声だけの出演となっています。しかし、このナレーションが、この作品の中で、極めて重要な役割をもっていると、私は感じたのです。

たとえて言いますと、この映画は雪舟の水墨画だと思うのです。山や川や小さな人物が、濃淡のある、どちらかというと薄い墨で柔らかく描かれています。それらは、貧乏侍の真田広之さんや彼の友人の妹で、幼なじみの宮沢りえさんの演技に当ります。一方、山や川の輪郭が、シンプルな直線をつなぐようにして描かれています。この輪郭の墨の線こそが、岸恵子のナレーションに当ります。雪舟の水墨画がこの輪郭線がなければ成り立たないように、この映画も岸恵子さんの、少し抑えた落ち着いた声のナレーションによって、はじめて、全体が生き生きとしてくるのだと思うのです。

もちろん、真田広之さんや宮沢りえさん、そして子役の子供も、適材で演技も文句なくすばらしかったのですが、それ以上に、この映画のキーパーソンは岸恵子さんだと私には思えたのでした。

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少し、本筋から離れますが、小津安二郎監督が原節子さんの後継者に岸恵子さんを考えていたことをご存じですか。小津さんは、1956年の「早春」に岸さんを起用し、すっかり気に入り、次回作の「東京暮色」の主演に予定していましたが、彼女は突然、イブ・シャンピ監督と結婚し、パリにとんでしまいます。その代役には有馬稲子さんがなります。最近、この映画を観ましたが、それまでの小津作品とは違い、主役は汚れ役で、最後は亡くなるという、暗いイメージのものでした。

原節子さんも岸恵子さんも横浜生まれで、浜っこらしく、おしゃれで、ユーモアもある理知的な美人です。小津さんはこうい人が好きだったんですね(でも嫌いな人はいませんね)。行きつけの、石川町の飲み屋で、寂しくなると、「恵子ちゃん出てこないか」と近くに住む岸さんによく電話をかけたそうです。

先日のブログで紹介しましたように、山田監督は、昭和29年(1954)に大船撮影所に助監督として入っています。そのときに、全盛期の小津安二郎監督がいて、前年に原節子さん主演の不朽の名作「東京物語」をつくっています。若い山田さんは、小津監督を神様のように尊敬していましたし、そのころ、すでに大女優であった原節子さんや「君の名は」でスターの座を獲得していた、岸恵子さんも彼にとっては、雲の上みたいな人だったはずです。

生年月日を調べてみますと、山田監督は、1931年9月で、岸恵子さんは、1932年8月です。1才違いです。私の想像ですが(げすの勘ぐり?(汗))・・・若い山田さんは才色兼備の岸恵子さんに、ぽーとしていた(もちろん片想い)のではないか、そして1957年に岸さんの結婚で失恋したと、私は考えるのです。そして、将来自分がえらくなったら(映画監督になったら)、岸恵子さんを重要な役でお迎えしたい、(そしてそれが尊敬する小津監督への恩返しにもなる)と心に誓ったのでした。それが、今回の映画で実現したということではないでしょうか。

また山田監督の講演を聴く機会がありましたら、この仮説が正しいかどうか、是非質問してみたいと思っています。

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昨日、ワイフと一緒に、若き日の岸恵子さんの遊び場だったでしょう、石川町界隈を散歩しました。山手の西洋館のクリスマスの飾りをみたり、たそがれの、せいべいじゃない、もとまちを歩いたりしていました。

コメント
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