気ままに

大船での気ままな生活日誌

画家たちの二十歳の原点

2011-05-30 11:42:45 | Weblog

平塚市美術館で、開館20周年記念展として”画家たちの二十歳の原点”が開催されている。明治時代から現代にいたる画家たちの二十歳前後の作品を集めたユニークな展覧会である。

まず黒田清輝の自画像。トルコ帽をかぶった顔は意外とのっぺりした顔だった。悩みなんかないようにみえた(笑)。このあとも、いろいろな画家の自画像があちらこちらに登場する。深刻な、あるいは悲しげな、苦しげな顔が多い。二十歳ころは格好をつけたがるものだが、黒田はそのままを描いたのだろう。”祈祷”は、はやくも黒田らしさが出ている、いい絵だった。

黒田の弟子すじのコメントが面白い。熊谷守一。”裸ばかり描いていても意味はないと思う、まだほかに沢山あるのでは”と思いながら、裸体画ばかりを描いていた。黒田の指導方針は、まず裸体デッサン、それからコスチューム、そして組み合わせと進み、印象派らしい外光を意識させるというものだったという。同級生に青木繁がいる。”静物のりんごひとつ描くにも、そのりんごに対する観念、思想があらわされなくてはならない”と若き心は反発する。坂本繁二郎、”少年時代は絵を描くことが嬉しかったのに、東京にきたら、だんだん面白くなくなってきた”と、ここでは”町裏”が展示されている。心の中には♪裏町人生♪が流れていたことだろう。

梅原龍三郎は20歳でルノアールに会うが、そのあとすぐの作品”はふ女”(どういう意味だろうか)はルノアールそのままの放漫豊満な女の裸体画だった。”でぶ女”のミスタイプではないだろうか(爆)。安井曾太郎はセザンヌの亡くなった翌年、パリへ行く。セザンヌ絵画のコレクションをみて感激。そのあと、どんな景色をみてもセザンヌの絵になってしまったそうだ。18歳の自画像とセザンヌ風、風景画がふたつ。中村つね、木村壮八の自画像。こういう顔してたんだ。高島野十郎の”傷を負った自画像”はすごい。

中川一政。”実篤がはじめてゴッホを認めたことから、われわれ素人でも絵を描けるという自覚を与えられた。武者さんがいなかったら、今の自分がない”という。現在でも、美術界は、芸大出だとか、そんな学閥みたいのがあるのだろうか。(いつか日本画家のトークで自分は5浪もして入学したというのを聞いて、びっくりした。それだけ”価値”があるのだろう)科学界も、以前は大学出でなくても、牧野富太郎博士のような大学者が出たが、現代では難しいだろう。世の中は”もっともっと自由でなきゃ”と思うのだが。

芸大出身の会田誠の”まんが屏風”も面白かった。担当の教授にののしられたが、心の中で叫んだそうだ、”おまえの百倍は真剣に毎日、日本の美術とは何かを考えてる!!”。横尾忠則は”織物祭(西脇市)”、池田満寿夫、森村秦昌、石田徹也、大竹伸朗とつづく。

絵ばかりでなく、コメント付きなので、当時の作者の心意気まで聞こえてくる、楽しい展覧会であった。おわりに、森村秦昌の言葉を付け加えておこう。

二十歳の頃は確かに未完成で、不安定で、お先真っ暗で、何もかもうまくいかなかった。だが、その閉塞感のなかで、どうしようもなく内からわきあがる、純粋な表現の衝動があった。そのことに最近、やっと理解が及んだ。四十年もの回り道をしたことになる。

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