気ままに

大船での気ままな生活日誌

さようなら晩秋

2007-11-30 22:53:19 | Weblog
今日で11月もあと数時間で終わりです。明日からはもう師走、初冬と呼ばれる季節に入ります。それで、ボクは、さよなら晩秋、また会う日までと、ちょっと一筆しておこうと思ったのです。

ボクは今の、この晩秋の季節が、もしかすると、梅が咲き始める早春や、桜の咲き誇る華やかな季節や命の息吹が感じられる新緑の候より、好きなのかもしれないと思うことがあります。朝の散歩の時だって、昼の散歩のときはもちろんのこと、ときには日暮れの散歩のときでさえ、ボクは、道ばたや、川端や、一軒家の生け垣や庭、そして何よりも近くの山々の木々の、赤や黄色にうつくしく変身した姿についついみとれている時間が、どの季節よりも多いと感じるからです。

カエデや、にしきぎやなんきんはぜのような真っ赤な紅葉はもちろんですが、イチョウの黄色、そして、けやきやくぬぎやとちのきなどの落葉樹の枯れ葉色にだって、それぞれ、あの、新緑の頃、真夏の深緑の頃には気づかなかった、何かが感じられます。それは、役目を終え、去りゆくいのちが発する、安堵のためいきでしょうか。

さようなら、2007年の晩秋、また会う日まで。

・・・
四季の歌

作詞・作曲 荒木とよひさ

春を愛する人は 心清き人
 すみれの花のような ぼくの友だち

夏を愛する人は 心強き人
 岩をくだく波のような ぼくの父親

秋を愛する人は 心深き人
 愛を語るハイネのような ぼくの恋人 (ボクのこと、これを言いたかったのだ、

冬を愛する人は 心広き人
 根雪をとかす大地のような ぼくの母親
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小津安二郎の”彼岸花”を観る

2007-11-30 09:47:56 | Weblog
鎌倉市民になって良かったことのひとつに、しばしば小津安二郎監督の映画をスクリーンで観られるということがあります。小津監督の仕事場であった松竹大船撮影所があったこともあり、関係者も多く、何かというと、小津作品が上映されるのです。今回も選挙関係の集会の人寄せ(失礼、ぺこり)に、”彼岸花”が上映されたのです。

この作品は1958年(昭和33年)作品で、この年の映画人口が、映画史上最高の11億2000万人となったときです。ボクはその頃、中学生で時代劇全盛の東映専門で、松竹の映画なんか観たことはありませんでした。この映画はその年のベスト10に入ったそうです。

小津作品最初のカラー作品ということで、ボクはその色に注目していました。小津監督のお好きな赤がどう配置されているか、そして、題名の”彼岸花”の赤がどこで、効果的に出てくるのだろうか、楽しみにしていました。

ところがです、最後の最後まで、彼岸花のひとつも出てこないのです。確かに物語の季節は初秋らしいですが、彼岸花の赤はどこにも咲いていないのです。どうも題名は物語と関係なくつけたようでした。これも小津流なのでしょう。しかし、彼岸花に代わって、とっても可愛い、真っ赤なやかんが茶の間の、どの場面にも出演していましたよ。まるで、佐分利信、田中絹代夫妻が飼っているワンちゃんみたいで、とても存在感がありました。さすが小津さんと思いました。

小津監督は初めてのカラー作品をつくるに当って、”カラーだからと言って、いろんな色を入れるようなことはしない、嫌いな色は入れない、むしろ色を省くようにしたい、色即是空、空即是色でいきたい”と言っていたらしいです。実際、全体的な色合いはむしろ地味で、しっとりした、落ち着いた印象でした。

物語は娘、有馬稲子(役の名が、”おはよう”と同じく、またもや節子さんです、もちろん原節子さんが頭にあります、苦笑)の、佐田啓二との結婚を快く思わない父親(佐分利)をめぐる家族と友人の日常を描いたものです。京都旅館の女将(浪速千栄子)の娘、山本富士子の機転で結婚を佐分利に認めさせ、でも式には出ないと行っていた父親が当日になって出る決心をしてほろりとさせます。友人の笠智衆と娘、久我美子にも同様な問題があり、これも父親が許すということになります。

小津流のコミカルな場面があちこちに仕込まれていて、大げさでない、普通の笑いが自然とこぼれてくるとても楽しい映画でした。
・・・

写真は小津監督がねむる北鎌倉の円覚寺です。昨日、長谷寺の帰りに寄ってみましたら、小津監督の大好きな真っ赤な色が、紅葉が、山門前をおおっていました。





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