先日ボク宛にきた手紙の時候の挨拶に、”晩冬の候”とありました。ボクはこの”晩冬”の言葉を使ったことがありませんでしたので、なんだか新鮮に感じました。でも、ちょっと、言葉のひびきから受ける印象がよくないなと思いました。晩春、晩夏、晩秋、いずれもやわらかなひびきがあり、情緒もあり、小説や映画の題名にも使いたいような雰囲気があります。でも、”晩冬”の言葉にはそうゆう優雅な雰囲気がないのです。実際、小津安二郎作品に”晩春”はありますし、”麦秋””早春”もありますが、”晩冬”はありません。
”晩冬”には雰囲気がない。何故でしょう。ワープロで”ばんとう”と打つと、まず”番頭”が出てきますように、誰も”晩冬”を、はじめに思い浮かべません。番頭とゆうと、ボクらの世代では、子供の頃よくみた”番頭はんと丁稚どん”を思い浮かべてしまい、もうアタマの中はどたばた喜劇の舞台になってしまいます。だから、小津作品にも、”早春”はあっても、”晩冬”はないのです。俳句でも使われたのをみたことがありません。小説の題名でも決してありません。それほど、”晩冬”はみんなからばかにされいるのです。
また、”ばんとう”の一字を変えても、”べんとう(弁当)”しかなりませんし、上下ひっくり返しても、”とうばん(当番)”ですし、もうどうにもしようもない言葉なのです。
ボクはこの”晩冬ちゃん”がとてもかわいそうになって、なんとか、他の季節のように、俳句や小説や映画に使われるようにさせてあげようと思いました。そのためには、これぞ、”晩冬”といったしびれる風景を見つけ出し、それを売り出すことによって、晩冬ちゃんのイメージチェンジをはかろうと考えたのです。
で、ボクはかまくら散歩に出掛け、そういう晩冬風景を探しに出掛けたのでありんす。ところが、なんと、景色の方まで、”晩冬”嫌って、まだ晩秋や初冬の風情を名残惜しそうに残しているもの、あるいは、春を待ちきれない風情の景色のどちらかだったのです。それらをまず、紹介してみたいと思います。
。。晩秋、初冬がまだ名残惜しい景色。。
枯れ葉がいっぱいの木、ススキの穂、つわぶきの花、どれも晩秋の趣ですね。
。。春が待ち遠しい景色。。
紫陽花の新芽、河津桜の花芽そしてユキヤナギの開花、もう早春の趣ですね。
待ちきれない方ばかりではありません。
”わたしマツわ””ボクも待つよ””吉報待つわ”
以上のように、これは、という”晩冬”の景色はありませんでした。でも、こういう、早春やら晩秋やら初冬やら、入り混じった景色こそが、きっと”晩冬”の景色なのでしょうね。
いや、ボクらこそ晩冬の季節だという方がおりました。なるほどね。”ばんとう(板十)”ですね。板が十枚たてかけてあります、ベンチは10枚の板で出来ていますね。ちょっとくるしいかな。
以上、今日訪ねた長谷寺の景色が中心です。
”晩冬”には雰囲気がない。何故でしょう。ワープロで”ばんとう”と打つと、まず”番頭”が出てきますように、誰も”晩冬”を、はじめに思い浮かべません。番頭とゆうと、ボクらの世代では、子供の頃よくみた”番頭はんと丁稚どん”を思い浮かべてしまい、もうアタマの中はどたばた喜劇の舞台になってしまいます。だから、小津作品にも、”早春”はあっても、”晩冬”はないのです。俳句でも使われたのをみたことがありません。小説の題名でも決してありません。それほど、”晩冬”はみんなからばかにされいるのです。
また、”ばんとう”の一字を変えても、”べんとう(弁当)”しかなりませんし、上下ひっくり返しても、”とうばん(当番)”ですし、もうどうにもしようもない言葉なのです。
ボクはこの”晩冬ちゃん”がとてもかわいそうになって、なんとか、他の季節のように、俳句や小説や映画に使われるようにさせてあげようと思いました。そのためには、これぞ、”晩冬”といったしびれる風景を見つけ出し、それを売り出すことによって、晩冬ちゃんのイメージチェンジをはかろうと考えたのです。
で、ボクはかまくら散歩に出掛け、そういう晩冬風景を探しに出掛けたのでありんす。ところが、なんと、景色の方まで、”晩冬”嫌って、まだ晩秋や初冬の風情を名残惜しそうに残しているもの、あるいは、春を待ちきれない風情の景色のどちらかだったのです。それらをまず、紹介してみたいと思います。
。。晩秋、初冬がまだ名残惜しい景色。。
枯れ葉がいっぱいの木、ススキの穂、つわぶきの花、どれも晩秋の趣ですね。
。。春が待ち遠しい景色。。
紫陽花の新芽、河津桜の花芽そしてユキヤナギの開花、もう早春の趣ですね。
待ちきれない方ばかりではありません。
”わたしマツわ””ボクも待つよ””吉報待つわ”
以上のように、これは、という”晩冬”の景色はありませんでした。でも、こういう、早春やら晩秋やら初冬やら、入り混じった景色こそが、きっと”晩冬”の景色なのでしょうね。
いや、ボクらこそ晩冬の季節だという方がおりました。なるほどね。”ばんとう(板十)”ですね。板が十枚たてかけてあります、ベンチは10枚の板で出来ていますね。ちょっとくるしいかな。
以上、今日訪ねた長谷寺の景色が中心です。