気ままに

大船での気ままな生活日誌

八幡さまの古神宝 大谷44号

2021-09-11 12:21:00 | Weblog

こんにちわ。

八幡さまの例大祭はいつも9月14~16日で、御神輿行列や流鏑馬が行われる。ただコロナ禍で流鏑馬は今年も中止のようだ。このお祭りに合わせて、境内にある国宝館では八幡さまの古神宝が公開される。

お祭り前だが、先日、覗いてきた。国宝が6点、重要文化財が10点余りと豪華な展示である。これまでも、何度かブログ記事にしているが、今回は各展示品の解説文(ホームページからのもの)を添えておこうと思う。

国宝 

朱漆弓 檀の木で造られた約2のメートル弓で、全体に朱漆が塗られ両端には金銅製の弭が嵌められている。握部下には樋(くぼみ)を彫っている。『新編相模風土記稿』には「弓一張 源頼義当社勧請の時、石清水の神宝たりしを申し下して奉納すると言ひ伝ふ。元は二張あり。上下両宮に蔵せしが、文化四年火災の時、一張烏有す。」とみえる。

黒漆矢 黒漆塗で矢羽は茶紫の斑入りの白羽。当初より奉納用に作られたと推測される。『集古十種』所収の尖矢図は矢羽を欠しているから、後補と考えられる。正月に授与される破魔矢の起源である。

沃懸地(いかけじ)杏葉螺鈿太刀拵  一般には「衛府(えふ)の太刀」という名でよく知られている。柄には銀出鮫(銀の薄板を打ち出して鮫皮状にしたもの)を着せ、四つ花形の目貫をすえ、佩表には俵鋲、佩裏には小桜鋲をそれぞれ4個づつ打っている。これら目貫や鋲をはじめとした金具類はいずれも金銅無文である。帯取、佩緒、手抜緒などは、細かい菊文白抜きの紅韋(べにがわ)をもって後補している。鞘は金沃懸地に螺鈿で杏葉文を配する。二口ともほとんど同寸、同形、意匠や技法も同様だが、一振は鐔などが後補。太刀の身はどちらも無銘。『新編相模風土記稿』には「二振は衛府太刀」とあり、「頼朝の帯せし物と云ふ」と伝える。

沃懸地杏葉螺鈿平胡籙 胡録(やなぐい)とは、いわゆる矢立てのことで、腰につけて携帯するための道具。外面は金沃懸地塗という蒔絵の手法を用いており、杏葉文の螺鈿を施す。内部は黒漆塗。16枚綴りの薄い矢配板をいれている。周囲には金銅の覆輪をめぐらし、ふち寄りに矢束・受緒・懸緒通しの孔をあけ、鍍金菊座付きの鵐目金具を打ち、紫染韋の折りたたみ紐を通している。

籬菊螺鈿蒔絵硯箱 源頼朝公が後白河法皇より下賜されたものを、鶴岡八幡宮に奉納したとされている。沃懸地に螺鈿で籬に菊、そして小鳥をあらわした蓋表。蓋裏と身はこれと同意匠を梨子地に金研出蒔絵という簡潔な技法で施している。内部には、中央に銀製鍍金の堤手、注口付きの角形水滴と硯を置き、その左右には銀覆輪(ぎんふくりん)付きの浅い懸子(かけご)が納められている。
また、箱すべての縁に銀製の覆輪をつけて置口としている。これらから判断して鎌倉時代前期蒔絵、螺鈿の代表的作品であり、また数少ない硯箱としても貴重な品である。

籬と菊の意匠

重文

菩薩面

舞楽面

弁才天坐像

薬師如来坐像(寿福寺)

ほかにも、吾妻鏡、鶴岡社務記録、荏柄天神社の宝物など併せて40点ほどが展示されている。

八幡さまの”神宝”は境内のあちこちに。

倒木したご神木・大銀杏の子供が育ってきた。

大祓の茅の輪はまだ残っていた。

源氏池の神々たち。

土塁の彼岸花。花茎が伸びてきた。

今日の大谷

10勝目はならずも、44号!103年振り偉業は次回登板で!

初回ホームランで、今日の勝利投手は間違いないと思われたが、逆転される。こういうこともある。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする