気ままに

大船での気ままな生活日誌

お能、狂言は面白い

2008-01-15 08:54:27 | Weblog
近くの鎌倉芸術館で先日開催された、鎌倉能楽シリーズ”名曲鑑賞能(第3回)”を観てきました。ボクの”なんでもみてやろう”シリーズ、第○回です(笑)。予備知識はほとんどなく、のりこみました。

狂言は”咲嘩(さっか)”という題目で、野村万作(シテ・太郎冠者)、野村万の介(アド、咲嘩)、石田幸雄(アド、主)の出演です。咲嘩とは詐欺師のことで、この男と冠者、そして冠者に連歌の宗匠をつとめてもらうため京都の伯父を連れてきて欲しいと依頼した主人(アド)との会話がとても面白いです。伯父と思って連れてきた人は、なうての詐欺師だったのです。

まるで名人の落語を聞いているみたいでした。舞台は写真のように、なんの飾りもありませんが、役者の所作を見、言葉を聞くだけで、たとえば、太郎冠者が人捜しに行った、京都の町の賑わいが容易に目に浮かんできます。それに言葉のやりとりが面白く、くすくすと観客の笑い声が絶えません。ぼくらが子供のころ、”まね小僧”と叱られた、相手の言葉を、そのまま相手に返す(この劇では主人の言葉を、シテが、咲嘩に送る)という場面はおかしくて(子供時代を思い出しながら)クククッと笑ってしまいました。

役者が舞台を去るときもスマートです。普通の(西洋の)劇場のように幕はありませんので、急に幕引きではなく、役者がしゃなりしゃなりとゆっくり順番に去って行きます。余韻を残しながらの退場が何ともいえずいいです。

そして、能は”隅田川”。狂言が喜劇ならば、こちらは悲劇です。お涙ちょうだいの物語です。ちらしのプログラムであらすじを読んでおけば、多少言葉はわからなくても大丈夫です。狂言が”3(4)人落語”なら、こちらは和製ミュージカルだと思いました。笛、小鼓、大鼓のひびきと地謡の合唱、それが絶えず流れていて、ここちよいです。シテ狂女(大槻文蔵)だけがお面をかぶって演じます。子供が人さらいにさらわれ、狂ってしまい、子供を捜す旅に出ています。渡し船の船頭(宝生閑)から、今、川向うで行われている法要が1年前にここで病死した少年のためであることを知らされ、その子の年齢や名前から、我が子であることを確信します。お墓に参り、念仏を唱えていると、我が子、梅若丸(赤松裕一)の亡霊が現われてくるという筋立てです。

これも、松の絵が描かれただけの舞台(今回はつくりものとして、草葉の下のお墓だけが中央に置かれていましたが)で演じられます。でも、わずかな、簡素化された所作と役者の”せりふ”と地謡によって、ありありとその場の風景が目に浮かんできます。

きっと、舞台装置も削りに削って、今のかたちになったのだと思います。それぞれの人に、それぞれの風景を自由に想像させるということでしょう。

何の知識もなくても、能と狂言は面白く、鑑賞できます(きっぱり)。だって、むかしの人だって、能の細かい決まり事など知らないで、舞台を楽しんでいたはずですからね。また、機会あるごとに出掛けたいと思いました。みなさんも、お能?Oh No なんて言わないで、是非観にいかれることをお奨めします。

コメント
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