気ままに

大船での気ままな生活日誌

英勝寺 山門復興

2011-05-18 10:31:48 | Weblog

鎌倉で惟一の尼寺、英勝寺。えっ、東慶寺も尼寺ではないの?かってはそうでしたが、今は男寺です。寛永13年(1636)に水戸家初代、徳川頼房の養母、お勝の方(のち英勝院)が建立し、水戸御殿とよばれるほど、りっぱなお寺だった。ここは、江戸城を築城した太田道灌(英勝院のご先祖)の住居跡である。

このお寺も、90年前の関東大震災で倒壊し、仏殿などは再建されたが、山門だけが今日まで残されていて、この16日に落成法要が行われたばかりなのだ。ぼくは、その日に見学できるものと思って駆けつけたが、その日は美術館でいえば、内覧会みたいなもので、関係者ばかりの集まりだった。一般の人は17日からというので、午後、訪ねてみた。

ちょうど、説明がはじまったばかりですよ、と受付の方が教えてくれた。ラッキーだった。たまたま、再建にかかわった方が、彼の関係者らしいグループに解説していたのだ。苦労話(ミーハーのぼくにはこういい話が面白い;汗)や専門的な建築の話など、とても興味深く聞かせていただいた。

倒壊した山門は、お寺で再建する財力はなく、鎌倉の篤志家に買われ、小町に移築されていた。それが売却されることになったので、01年に英勝寺が買い取り、今回の再建に至ったということだ。約1億5000万円の再建費用の捻出には、今回の説明者の献身的な努力によるところが大きい。彼は、解体した古材(10年間、寺の倉庫に保存された)を再建するという前提で、県の重要文化財に指定してもらったそうだ。それにより、県と市から8000万円の補助が出る、残りを寄付金等でまかなったとのことだ。

県重文指定は、仏殿、山門、唐門、鐘楼、祠堂のいずれの建物も受けているので、今回の山門再建で、勢揃いしたことになる。これだけそろっての江戸初期の建物があるお寺は、日本でも少ないらしい。山門自体も、(江戸初期の建築なので)桃山時代のおおらかさを残し、また尼寺らしい優雅さを供えた名建築ということだ。以下、写真でご紹介したい。

 山門全景。屋根の軒反りがなく、直線的。上層に高欄を巡らし、眼象窓(げぞうまど)と呼ばれる、しゃれた窓がついている。内部には阿弥陀仏三尊と十六羅漢が安置されている。

蟇股(かえるまた)の彫り物。かえるが足をひろげたような格好、その中に彫刻が。一番左は麒麟。あとは拡大していただければ、分かると思います。

当時の朱色がまだ残っている。古材である証拠。そして三葉葵のご紋、上層部、扉

そして、仏殿、唐門、総門、鐘楼、祠堂(お霊屋のこと)

 関東大震災で倒壊し、東日本大震災の年に復興。不思議なご縁ですね。
とても楽しい、そして勉強になった、”竹の秋”の午後でした。(写真は、境内の竹林です)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする