京都最終日はワイフの要望で、”西陣魚新”という老舗料亭で昼食をとりました。この夏の祇園祭見学ツアーコースのお食事処のひとつに、ここのお店が入っていたのです。そのとき、ワイフは、ここの京料理をとても気に入り、機会があったら是非もう一度と言っていたのです。
ボクらは、その日、歩いて鴨川を下り、角倉了以の”高瀬川一之船入跡”や、その近くの島津製作所の発祥地あたりを散策して、バスで南禅寺に向いました。山門前の紅葉はまだまだでしたが、その代わり、カエデの木の下の苔が一面、見事な緑色を、輝くような緑を魅せてくれていました。これだけでここまで足を伸ばした甲斐がありました。りっぱなお寺には、りっぱな苔が育つもんだ、と感心しました。
12時半予約の少し前に、その料亭の玄関を開けると、うつくしい和服姿のお姉さんが、○○さんですか、と笑顔で出迎えてくれました。そして、8畳間ぐらいの和室に案内されました。団体のときは大広間でしたが、今度は個室です(エヘン)。お部屋の調度品が素晴らしいです、舞妓さんを描いた金屏風、床の間には掛け軸、しっとりした図柄の花瓶。障子の中段のガラス窓越しに、わざわざ客のために灯したと思われる石灯ろうや緑の植え込みが目に入ります。
まず、お酒とお通しがきて、飲み始めていると、”西陣弁当”がはこばれてきました。四つのしきりの中に、それぞれ、お刺身、煮物、焼き物、ご飯がうつくしく盛りつけられていました。食べるのがもったいないくらいです。その中に、栗の渋皮煮も入っていました。栗好きのワイフは、あなたお酒があるんだから、これひとつちょうだいね、と言って、ふたつのうち、ひとつを大きな口の中に放り込んでしまいました。一瞬の早業に度肝を抜かれてしまいました。ボクも負けじと、今度はワイフが松茸のお汁を飲んでるスキをつき、ツバメ返しの早業で、鯛のお刺身をかすめ取りました。
仲居さんのお話ですと、このお店は安政2年にここ西陣の地で開業され、当代で8代目になるそうです。御所ご用達の歴史をもつ由緒ある老舗料亭なのですね。
帰りに近くの西陣会館に寄りましたら、ちょうど、西陣織の着物ショー(写真)が行われていました。”西陣”の地名の由来は、ここが、応仁の乱の西軍の本陣の地だったとゆうことだそうです。西陣織りもその時代からのものですから、古い歴史ですね。
京都は、何処へ行っても、どんな種類のお店を訪ねても、歴史と伝統が息づいていますね。なんだか遠い千年の昔からの空気がそのまま、ここにあるようで、とても、心落ち着つける町です。
ボクらは、その日、歩いて鴨川を下り、角倉了以の”高瀬川一之船入跡”や、その近くの島津製作所の発祥地あたりを散策して、バスで南禅寺に向いました。山門前の紅葉はまだまだでしたが、その代わり、カエデの木の下の苔が一面、見事な緑色を、輝くような緑を魅せてくれていました。これだけでここまで足を伸ばした甲斐がありました。りっぱなお寺には、りっぱな苔が育つもんだ、と感心しました。
12時半予約の少し前に、その料亭の玄関を開けると、うつくしい和服姿のお姉さんが、○○さんですか、と笑顔で出迎えてくれました。そして、8畳間ぐらいの和室に案内されました。団体のときは大広間でしたが、今度は個室です(エヘン)。お部屋の調度品が素晴らしいです、舞妓さんを描いた金屏風、床の間には掛け軸、しっとりした図柄の花瓶。障子の中段のガラス窓越しに、わざわざ客のために灯したと思われる石灯ろうや緑の植え込みが目に入ります。
まず、お酒とお通しがきて、飲み始めていると、”西陣弁当”がはこばれてきました。四つのしきりの中に、それぞれ、お刺身、煮物、焼き物、ご飯がうつくしく盛りつけられていました。食べるのがもったいないくらいです。その中に、栗の渋皮煮も入っていました。栗好きのワイフは、あなたお酒があるんだから、これひとつちょうだいね、と言って、ふたつのうち、ひとつを大きな口の中に放り込んでしまいました。一瞬の早業に度肝を抜かれてしまいました。ボクも負けじと、今度はワイフが松茸のお汁を飲んでるスキをつき、ツバメ返しの早業で、鯛のお刺身をかすめ取りました。
仲居さんのお話ですと、このお店は安政2年にここ西陣の地で開業され、当代で8代目になるそうです。御所ご用達の歴史をもつ由緒ある老舗料亭なのですね。
帰りに近くの西陣会館に寄りましたら、ちょうど、西陣織の着物ショー(写真)が行われていました。”西陣”の地名の由来は、ここが、応仁の乱の西軍の本陣の地だったとゆうことだそうです。西陣織りもその時代からのものですから、古い歴史ですね。
京都は、何処へ行っても、どんな種類のお店を訪ねても、歴史と伝統が息づいていますね。なんだか遠い千年の昔からの空気がそのまま、ここにあるようで、とても、心落ち着つける町です。