日曜日に神奈川県立歴史博物館で角ばった頭の栄西像に出会った。おい、まだ”栄西と建仁寺展”の感想文を書いていないじゃないかと叱られたような気がした。この像は、(よく確かめなかったけど)、鎌倉の寿福寺蔵の”明庵栄西坐像”の複製ではないかと思う。その本物は、本展に展示されている。
栄西は、60歳で、政子建立の寿福寺の住職になっている。それ以前には55歳で博多の聖福寺、そして、のちに62歳で(本展の)建仁寺の住職になり、71歳で喫茶養生紀を著わし、75歳でなくなっている。そうした栄西の足跡が第1章で紹介される。
たとえば”漢柿蔕茶入”(京都・高山寺)は、明恵にお茶の種を5粒入れて贈ったもの。それが天下一の栂尾(とがのお)茶の元になったそうだ。”栄西申状”では栄西自身が聖福寺建立の由来述べた文章。重文”喫茶養生記”は、原本は残っておらず、最古の写本である初治本に属する貴重本。
第2章は、建仁寺ゆかりの僧たち。つい鎌倉のお寺にえこひいきしてしまう(笑)。重文・退耕行勇坐像(浄妙寺)、蘭渓道隆坐像。蘭渓は、退耕行勇の開いた(大船の)常楽寺の住職となり、建長寺の開山を経て、11代建仁寺住職となる。
第3章では、近世の建仁寺。有楽斎が建仁寺の塔頭、正法院(正法永源院)を再建し、院内に如庵を設けている。お墓もここにある。この冬の京都の旅で訪ねた。ここで観た織田有楽斎坐像、織田有楽斎像(山楽)、そして蠢くような蓮の花が印象的だった狩野山楽の襖絵”蓮鷺図”が来ていて、嬉しかった。山楽60歳作の”狩猟図”(京博)も、元はここの襖絵だったそうだ。狩野永徳の国宝”花鳥図”は、残念ながら、京都でお留守番のようだ。
狩野山楽の襖絵”蓮鷺図”(正法永源院のパンフから)

そして、待ってました、海北友松筆がずらり。天文21年(1552)の全山焼失ののち、慶長4年(1599)に再建されたときに制作された。海北友松、67歳頃の作。いずれも重文・襖絵だが、保存のために軸装にしてある。竹林七賢図、琴棋書画図 、山水図、 花鳥図、そしてトリは”雲龍図”。建仁寺、本坊でも実物と見分けがつかないキャノン高精細複製品が襖として使われているので、十分、鑑賞できる。でも、廊下からの見学だから、展覧会のように間近でみるわけにはいかない。展覧会で観たあと、その足で新幹線に乗って、祇園の建仁寺に向かうと感動は倍加するでしょうね(笑)。さて、ここでは、その建仁寺版を載せます。撮影可能なんですよ。この写真は以前の記事の使い回しですが、学術論文ではないので、こわいマスコミさんにたたかれることはないと思われます(笑)。
花鳥図

山水図

竹林七賢図

雲龍図

そして第4章は、建仁寺ゆかりの名宝。十一面観音菩薩坐像など仏像、十六羅漢図など仏画、仏具などのほかに、長谷川等伯の襖絵や屏風、それに若冲の雪梅雄鶏図も観られるのも嬉しい。
若冲の雪梅雄鶏図

蕭白も芦雪も白隠もと、紅白歌合戦のようにスターがつづいて、いよいよオオトリは、サブちゃんは50回出演で紅白引退のオオトリをかざりましたが、これは何回でてもオオトリを飾るでしょう。お待ちどうさまでした。今年の歌い納めは、絵画界の大スター、俵屋宗達さん。もちろんこの歌です。”元禄名槍譜 俵星玄蕃”!・・・あっ!先日の島津亜矢コンサートの歌い納めと混同してしまったずら
もう一度。婦人来人象じゃない、風神雷神像屏風です!
