秋川雅史にとって、5月26日の鎌倉芸術館でのコンサートは、終生、忘れられないものになるはずだ。あの日、3月11日午後2時46分、コンサートが始まる15分前、突如、今まで経験したことない大きな揺れが、鎌倉芸術館の大ホールを襲った。観客は誘導され、館外の広場に集まった。東日本大震災のはじまりだった。電気は消え、強い余震がつづく。30分もしないうちに、コンサートの中止が決定された。
あの日から、秋川の苦難の日々がつづいた。その後のコンサートも中止される。自身も、これまでない酷い風邪に罹り、ひと月余り、声が出ない状態がつづいた。大震災に対し、何もできない自分に無力感も感じていた。それでも、徐々に体調が戻り、大津波の被害地である気仙沼の避難所などを慰問した。そのとき、彼の最大のヒット曲”千の風になって”を、まだ行方不明の方が大勢いる時期に歌うのはどうかと、ためらった。ひとりでも不快に思う方がいれば、歌わないつもりだったが、全員から懇願された。歌い終わったあと笑顔があった。歌が被災者のみなさんに元気を与えることを知った瞬間だった。
あの日、中止された鎌倉公演の再開の日が、悲しみと混迷の中にいた自分の再起の日だと、その頃から思うようになった。そして、今日、その日がやってきたのだ。5月26日午後3時、3月11日公演を待っていた、ほとんど同じ観客が戻ってきてくれ、満席となった大ホールで、秋川雅史の力強いテノールの歌声が高らかに流れたのだ。
”慕情”から始まり、秋川のおはこ”グラダナ”、”恋人よ(五輪真弓)”、蘇州夜曲”、そして”ひばりの佐渡情話”と歌いつづけ、”チャンピオン(谷村新司)”が大きなホールに響き渡る。観客の拍手も一段と高くなる。そして、軽妙なトークをはさみながら、”昭和(谷村新司)”、18分の熱唱”日本ヒット曲メドレー”。そして、イタリア、パルマで学んだ秋川自身が好きな曲という、”禁じられた音楽”。そして、”千の風になって”が最後を飾る。♪千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています♪ 歌う、秋川の胸に熱いものがこみあげてきた。歌い終えて、舞台の袖に入る秋川の背に観客の拍手はいつまでもなり止まなかった。
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以上、秋川さんのトークをもとに、いつもと違った感じで書いてみました(汗)。
ぼくは、大地震の日、同じ鎌倉芸術館の小ホールで三国連太郎さんのトークと映画会の方にいました。そして、2時46分。避難した館外の広場は、両方の客でいっぱいになった。今日の公演は、当日券がわずかにあるということで、参加することができたのです。
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大地震の日(3月11日) 芸術館の広場は避難客で溢れていた。ぼくもこの中にいる。
そして、今日(5月26日)の再演
終演後、大震災義援金をお願いする秋川雅史さん。もちろんぼくもしました。あの日から二カ月半がたった。東北復活のきざしがみえてきたところもあれば、混迷をふかめる地域もある。みんなで支援をつづけよう。