昨日、吉野の桜に思いを馳せているとき、西行のいくつかの桜の歌を思い出しました。桜の歌もいいですが、西行の歌といえばやはり、「鴫(しぎ)立つ澤」でしょうか。
心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ澤の秋の夕暮れ
西行のような高度の感性がなくても、自分の身の丈の感性で、この歌から、秋の夕暮れの”あわれ”を十分感じることができます。
私は鴫の群れが澤を一斉に飛び立つ風景をみたことがありませんが、多分、こんなふうなのかと思ったことがあります。それは京都の鴨川の土手を、荒神橋から上流に向かって歩いているときに、途中で何十羽もの白鷺が川縁で羽根を休めているのを目にしました。数羽程度の白鷺なら、いつも、近くのいたち川でみていますが、こんなに群れている白鷺をみたのは初めてでした。その白鷺の群れが突如、一斉に羽音をたてて飛び立ったのです。その静から動の鮮やかな景観の変化、そしてまた、飛び立ったあとの静かな川辺の風景、とても印象に残る風景でした。もしこれが晩秋の夕暮れであったならば、さらに感慨は深まったことと思います。
「鴫立つ澤」の歌は、大磯の漁港にほど近い場所で作られたといいます。その場所に、鴫立庵が江戸時代につくられ、現在に至っています。小田原の俳人、崇雪が草庵を結んだのが始まりだといいます。京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つと言われています。
この鴫立庵を私は何度も訪れています。西行時代の風景を望む方が無理ですが、鴫立庵入り口のそばを流れる小川に架かる小さな橋に腰をかけ、できる限りの想像力を駆使して、澤を飛び立つ鴫の風景を追いかけたものでした。
白州正子さんの祖父の方がこの隣りに住んでいて、白州さんは子供の頃、週末ごとに訪れては、すぐ近くの浜辺や、となりの鴫立庵の庭で遊んでいたそうです。その頃の風景は今と違って、自然もたっぷり残っていたでしょうが、その付近で鴫をみたことが一度もなかったそうです。私は、西行は、別のところの風景を歌ったのではないか、あるいは想像の風景ではないかとも、思っています。そんなことはどうでもいいことだと思います。やっぱり歌の中では鷺や鶴では、リズムが悪いし、ここでは鴫しかありませんね。
白州正子さんはのちに「西行」を著わすほど、西行に思い入れを強めるようになります。小林秀雄さんも「西行」の名評論を残しています。西行が縁で(笑)、小林秀雄さんの娘さんが白州家にお嫁入りしました。そのご子息が白洲信哉さんで「小林秀雄、美と出会う旅」を編集しています。白州信哉さんの友人に茂木健一郎さんがいます。茂木さんは脳科学者でかつ文筆家でもあります。「脳と仮想」で第4回小林秀雄賞を受賞しています。数ヶ月前、近くのレストラン「ミカサ」でかつめしを食べているのを目撃しましたよ。仕事で大船に来ていたのでしょうか。今日、選挙を終えてから、私も、ここでかつめしを食べました。ワイフはチキンライスにオムレツがのっている、オムライスを食べました。おいしかったですよ。
西行の代表作とも言われる、”鴫立つ澤”の歌枕が、私が気軽に訪れることができる、近場の大磯の地にある幸運を嬉しく思います。また、足の痛みがひいたら訪れ、西行さんと桜談義でもしたいと思います。
・・・・
写真は鴫立庵から、歩いてすぐの、白州正子さんも子供の頃遊んだ大磯の海岸です。以前訪れたときに、鴫立庵の写真を撮っていたはずなのですが、見つからないので、これにしました。
心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ澤の秋の夕暮れ
西行のような高度の感性がなくても、自分の身の丈の感性で、この歌から、秋の夕暮れの”あわれ”を十分感じることができます。
私は鴫の群れが澤を一斉に飛び立つ風景をみたことがありませんが、多分、こんなふうなのかと思ったことがあります。それは京都の鴨川の土手を、荒神橋から上流に向かって歩いているときに、途中で何十羽もの白鷺が川縁で羽根を休めているのを目にしました。数羽程度の白鷺なら、いつも、近くのいたち川でみていますが、こんなに群れている白鷺をみたのは初めてでした。その白鷺の群れが突如、一斉に羽音をたてて飛び立ったのです。その静から動の鮮やかな景観の変化、そしてまた、飛び立ったあとの静かな川辺の風景、とても印象に残る風景でした。もしこれが晩秋の夕暮れであったならば、さらに感慨は深まったことと思います。
「鴫立つ澤」の歌は、大磯の漁港にほど近い場所で作られたといいます。その場所に、鴫立庵が江戸時代につくられ、現在に至っています。小田原の俳人、崇雪が草庵を結んだのが始まりだといいます。京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つと言われています。
この鴫立庵を私は何度も訪れています。西行時代の風景を望む方が無理ですが、鴫立庵入り口のそばを流れる小川に架かる小さな橋に腰をかけ、できる限りの想像力を駆使して、澤を飛び立つ鴫の風景を追いかけたものでした。
白州正子さんの祖父の方がこの隣りに住んでいて、白州さんは子供の頃、週末ごとに訪れては、すぐ近くの浜辺や、となりの鴫立庵の庭で遊んでいたそうです。その頃の風景は今と違って、自然もたっぷり残っていたでしょうが、その付近で鴫をみたことが一度もなかったそうです。私は、西行は、別のところの風景を歌ったのではないか、あるいは想像の風景ではないかとも、思っています。そんなことはどうでもいいことだと思います。やっぱり歌の中では鷺や鶴では、リズムが悪いし、ここでは鴫しかありませんね。
白州正子さんはのちに「西行」を著わすほど、西行に思い入れを強めるようになります。小林秀雄さんも「西行」の名評論を残しています。西行が縁で(笑)、小林秀雄さんの娘さんが白州家にお嫁入りしました。そのご子息が白洲信哉さんで「小林秀雄、美と出会う旅」を編集しています。白州信哉さんの友人に茂木健一郎さんがいます。茂木さんは脳科学者でかつ文筆家でもあります。「脳と仮想」で第4回小林秀雄賞を受賞しています。数ヶ月前、近くのレストラン「ミカサ」でかつめしを食べているのを目撃しましたよ。仕事で大船に来ていたのでしょうか。今日、選挙を終えてから、私も、ここでかつめしを食べました。ワイフはチキンライスにオムレツがのっている、オムライスを食べました。おいしかったですよ。
西行の代表作とも言われる、”鴫立つ澤”の歌枕が、私が気軽に訪れることができる、近場の大磯の地にある幸運を嬉しく思います。また、足の痛みがひいたら訪れ、西行さんと桜談義でもしたいと思います。
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写真は鴫立庵から、歩いてすぐの、白州正子さんも子供の頃遊んだ大磯の海岸です。以前訪れたときに、鴫立庵の写真を撮っていたはずなのですが、見つからないので、これにしました。