気ままに

大船での気ままな生活日誌

汀女さんの江津湖

2006-12-04 21:45:17 | Weblog
その日は、小春日和のとても気持ちの良い日でした。熊本県立図書館の裏庭の「星の王子様」の碑を見学したあと、川沿いを江津湖方面に向かって歩き始めました。

バナナのように生い茂る芭蕉園を横にみながら、歩いているとき、ふと、ワイフが自慢そうに、中村汀女さんは、自分の高校(旧高等女学校)の先輩で、江津湖畔の出身なのよ、と言っていたことを思い出しました。あれほど著名な女流俳人なら、きっとこの湖畔に彼女の句碑があるはずだと思いました。私は割と勘がいいのです。やはり、すぐにその碑が目の前に現れました。

「つつじ咲く 母の暮らしに 加わりし」の句がしっかりと刻まれていました。年老いたお母さんが、お一人で永くここに住まわれていて、遠方から汀女さんは、たびたび、訪れています。ワイフの子供の頃の記憶によると、貞女さんが帰郷するたびに、地元の熊日新聞が、報道していたそうです。この句もそのときので、帰郷14句のひとつだそうです。お母さん思いで、母恋い俳人の異名もあります。案内板に、この碑は、はじめ対岸の生家の前にありましたが、生誕100年を期にここに移設しました、とありました(生家は取り壊されたようです)。

女学校を卒業し、すぐの頃、自宅の廊下を拭いているとき、ふと振り返った庭に咲いている菊がぽつんと咲いているのに気づき詠んだ句、「吾に返り 見直す隅に 寒菊紅し」が認められ、虚子の門下に入ります。虚子の娘さんの星野立子さんと一緒に勉強したようです。才能があったのですね、すぐにホトトギスの同人になり活躍をはじめます。大蔵省勤務の人と結婚したあと、全国あちこちに転勤します。一時、休んだときもありましたが、確か、横浜の野毛の官舎に来てから再開したと、なにかで読んだことがあります。野毛公園にも句碑があり、「蕗のとう、思い思いの夕汽笛」と刻まれています。

句碑をあとにして、水鳥の遊ぶ、きらめく湖を見ながら、またイチョウやメタセコイア、落葉樹の紅葉を楽しみながら、先に進みました。この辺りは、昨日の記事で頂いた、かよさんのコメントのように、湧き水の多いところです。神水の泉というのを見つけました。ここでおいしいお水を、長生きしますようにと、いただきました。前日訪ねた、水前寺公園の中にも「神水」の泉があり、それが長寿の水とも呼ばれていたのを思い出したからです。ワイフがよく、熊本のお水は日本一おいしいと自慢していますが、これだけ湧き水が豊富なところですから、信用しても(笑)いいかもしれませんね。

江津湖は、二つの湖がひょうたんのようにつながった形をしていますが、もう一方の湖のほとりを、さらに歩いていきますと、動植物公園の前に出ます。驚いたことがあります。ここまで来る間、7つか8つの句碑(歌碑もあったかもしれません)を見つけたことです。素人の私には、知らない方ばかりのでしたが、きっと江津湖にゆかりのある方ばかりなのでしょう。こういう美しいところに住むと、みな詩人になるのでしょうか。もちろん、汀女さんの存在が大きかったでしょう。みなさん、汀女さんの背中をみて、必死に追いかけてきたのだと思います。

清らかで、豊かな水をたたえ、暖かく包み込むような、江津湖が、中村貞女さんのお姿そのものにみえた1日でした。

・・・・・・


汀女さんの旧宅に近い世田谷区立羽根木公園の中にも句碑があります。 私は月が大好きですので(今夜の月も満月に近い、いい月でしたね)、この句が気に入りました。ワイフの高校の同級生は、この近くに住んでいて、毎朝、偉大な先輩の句碑にお参りする(笑)のを日課としているそうです。
  
   外にも出よ ふるるばかりに 春の月 (汀女)
コメント
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