気ままに

大船での気ままな生活日誌

中也と小林秀雄は似てる?

2007-11-14 09:41:29 | Weblog
鎌倉文学館(写真)で”中原中也”展が開催されていますが、その会場で、中也関連の文学講座が同時開催されています。先日、その第1回”中原中也と小林秀雄”を聴講してきました。演者は、文芸評論家の新保祐司さんです。とても、面白い講演でしたよ。

ボクは若い時から小林秀雄さんのフアンで、彼の、多くの著作に目を通していますが(目だけです、頭には入っていない;滝汗)、そのひとつ、”中原中也の思い出”は好きな作品のひとつでした。鎌倉の妙本寺境内の、海棠の名木の前で、三角関係のトラブルのあと、久し振りに再会する二人。”花びらは死んだような空気の中を、真っ直ぐに間断なく、落ちていた、樹陰の地面は薄紅色に染まっていた” ”黙ってみていた中原が、突然、もういいよ、帰ろうよと言った” 二人の和解と言われている名場面です。

演者の新保さんは妙本寺の近くに住んでいて、ときどきこの場所を訪れるそうです。「小林さんのこの場面の文章は名文で、ほとんど”神話”になっているのですが、中也のその日の日記には”小林を誘って日本一の海棠を見にゆく、大したこともなし、しかし、きれいなものなり”とそっけないんですよ」と笑う新保さん。

東京神田の生まれの江戸っ子で、最高学府を卒業した評論家の小林と、山口生まれの”田舎もの”で中学も落第した、詩人の中也。両極端とも思える二人が、何故そんなに気が合うのか、実はとてもふたりは似ているのですよ、と新保さんが面白く説明してくれました。

二人とも、詩人であり大評論家でもあると言われたボードレールのフアンなんです。中也は詩人ですが、実は評論家的気質がかなり強く、彼の日記の中にいわば”直感的評論”ともいうべき記述が結構あるんだそうです。一方、小林の評論には詩的リズムが感じられるし、客観的な(評論)記述より、(詩のように)自分の心のうちを強く出すことで、思いを伝える文章が多いそうです。

たしかですね、モーツアルト論を述べる中で、自分のさまよえる青春時代を語る、あの道頓堀をふらつく場面なんか”詩的”ですね。それに、「モーツアルトのかなしさは疾走する。涙はおいつけない。涙の裡(うち)に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた”かなしい”という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモーツアルトの後にも先にもいない」 こうゆう記述もほとんど詩人のそれですね。

ちょっと意外だったですが、二人とも”まともな人間”が好きで、実際、二人とも、結構、”まとも”だったそうです。小林の近所に(扇谷の時代)、島木健作が住んでいましたが、この人は、作風もそうですが、まじめ人間の典型みたいな人だったそうです。この島木を小林はとても気に入り、仲良くしていたそうです。中也も島木と懇意にしていたそうですから、3人とも、心のうちは同じ”まとも”色だったのでしょうね。”字は人を表わす”と良く言いますが、展示場でみた中也の字は、きれいな、まさに”まともな”字でしたよ。

その他、二人とも”古風”であり、また”宗教性”をもつ共通点もあるそうです。中村光夫が、近代批評を確立した小林を”ミスティック(神秘的)”なところのある大評論家だと評したそうです。ふむふむ、むにゃむにゃ、この辺になるとボクの頭では理解できないですが、いろいろ面白い話が聴けたです。

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講演のあと展示会場をワイフと一緒にみて回りました。中也と小林が再会した頃の妙本寺境内の満開の海棠の写真もありました。さすが、名木ですね、りっぱな咲きぷりでした。現在の海棠は3代目だそうです。

中也の詩がいくつもパネルに飾ってありましたが、そのひとつを紹介しますね。

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湖上

ポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、風も少しはあるでしょう。

沖に出たらば暗いでしょう、櫂からしたたる水の音は
ちかしいものに聞こえましょう、ーーあなたの言葉のとぎれ間を。

月は聴き耳立てるでしょう、すこしは降りてもくるでしょう。
われらくちづけする時に 月は頭上にあるでしょう。

あなたはなおも、語るでしょう、よしないことやすねごとや、
漏らさず私は聴くでしょう、ーーけれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出掛けましょう、
波はヒタヒタ打つでしょう、風も少しはあるでしょう。

「在りし日の歌」所収





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