今回の京都旅行の主な目的のひとつに、今、開催されている”京都非公開文化財特別拝観(秋期)”にあります。最初の日、宿に近い、3つの施設を訪れました。それぞれ、簡単に紹介したいと思います。テーマがまじめなものですので、だじゃれは少なめにいたしました。
冷泉家住宅:御所のお隣りです。同志社大学とも隣接しています。冷泉家は歌聖と仰がれる藤原俊成、定家父子を遠祖とする(定家の孫、冷泉為相(ためすけ)が初代)”和歌の家”です。明治になって、京都にあったほとんどの公家は東京に移りましたが、この冷泉家だけが、留守居役としてここに残りました。現存する最古の近世公家住宅として重要文化財に指定されています。2年前から公開するようになったようです。上の間、中の間、使者の間と一列に繋がる座敷棟が見事です(写真)。各座敷には、丸山応挙の鷹図や月次図屏風などが、そして和歌の家らしく、たくさんの”貝合わせ”も並べられていました。
ボクが一番カンドーした建築物は”御文庫”と呼ばれる蔵でした。20センチの厚い白壁が、あの、都の過半を焼き尽くしたという天明の大火のときに、冷泉家に伝わる新古今集など貴重な典籍、古文書を守ったそうです。御文庫が冷泉家の信仰の対象になっているとゆうのもうなずけます。”冷泉”家だから大火に対抗できたのでしょう、”温泉”家だったらどうだったか(笑)。茶化してはいけませんね、”礼せん”なあきまへんな、ぺこり。
冷泉為相のお墓が鎌倉の扇谷の浄光明寺の境内(裏山)にあり、ボクも去年のお彼岸にお参りしました。為相のお母さんは、あの十六夜日記の阿仏尼(あぶつに)です。為相は、遺産相続の関係で幕府へ訴訟にきた母、阿仏尼のあとを追って鎌倉にきたのです。そのあと、歌人として、鎌倉で生涯を全うしたのです。阿仏尼のお墓も鎌倉にあります。冷泉家は鎌倉と深い関わりがあるのです、エヘン。
廬山寺:これも御所のご近所です。紫式部の邸宅跡でもあります。この場所で式部は藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子を育て、源氏物語を執筆したのです。寺院内に近年、源氏物語ゆかりの庭がつくられ、源氏雲をかたどった苔の雲が白砂の空に浮かんでいました。苔といえば、このお寺の境内の何気ない苔もとてもきれいでした。また、紫式部に因み、紫の桔梗の花は終わっていましたが、代わりに竜胆が紫の花を咲かせていました。特別拝観としては、源氏物語に因んで、住吉広尚画”若紫”、そして、このお寺を開山された元三大師像などがありました。来年、源氏物語”生誕”1000年を迎えますので、大変な人気になるでしょうね。静かな、今のうちみておいた方がいいですよ(笑)。
京都御所:御苑内には何度も入ったことはありますが、通常公開されていない御所内は初めてだったように思います。観光バスがいくつも来ていて、大盛況でした。人気がありますね。入場すると、まず御車寄、そして、諸大夫の間、新御車寄と見学て行きます。圧巻は、建礼門の前を通り、大きな広場に入ると、そこには壮大な建築物がそびえています。紫宸殿です。即位礼など最重要な儀式を行う正殿だそうです。デジカメでは全景を撮ることができませんでした。左近の桜、右近の橘も控えていました。そしてさらに進むと、天皇が日常生活に使用された清涼殿、皇太子の即位式に使用された小御所、御学問所もみることが出来ます。建築物に関心のある方には、最高のところかもしれません。平安時代の寝殿造りから室町時代の書院造りへの建物様式の変遷をつぶさにみられるそうです。御池庭そして御内庭のお庭もりっぱでしたよ。
御所を出て、ボクらは11万平米もあるとゆう、築地塀に囲まれた御苑内の、ゆったりした木々の秋景色の中を散策しながら、近くのホテルに戻ったのでした。
冷泉家住宅:御所のお隣りです。同志社大学とも隣接しています。冷泉家は歌聖と仰がれる藤原俊成、定家父子を遠祖とする(定家の孫、冷泉為相(ためすけ)が初代)”和歌の家”です。明治になって、京都にあったほとんどの公家は東京に移りましたが、この冷泉家だけが、留守居役としてここに残りました。現存する最古の近世公家住宅として重要文化財に指定されています。2年前から公開するようになったようです。上の間、中の間、使者の間と一列に繋がる座敷棟が見事です(写真)。各座敷には、丸山応挙の鷹図や月次図屏風などが、そして和歌の家らしく、たくさんの”貝合わせ”も並べられていました。
ボクが一番カンドーした建築物は”御文庫”と呼ばれる蔵でした。20センチの厚い白壁が、あの、都の過半を焼き尽くしたという天明の大火のときに、冷泉家に伝わる新古今集など貴重な典籍、古文書を守ったそうです。御文庫が冷泉家の信仰の対象になっているとゆうのもうなずけます。”冷泉”家だから大火に対抗できたのでしょう、”温泉”家だったらどうだったか(笑)。茶化してはいけませんね、”礼せん”なあきまへんな、ぺこり。
冷泉為相のお墓が鎌倉の扇谷の浄光明寺の境内(裏山)にあり、ボクも去年のお彼岸にお参りしました。為相のお母さんは、あの十六夜日記の阿仏尼(あぶつに)です。為相は、遺産相続の関係で幕府へ訴訟にきた母、阿仏尼のあとを追って鎌倉にきたのです。そのあと、歌人として、鎌倉で生涯を全うしたのです。阿仏尼のお墓も鎌倉にあります。冷泉家は鎌倉と深い関わりがあるのです、エヘン。
廬山寺:これも御所のご近所です。紫式部の邸宅跡でもあります。この場所で式部は藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子を育て、源氏物語を執筆したのです。寺院内に近年、源氏物語ゆかりの庭がつくられ、源氏雲をかたどった苔の雲が白砂の空に浮かんでいました。苔といえば、このお寺の境内の何気ない苔もとてもきれいでした。また、紫式部に因み、紫の桔梗の花は終わっていましたが、代わりに竜胆が紫の花を咲かせていました。特別拝観としては、源氏物語に因んで、住吉広尚画”若紫”、そして、このお寺を開山された元三大師像などがありました。来年、源氏物語”生誕”1000年を迎えますので、大変な人気になるでしょうね。静かな、今のうちみておいた方がいいですよ(笑)。
京都御所:御苑内には何度も入ったことはありますが、通常公開されていない御所内は初めてだったように思います。観光バスがいくつも来ていて、大盛況でした。人気がありますね。入場すると、まず御車寄、そして、諸大夫の間、新御車寄と見学て行きます。圧巻は、建礼門の前を通り、大きな広場に入ると、そこには壮大な建築物がそびえています。紫宸殿です。即位礼など最重要な儀式を行う正殿だそうです。デジカメでは全景を撮ることができませんでした。左近の桜、右近の橘も控えていました。そしてさらに進むと、天皇が日常生活に使用された清涼殿、皇太子の即位式に使用された小御所、御学問所もみることが出来ます。建築物に関心のある方には、最高のところかもしれません。平安時代の寝殿造りから室町時代の書院造りへの建物様式の変遷をつぶさにみられるそうです。御池庭そして御内庭のお庭もりっぱでしたよ。
御所を出て、ボクらは11万平米もあるとゆう、築地塀に囲まれた御苑内の、ゆったりした木々の秋景色の中を散策しながら、近くのホテルに戻ったのでした。