気ままに

大船での気ままな生活日誌

ベン・シャーンとジョルジェ・ルオー

2014-07-22 07:58:32 | Weblog

 八雲神社のお神輿を追って、前半の折り返し地点である円応寺でぼくは神輿を離れた。そして、鎌倉街道を八幡さまに向かったのだが、その途中の神奈川近代美術館鎌倉別館(本館は八幡さまの境内にある)の前で足を止めた。ベン・シャーンとジョルジェ・ルオー展をやっているではないか。ルオーはお馴染みだが、ベン・シャーンだって、2年ほど前、葉山館でみていて、気になる画家になっている。あのラッキードラゴンは忘れられない。訪日もしており、京都では俵屋に泊まったとか。そのときの記事はここに。

さて、今回のベンシャーンのメイン展示は、版画集「一行の詩のためには・・・:リルケ『マルテの手記』より」だが、この作品の出来上がった経緯についてちょっと述べる。マルテの手記に出会ったのが、パリ滞在4か月目のセーヌ川岸の本屋さんでであった。なんと、その本の主人公は自分と同い年で、自分と同じようなことを考えている。この主人公と生涯の友になった。一方、リルケのこんな文章もみつけた。人は一生かかって、蜂のように蜜を集めているようなもの、そして最後にやっと10行ほどの詩が書ける。

多彩な仕事を繰り広げていたベンシャーンは、自分の最後の仕事をこれと決めていたのだ。『マルテの手記』の一節に版画をつけ、24点の作品を残した。その全版画が一室に展示されている。”死に花”という表現は適当ではないかもしれないが、それを観るような思いでみた。かれの気持ちがひしひしと伝わってくる。版画集をまとめて保管する布製カバーの箱や、日本で作ったという印鑑(この作品に押印している)まで展示されている。ベンシャーンの日本名もあったそうだ。

一方、ルオー(1871~1956)。ベンシャーン(1898- 1969)とは、およそ、ひと世代をほど違い、画業や人生に交流はなかった。しかしこの二人には、絵画や版画での制作からデザインにもその仕事が及んでいること、職人の世界を経験しながら美術学校に学んだことなど、いくつかの共通点が認められるとのこと。表現方法は、片や繊細な輪郭線を描くのに対し、ルオーは、野太い輪郭線と対照的だが、20世紀の困難な時代を底辺で必死に生き抜く人々をやさしい眼で描く点は同じだ。

今回、展示されている、”ミセレーレ”は、父の死と第一次世界大戦の悲惨な経験により構想され、10年近い年月をかけてつくられた版画集。ラテン語の祈り「ああ神よ、願わくは主の大いなる慈悲によりて我を憐れみ賜え」の一部を標題とするこの作品は、労働、苦痛、裏切り、不正、愛情など、人が生きる間に直面する逃れ得ない様相を描いているとのこと。58点全点が展示されるには、1951年の当館開館記念展以来のことだそうだ。それぞれの画題が 詩の一節のようにつけられていて、絵としっくり絡み合い、いい味を出している。

賑やかなお祭りのあとに、一転、静かな、あるいは、悲しみの世界に飛び込んだようだが、そう、違和感は感じなかった。でも、お祭りの起源を考えてみれば、その底には悲しみの川が流れているのだからネ。

ベン・シャーン版画集 
”一行の詩のためには/リルケ”マルテの手記””より全24点から


(5)飛ぶ鳥の姿


(11)愛に満ちた多くの夜の回想

 

ルオー版画集:ミセレーレ全56点から

母親に嫌われる戦争

これが最後だよおじさん

版画集パッション この苦しむ人をみよ

 

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