気ままに

大船での気ままな生活日誌

自然教育園の森に入る

2011-05-27 21:50:36 | Weblog

北海道に住む友人が定年退職後、3冊目となる自著のエッセイ本を送ってくれた。いずれも、ネイチャーウォッチング関連のものであるが、今度のはちょっと変わっていて、森に住む妖精が出てくるファンタジックなものである。そんなこともあり、ぼくの関心は今、森にある。そうだ、目黒の庭園美術館で”森と芸術”展をやっているはずだと、今日、出掛けてきた。予想した通り、そこには森の妖精がいたりして、うれしい展覧会であった。そのあと、実際の森に入ってみたいと、久しぶりの隣接する、国立博物館付属自然教育園の森に足を踏み入れた。

”自然教育園”というくらいだから、あまり人の手が入っていない。自然の森だ。えっ?ここが都内、と訝るほどの静けさ。本当に森の妖精が住んでいるのではないかと思わせる雰囲気がある。沼もある。湿地帯もある。武蔵野の雑木林もある。いろいろな植物が、思い思いのくらしをしている。鳥も虫も、ここでは気兼ねなく生活している。だから、歩いている人も、漱石の草枕ではないけれど”始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ風景の人”になる。

今日は森の人になった一日であった。”森と芸術”展については、明日、記事にしたい。

森と沼

花 ノハナショウブと、空木&山法師

 鳥と虫 アオサギと空中ブランコ幼虫

おまけに、うちの近くの、金糸梅の一番花。

 

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武士の家計簿から

2011-05-27 09:03:07 | Weblog

26日午後、鎌倉芸術館で秋川史コンサートを聞いた日の午前中は、小ホールで”武士の家計簿”を観ていた。この映画は大震災以前にも観ているのだが、自宅から歩いてすぐの会場で上映するというので、ふらりと寄った。(そのおかげで、知らなかった、秋川史コンサートの当日券も買えたのだ。)

前回観たとき、途中で睡魔に襲われ(汗)、中断されていた箇所があり、今回、それが埋まったし、新たに気付いたこともあった。”刀でなくそろばんで家族を守った侍がいた”のキャッチコピーが端的に示すように、加賀藩の御算用者を代々、つづける家系、猪山家の物語である。堺人とその妻、仲間由紀恵を中心に、父母役に中村俊、松坂慶子、祖母役に草笛光子、仲間の父親役に西村彦が演じる。裕福な暮らしをしていたが、堺の子供のお祝いのとき、内実は父母の無駄遣いによる借金まみれであることを知る。(太字のは偶然、出演者の名前にが重なり、面白いと思ったので;汗)

その日以来、堺雅人が猪山家の家計を受け持つことになる。家財、着物、骨董なども売りに出し、すっからかんになり、以来貧乏暮らしをつづける。”武士の家計簿”もつけるようになり、子供にも将来の、そろばん侍のため教育として家計簿をつけさせる。

ぼくらの子供時代も似たような貧乏暮らしだったが、仲間由紀恵の言葉だったと思うが、”貧乏を工夫だと思えばなんでもない”が心に残った。安い食材でもお料理の仕方でいくらでもおいしくいただける、というのだ。大震災後のわれわれにも通じる言葉ではないか。随分、節電に気を遣うようになった。ただWIFEのお料理に工夫はみられない(爆)。今日もお料理学校に行くが、家でつくったためしがない。自分が食べにいくだけだ(爆爆)。むこうの部屋からくしゃみが聞こえる(冷汗)。

家財などを売りに出したとき、商家の人から、武家の方がこんなに思い切ったことするのをはじめてみました。堺はこう答えた。

生まれてくる子供をまっすぐな目でみられるように

ぼくらの世代は、生まれてくる子供たちにまっすぐな目を向けられるだろうか。
自分の代だけ楽できればいい、次の世代、さらに先の世代に重たい荷物を押しつけて、あとは勝手にしやがれ、と思っている輩がまだまだいるのは、ぼくにはとても理解できない。

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秋川雅史コンサート in 鎌倉芸術館

2011-05-27 06:15:22 | Weblog

秋川雅史にとって、5月26日の鎌倉芸術館でのコンサートは、終生、忘れられないものになるはずだ。あの日、3月11日午後2時46分、コンサートが始まる15分前、突如、今まで経験したことない大きな揺れが、鎌倉芸術館の大ホールを襲った。観客は誘導され、館外の広場に集まった。東日本大震災のはじまりだった。電気は消え、強い余震がつづく。30分もしないうちに、コンサートの中止が決定された。

あの日から、秋川の苦難の日々がつづいた。その後のコンサートも中止される。自身も、これまでない酷い風邪に罹り、ひと月余り、声が出ない状態がつづいた。大震災に対し、何もできない自分に無力感も感じていた。それでも、徐々に体調が戻り、大津波の被害地である気仙沼の避難所などを慰問した。そのとき、彼の最大のヒット曲”千の風になって”を、まだ行方不明の方が大勢いる時期に歌うのはどうかと、ためらった。ひとりでも不快に思う方がいれば、歌わないつもりだったが、全員から懇願された。歌い終わったあと笑顔があった。歌が被災者のみなさんに元気を与えることを知った瞬間だった。

あの日、中止された鎌倉公演の再開の日が、悲しみと混迷の中にいた自分の再起の日だと、その頃から思うようになった。そして、今日、その日がやってきたのだ。5月26日午後3時、3月11日公演を待っていた、ほとんど同じ観客が戻ってきてくれ、満席となった大ホールで、秋川雅史の力強いテノールの歌声が高らかに流れたのだ。

”慕情”から始まり、秋川のおはこ”グラダナ”、”恋人よ(五輪真弓)”、蘇州夜曲”、そして”ひばりの佐渡情話”と歌いつづけ、”チャンピオン(谷村新司)”が大きなホールに響き渡る。観客の拍手も一段と高くなる。そして、軽妙なトークをはさみながら、”昭和(谷村新司)”、18分の熱唱”日本ヒット曲メドレー”。そして、イタリア、パルマで学んだ秋川自身が好きな曲という、”禁じられた音楽”。そして、”千の風になって”が最後を飾る。♪千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています♪ 歌う、秋川の胸に熱いものがこみあげてきた。歌い終えて、舞台の袖に入る秋川の背に観客の拍手はいつまでもなり止まなかった。

・・・・・

以上、秋川さんのトークをもとに、いつもと違った感じで書いてみました(汗)。

ぼくは、大地震の日、同じ鎌倉芸術館の小ホールで三国連太郎さんのトークと映画会の方にいました。そして、2時46分。避難した館外の広場は、両方の客でいっぱいになった。今日の公演は、当日券がわずかにあるということで、参加することができたのです。

・・・・・

大地震の日(3月11日) 芸術館の広場は避難客で溢れていた。ぼくもこの中にいる。

 そして、今日(5月26日)の再演

終演後、大震災義援金をお願いする秋川雅史さん。もちろんぼくもしました。あの日から二カ月半がたった。東北復活のきざしがみえてきたところもあれば、混迷をふかめる地域もある。みんなで支援をつづけよう。

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