千葉市美術館で大々的な川瀬巴水展をやっているというので、はるばる訪ねて行った。大好きな巴水の展覧会があれば、だいたい出掛けていて、最近では二か月ほど間前の礫川(こいしかわ)浮世絵美術館での、小規模な”巴水と光逸展”を観ている。今回のは、ぼくのこれまで観た中では最大規模の巴水展かもしれない。何せ、渡邊木版美術画舗所蔵の木版画が、(たぶん)勢揃いの200点以上、加えて個人蔵の写生帖もどっさりの大回顧展。帰る頃には満腹、余は満足じゃになってしまった。
鏑木清方に弟子入りを志願したが、年を取りすぎているからと断られ、紹介されたのが、岡田三郎助。ここで洋画を習ったが、やっぱり日本画に未練があり、清方に再志願、今度は認められた。もう27歳になっていた。ここで、年は下だが、兄弟子の伊東深水の木版画”近江八景”(所蔵品展の方で展示されています)をみて、これだ!この道より我を生かす道はなし、と決心されたとのこと。
回顧展だから、ほぼ時のうつりゆく順。木版画のはじめは、おばさんが住んでいた塩原のシリーズ(大正7年)から。そして、大正8,9年の”旅みやげ第一集”が。”陸奥三島川”に早くも立ち止まる。夕暮れの満月の下、古びた家屋、水辺では何かを洗っている母と横に娘が。水汲みの女が帰ってゆく。早くも、しみじみとした巴水調が現れる。”陸奥蔦温泉”は行ったことがあるが、こんな暗くはなかった(笑)。暗さにさらに暗さを重ねた、実験的な作品のようだ。”金沢のながれのくるわ”、”金沢浅野川”もこのシリーズ。ここも去年、現地に行っているから、情景が目に浮かぶ。巴水は旅好きで、スケッチブックをもって全国を歩き回っている。ここでも”旅みやげ”シリーズは第3集、昭和3年までつづく。
もちろん、地元の東京の風景も。同じ大正8,9年”東京十二題”では、”夜の新川”にはドキッ。暗い、暗い蔵の間から異常に明るい灯りが漏れる。ガス灯のあかりのようだ。明と暗。”木場の夕暮れ”では川面に映る橋や電柱。こうして、(ブログ記事のことが頭にあって、)気に入ったものについて、展示リストにメモを書き込んいたが、そのうち、どれもこれも良くなってきて、えい、もう止めだと(汗)、絵だけ楽しんで先に進んだ。半分ほど見終えた頃、2時からギャラリートークがあります、とのアナウンスが。ラッキーと、これに参加することにした。以下、ここで教えられたことも入れている。
”大根がし”。巴水の絵の登場人物は、せいぜい二人か三人で登場人物の多い広重とは対照的だが、この絵は登場人物が多く、洗濯物まで干されていて広重風だ。”三十間の暮雪”、吹雪の様子が見事に描かれているが、これは只の摺りではなく、たわしでこすった形跡があるそうだ。当時の彫り師、摺り師は一流だったが、摺りのときは巴水も一緒に試し摺りを何度もしたり、こすったりと、いろいろ工夫したようだ。
”芝増上寺”(大正14年)の前では、これが巴水生涯作品、600点のうちのベストセラーですとボランティアガイドさん。3000枚刷られたそうだ。ちなみに2位は”馬込の月”の2000枚。欧米人の購買が多かったのではと。名作、”清洲橋”はどれくらい摺られただろうか。
巴水本人をこっそり入れている絵もいくつか紹介される。”月島の渡船場”そして(ぼくも知っていたが)”上州法師温泉”、”京都清水寺”も。そして、昭和32年の”平泉金色堂”もそうとのこと。絶筆だそうだ。雪降る中、金色堂に向かい石段を登ってゆく雲水姿の巴水。本人も最後の作品であることを自覚していたようで、石段のどの位置に自分の姿を置くか、ずいぶんと考え抜いたようだ。しみじみした情景が売り物の巴水版画の中でもとりわけ胸をうつ作品だ。
大田区郷土博物館でも巴水展をやっているようなので、そのうち出掛けてみよう。
ちらしを飾る、尾州半田新川端
三十間の暮雪
芝増上寺
馬込の月
京都清水寺と上州法師温泉
。。。。。
さあ、投稿!とボタンを押そうとした瞬間。居間からワイフの声。巴水展やってるわよ!えっ!知らなかった、日曜美術館で。急いで観に行くと、もう最後の方。でも一番、観たかった”平泉金色堂”のところ。ラッキー!
何度も手を入れている証拠の画像も。この遺作は巴水が亡くなったあと、出来上がったそうだ。
版画ノイローゼになってしまった、との日記も。それほど考え抜いた。
役者はうしろ姿で演技する、心が表現できるからです。巴水の遺作もまさにそうですね、心象風景です、とゲストの大林宣彦監督。