気ままに

大船での気ままな生活日誌

こどもの情景/戦争と子供たち 写真展

2011-05-29 17:30:20 | Weblog

東京都写真美術館は約26000点の所蔵品があり、これらから選抜し、毎年、コレクション展を開催しているとのことだ。今年のテーマは、”こどもの情景”で、3回に分けて展示し、5月からのサブテーマが”戦争と子供たち”というわけだ。1930年代から1990年代までのが展示されているが、太平洋戦争の戦中、戦後のこどもたちが中心だ。

内外の40名近い作家の作品がずらりと大会場を埋め尽くしているのだから壮観だ。木村伊兵衛、土門拳、林忠彦らぼくでも知っている写真家の作品も、ちらちら顔を出す。彼らが見事に、ぼくらのこども時代の貧しい生活を切り取っていた。紙芝居を一生懸命みているこどもたち、こっぺぱんをかじっている子、靴磨きをしている子、赤ん坊をおぶっている女の子。はるか記憶の彼方にいってしまっていた光景が今、ここに呼び戻され、ぼくの心をゆさぶる。

しかし、この、こどもの情景は、3・11の東日本大震災と原発事故により、再び現実のものとして帰ってきた。しかし、貧しいながらも、当時のこどもたちの表情が明るかったのが救いだ。今のこどもたちも、この苦難を乗り越え、必ずや、あたらしい日本をつくってくれると思う。

 

 ぼくの作品(汗) こどもの情景

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ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968

2011-05-29 09:19:11 | Weblog

目黒の森から出てきて、ふと、あの写真展のことを思い出した。恵比寿は目黒の隣り駅。恵比寿ガーディンプレイスの東京都写真美術館で開催されている、”ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968”展のことだ。めったに観られないと思ったら、どうしても行きたくなった。行って良かったと思った。目は口ほどにものをいう、そんな写真展だった。

1968年8月、まだはじまったばかりの、言論の自由を柱にした改革”プラハの春”を押しつぶすかのように、突如、ソ連軍(ワルシャワ条約機構軍)がプラハに侵攻した。ときの政府は市民に相手の挑発にのるな、冷静な対応をと呼びかけた。

ジョセフ・クーデルカはこのとき30歳。プロの写真家になろうかと思っていた矢先だった。ルーマニアでの撮影から帰った翌日、プラハの街は戦車で埋め尽くされた。日常が突如、非日常になった。彼はカメラをもち、5日間ほどの軍隊と市民の素手による抵抗の様子を撮り続けた。戦車の兵士に向って、怒りの抗議をする男、遠巻きで、とまどいの様子をみせる女と子供、さまざまな表情をみせる市民と兵士の姿が克明に、クーデルカのカメラに収まってゆく。

もちろん、これらの写真は国内では発表するわけにはいかない。スミソニアンの職員を仲立ちにアメリカに送られた。そして翌年、写真家の名を伏せたまま発表され、その作品にロバート・キャバ賞が授与される。クーデルカの名前が表に出たのは、ずっと後で、父親のなくなったあとの1984年のことだった。だから写真展には、”この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる”の言葉が添えられているのだ。

会場は、これらの、臨場感あふれる写真で埋め尽くされている。そして、入ってすぐ右の壁には、一枚の巨大な写真パネルがはりついている。まるで、当時のプラハの街角にタイムスリップして入り込んだ錯覚さえ、受ける。反対側のコーナーでは、これら写真の連続映写をしている。ときどき、当時のニュース動画が糊づけのように入り、動きのある”写真展”を演出している。

ぼくは5年ほど前、夢のように美しいプラハの街を訪れ、カレル橋近くのホテルに泊ったことがある。だから、展示されていた地図をみて、だいたいのことは分かる。ちらしに採用された写真は、ヴァーツラフ広場だ。誰もいない広場。ただクーデルカの腕時計だけが写っている。ここで大規模なデモが予定されていた。しかし、ソ連軍を挑発して流血の惨事を避けようと、市民が自主的に止めたのだった。そういう話しを聞くと、この誰もいない広場から巨大な無数の抗議の、声なき声が聞こえてくる。

40年以上の年月を経て、はじめて日本に上陸した。冒頭で述べたように、”目は口ほどにものをいう”、当時のプラハ市民の声がひしひしと伝わってくる、素晴らしい写真展であった。

 

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