気ままに

大船での気ままな生活日誌

鎌倉八幡宮と文士たち展 鎌倉文華館・鶴岡ミュージアム

2020-12-05 10:51:27 | Weblog

おはようございます。

坂倉準三の設計で最近、国の重要文化財に指定された旧神奈川近代美術館・鎌倉館を継承しているのが、鎌倉文華館鶴岡ミュージアム。昨年4月にリニューアルオープンしている。展覧会も季節ごと開催されており、今回は鎌倉八幡宮と文士たちというテーマ。

鎌倉に住んでいたり、当地にゆかりのある、いわゆる”鎌倉文士”たちの紹介展である。鎌倉文士については、ぼくは、よく訪ねる鎌倉文学館で常設展示されているので、だいたい頭に入っているが、楽しく見ることができた。

このポスターに載った鎌倉文人たちは、左から順に、小林秀雄、川端康成、高浜虚子、太田水穂、夏目漱石、里見とん、与謝野晶子。日本の近代文学を牽引した錚々たる文士ばかりである。このうち、漱石と与謝野晶子は鎌倉住民ではなく、一時滞在している程度である。漱石は円覚寺の帰源院に止宿して、その体験をもとに名作”門”を著した。晶子は鎌倉をよく訪れ、かまくらや御ほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かなの名歌を詠む。

「鎌倉文士」という言葉が使われ始めたのは昭和に入ってからだそうだが、明治、大正時代から、泉鏡花、島崎藤村、夏目漱石、芥川龍之介らが鎌倉に滞在し、執筆活動を行っている。大正末期に里見とんと久米正雄が鎌倉に暮らし始め、その後、たくさんの文人が集まるようになった。二人がまとめ役となり、昭和8年に鎌倉ペンクラブが発足し、永井龍男、大佛次郎、川端康成、横山隆一、小林秀雄、島木健作ら42人の作家、文化人が名を連ねた。”鎌倉文士”の誕生である。

鎌倉文士たちは本業の執筆活動のみならず、鎌倉住民として様々な活動を行った。1934年には久米正雄の音頭取りで鎌倉カーニバルが開催され、若宮大路のビッグパレードには大勢の人々が集まった。その後、一時中断があったものの、戦後の1962年まで続いたという。戦時中には活字に餓えている人々のために文士たちが蔵書を出し合い、八幡宮前で貸本屋を開いたりもした。

本展では、これら活動の紹介や、何十人もの文人たちのミニ紹介文、自筆原稿、愛用品などの展示が行われている。撮影が可能なら、詳しく紹介できるのだが、残念。ちらしの裏面に鎌倉文人たちの相関図が載っている。詳しく知りたい方はどうぞ展覧会へお出で下さい。

重要文化財となった旧・神奈川県立近代美術館(現・鎌倉文華館)

平家池側から

敷地内のカフェには倒木した大銀杏の幹の一部が飾られている。

大銀杏の子供がだいぶ育ってきた。このとき(11月21日)はまだ緑葉。

源氏池にはユリカモメが来ていた。今シーズン初見。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント
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