空を飛び、舞い踊る天人を”飛天”と呼ぶそうだが、ぼくは、これまで、あまり注意を払っていなかった。今回、飛天に焦点を合せた展覧会”天上の美/飛天の美”を観てきて、すっかり、飛天のフアンになってしまった。
はじめに、飛天の歴史みたいなのがあって、インドから始まって、中国、朝鮮と流れてきて日本にやってくるのだが、その間、いろいろと”進化”してきた様子が示される。時代によって国によって、飛天はさまざまな形態をとる。衣を翻して天を泳ぐような天女がいると思うと、エンゼルのような羽根をつけたり、まるで鷲だか鷹みたいなりっぱな羽根をつけたものも見られた。そうかと思うと、乗り物で天を翔るのもいる。乗り物は雲だったり、蓮華座だったりと、これ、またいろいろだ。姿態もいろいろだが、薬師寺東塔の水煙の天女たちときたら、プロポーションもいいし、腰をくねらしたりして、色っぽい(笑)。下の写真(古寺を巡る/薬師寺から)はそうでもないけど(笑)。
ガンダーラ マーラの誘惑
おおざっぱにいうと、飛天たちは普段は浄土という天国に住んでいて、人様のご臨終が近づくと、阿弥陀如来さまのお付き(聖衆という)として天からやってくる。このありさまを絵にしたのを来迎図という。阿弥陀二十五菩薩来迎図をみると、なるほどと思う。阿弥陀さまはやさしくうつむき、安心しなさいよ、と言っているようだし、お付きの天女たちのうつくしいこと。♪天国よいとこ、一度はおいで、酒はうまいし、ねいちゃんはきれいだ♪と耳元でハミングしてくれそう(汗)。
室町時代作の浄瑠璃絵巻があり、ちょうど義経が長者邸に訪れたときの場面が開かれている。まるで浄土のような、花咲く庭園が描かれている。こういう世界が浄土と当時の人が思っていた。浄瑠璃物語は岩佐又兵衛も描いていて、ぼくは全部、拡げたのを観ているので関心をもって眺めた。天蓋や光背などの荘厳具類の中にも、浄土の世界が描かれている。
以上の予行練習を経て、いよいよ本番、最終章・
平等院鳳凰堂の世界に入っていくのだ。もともと、 平等院鳳凰堂は極楽浄土を再現した阿弥陀堂で、僕も二度ほど訪ねたことがあるが、日本一うつくしいお寺だと思う。その鳳凰堂が修理中だったが、平成26年3月に落慶するので、その直前に国宝”阿弥陀如来坐像光背飛天”、国宝”雲中供養菩薩像”などをお見せ下さるということなのだ。めったにない、ありがたいことである。
まず、阿弥陀如来坐像の光背飛天。12体のうち6体が展示されている。黄金色に輝いている。それぞれの仕草も顔の表情も違う。しかし、どれも皆、親しみやすい。ぼくは下の、絵ハガキの北2号が好きだった。これらが、光背の中に潜んでいたいたとは思えないほど独立性を感じる。一つひとつが国宝だというからおどろき。
北2号
そして、この極彩色の雲中供養菩薩像(南26)が迎えてくれる。彩色想定復元模刻だが、当時の華やかなりし頃の姿を見せてくれる。
次に、極彩色の色気は失ったが、その分、枯れた風格の雲中供養菩薩像が、いよいよおでましだ。部屋の向こうに阿弥陀如来坐像がおられる。最近、眼鏡が曇っているので(昨日、買い換えました;汗)、本物の阿弥陀如来さまかと思ったが大きな写真だった。この阿弥陀如来の光背に前述の飛天がいて、周囲の壁に、これから紹介する雲中供養菩薩像が52体、懸けられている。こんなふうに。
像はいずれも頭光を負い、飛雲に乗ってさまざまな姿勢をとっている。菩薩形が主流で、比丘形(僧形)もいくつか。菩薩形の像は多くが坐像で、いろいろな楽器を演奏したり、舞っていたり、持物をとったり、合掌したりしている。比丘形のもは合掌か印を結んでいる、。
さまざまな雲中供養菩薩像。
比丘形
雲中供養菩薩像と結縁(けちえん)も出来ます。複製だが、魂入れをしているということで、皆さん、おさわりをして、お参りしてました。長蛇の列だったので、ぼくはパス。
来年春、落慶のあかつきには、是非、宇治の平等院へ参拝したいと思います。できれば、藤のきれいな時に伺いたいな。
雲中供養菩薩像のシルエット
藤の平等院
(写真は”別冊太陽/平等院王朝の美”から)