おはようございます。
紅葉の鎌倉文学館で川端康成展が開かれている。10月14日から始まったので、バラの季節にも見ているが、紅葉の季節にも訪ね、また見てきた。まだ紹介していなかったので、ちょっとメモしてきたことを簡単に。撮影禁止が残念。
川端康成展は他でもいくつか見ているので、展示品も初めてというのは少ない。でも川端が晩年、過ごした長谷の文学館での展覧会は、いわばご近所開催ということで、川端も草場の蔭で喜んでいるだろう。
川端康成(1899-1972)は、昭和10年(1935)から鎌倉に住み始めている。報国寺の近くが最初で、12年に二階堂、そして、21年から亡くなるまで、長谷の甘縄神社の近くに住み続けた。まさに鎌倉文人。
展覧会は第1部が川端康成と美というテーマで、康成の愛用品や所蔵美術品などが並ぶ。文箱、文鎮、灰皿、筆立、いかにも川端好みの品ばかりであった。また、鎌倉彫の机という豪華なものもあった。美術品では劉生の麗子の喜笑図、古賀春江や梅原龍三郎の絵も。玉堂の凍雲篩雪図(国宝)の複製、土偶女子(ハート型の顔をした可愛い土偶)、埴輪乙女頭部、ロダンの女の手、宮本憲吉、魯山人、黒田辰秋の作品も並ぶ。ここには展示されていないが、川端は、ルノワール、ピカソ、東山魁夷、猪熊弦一朗、熊谷守一、草間彌生らの作品も多数、所蔵している。川端は、知識でも理屈でもなく、ただひきこまれるものを自分の手元におきたいだけ、また、私は美術品は好きだが、観るだけで十分で、評論文みたいなものは書きたくないとも述べている。
康成自身の書もあり、”美しい日本”と”美意延年 74歳”。後者には胸があつくなった。意味は心を楽しませれば長生きするということだそうだが、なんと、亡くなる年の書である。心の葛藤がみえるようだ。
第二部では康成と鎌倉・日本というテーマで、”雪国”、”千羽鶴”、”山の音”などの原稿、三島由紀夫や太宰の康成宛の手紙、中也の謹呈自署の”山羊の歌”の初版本などが見られる。
そして、ノーベル賞受賞。ぼくも持っている、授賞記念講演をまとめた”美しい日本の私”の原稿コピー、この中で引用された明恵上人の”夢記”断簡、ノーベル賞のメタルも一緒に展示されている。
そして、終章。72歳で仕事部屋の逗子のマンションで自死するが、文庫から絵巻物にするために書いた”雪国”の抄本が2冊発見され、そのひとつが展示されている。長生きして、完成させてもらいたかった。その2年前の三島の自死と共に、ぼくの青春真っ只中で起こった哀しいショッキングな出来事だったが、早いもので、あれから、もう半世紀になる。
12月15日に見てきたが、この頃は文学館の紅葉も見頃になっていた。
薔薇はもうわずかに残るのみだった。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!