ボクの家の近くの、砂押川沿いの桜並木の桜が、数日前からようやく赤みを増し、”桜もみじ”らしくなってきました。今朝の散歩で写真を撮ってきました。この日記でも、何度か紹介している桜並木ですが、この桜は昭和11年に松竹撮影所が蒲田から大船に引っ越ししてきた記念に植えられたもので(古稀越えですね)、そんじょそこらの桜とはワケが違うのです(笑)。
ボクは、ここの桜一本一本に松竹の俳優さんや監督さんの名前をつけています。先日のディナーショーの加山雄三さんのお父さん、上原謙桜も、中井貴一さんのお父さんの佐田啓二桜もあります。そうそう、いかにもひょうきんそうな姿の寅さん桜もありますよ。一方、若手の桜(最近植えられたものです)では、”武士の一分”のキムタク桜、そしてその横の若桜は、奥さん役の壇れい桜です。寄り添っています(笑)。
これらの桜は、松竹2号橋の近くにあり、いずれも見事な桜もみじになっていました。もうひとつ向こうの裏門橋(女子大の裏門前にあるので、ボクが勝手につけた名前)の近くに、川をはさんで、上の方の枝が仲良くからみあっている(笑)、原節子桜と小津桜があります。きっと、これらも、きれいなもみじになっているだろうなと思って近寄ってみました。
ところが、ななななんと、桜紅葉どころか、ほとんどの葉っぱをすでに落とし、みる影もないじゃあ~りませんか。とほほ、どうゆうことだ、永遠の処女、永遠の美貌、原節子桜の面影はどこに行ったのでありんすか。ボクは途方にくれてしまったのでございます。
なぜ、この2本の桜だけが、そんなに早く冬支度しなければならないのか、ボクはない頭をふりしぼって考えました。そして、はたと気づいたことがありました。ボクがこの桜の木に、原節子とゆう松竹ナンバーワンの大女優の名前をつけたのにはワケがあったのです。すごい桜なのですよ。まず、今年の開花が3月19日で、ほかの砂押川の桜より1週間近く早く(おそらく鎌倉一です、エヘン)、加えて、最後の桜が、ななんと、みどりの日までもたせ、最後の花を飾った、女王桜なのです。因みに小津桜は開花も最後の一輪も、原節子桜に1日ずつ負けています。
そうか、花に命をかけているのだ、花の生涯だ、桜田門外の変だ、変だ変だと思ったらそうゆうことだったのだ。そうだ、そのために、紅葉美を捨てたのだ。のんきに、もみじ饅頭を食べているヤツには枯れ枝の気持ちはわからない、早々と冬支度をして、来春の開花一番乗りに備えているのだ。なるへそ、”二兎追うもの一兎も得ず”か。エライ、エライ、サライ、サライはワイフの愛読誌、ボクの愛読誌は週刊新潮。
桜並木の桜さん達も、それぞれの晩秋を迎えていました。
ボクは、ここの桜一本一本に松竹の俳優さんや監督さんの名前をつけています。先日のディナーショーの加山雄三さんのお父さん、上原謙桜も、中井貴一さんのお父さんの佐田啓二桜もあります。そうそう、いかにもひょうきんそうな姿の寅さん桜もありますよ。一方、若手の桜(最近植えられたものです)では、”武士の一分”のキムタク桜、そしてその横の若桜は、奥さん役の壇れい桜です。寄り添っています(笑)。
これらの桜は、松竹2号橋の近くにあり、いずれも見事な桜もみじになっていました。もうひとつ向こうの裏門橋(女子大の裏門前にあるので、ボクが勝手につけた名前)の近くに、川をはさんで、上の方の枝が仲良くからみあっている(笑)、原節子桜と小津桜があります。きっと、これらも、きれいなもみじになっているだろうなと思って近寄ってみました。
ところが、ななななんと、桜紅葉どころか、ほとんどの葉っぱをすでに落とし、みる影もないじゃあ~りませんか。とほほ、どうゆうことだ、永遠の処女、永遠の美貌、原節子桜の面影はどこに行ったのでありんすか。ボクは途方にくれてしまったのでございます。
なぜ、この2本の桜だけが、そんなに早く冬支度しなければならないのか、ボクはない頭をふりしぼって考えました。そして、はたと気づいたことがありました。ボクがこの桜の木に、原節子とゆう松竹ナンバーワンの大女優の名前をつけたのにはワケがあったのです。すごい桜なのですよ。まず、今年の開花が3月19日で、ほかの砂押川の桜より1週間近く早く(おそらく鎌倉一です、エヘン)、加えて、最後の桜が、ななんと、みどりの日までもたせ、最後の花を飾った、女王桜なのです。因みに小津桜は開花も最後の一輪も、原節子桜に1日ずつ負けています。
そうか、花に命をかけているのだ、花の生涯だ、桜田門外の変だ、変だ変だと思ったらそうゆうことだったのだ。そうだ、そのために、紅葉美を捨てたのだ。のんきに、もみじ饅頭を食べているヤツには枯れ枝の気持ちはわからない、早々と冬支度をして、来春の開花一番乗りに備えているのだ。なるへそ、”二兎追うもの一兎も得ず”か。エライ、エライ、サライ、サライはワイフの愛読誌、ボクの愛読誌は週刊新潮。
桜並木の桜さん達も、それぞれの晩秋を迎えていました。