先月、熊本市の図書館脇に建っている「星の王子様」の碑をながめているとき、ふと、ある大数学者のことを思い出していました。誰でも知っている(そうでもないかな)ガウスです。
ガウスは当時の(18世紀初頭)数学のあらゆる分野の基礎を築いた天才で、みんなから「数学の王さま」と呼ばれていました。もちろん、ひざまづくぐらいの尊敬の念で、そう呼んでいたのですが、私は、「星の王子様」がそのまま大人になったような人なのでそう呼ばれた、みたいな感じをもっているのです。
その理由は、この王さまが、数学者であるのに、小惑星などの星が大好きで、死ぬまで望遠鏡を離さなかったこと、とか、恋人(奥さんになる人)へのラブレターが少年のように純真であること、世間の栄達には全く興味を示さず、小さな大学町から一歩も外に出なかったこと、など、「星の王子様」的と思ったからです。
王さまが世間で有名になったのは24才の時でした。当時、ケレスという小惑星が発見されましたが、日の出のちょっと前に姿を現わすだけでしたので、その軌道の計算が誰も出来ませんでした。王さまは、それを明らかにして世間をアッと言わせたのです。
王さまは、昼も夜も研究三昧という頃に、美しい女性ヨハンナに出会います。聖母のような愛情のあふれているまなざしでながめられているだけでも、うれしくなる、と友人にのろけています。そして、こんなラブレターを書きます。
わたしには、お金もなければ栄光もありません。しかし、あなたへの愛にあふれている真心があります。この真心が、ほんものであるかどうか、受け入れていただくねうちがあるかどうか、ためしていただきたいのです。・・・あなたを、こころから愛していることは、いうまでもありませんが、わたしもまた、愛されてこそ、一緒になってしあわせになれるのです。これで秘めた思いをすべてうちあけました。いまは、ご返事を首を長くして待っているだけです。
王さまは、そのあとの時代の数学の発展の基礎となる発見を山のようにしていますが、自分の業績を世間に示すための唯一の手段である、論文をほとんど書きませんでした。それどころか、すごい発見の下書きも惜しげもなく捨ててしまったようです。でも優れたお弟子さんがたくさん集まり、のちに、彼らによって、王さまと呼ばれるまでになったのです。
王さまは、74才になっても望遠鏡を覗いていました。当時の新しい惑星、海王星を観測したかったからです。なぜなら、この海王星は、天王星の軌道が計算どおりになっていない、別の惑星によって変動しているにちがいない、という仮定から生まれた、仮想どおりに実在した星だったからです。
王さまは、若いとき、星で有名になり、数学の教授のとき、天文台長も兼ね、晩年も望遠鏡を離しませんでした。そして、一生離れなかった、ドイツのゲッチンゲンという小さな町で眠りにつきます。
夜空の星を眺めていると、気の遠くなるような、不思議な気持ちになりますね。何万年前発せられた光が今、この地球に届いている、そんなことを考えるだけでも、敬虔な気持ちになります。一生、星を見続けていた数学の王さまは、やっぱり星の王子様だったと、私は思うのです。
・・・・・・
星の王子様のおかげで、私の本箱に眠っていた、「大数学者」(小堀憲著)を久しぶりに起こしてしまいました。
ガウスは当時の(18世紀初頭)数学のあらゆる分野の基礎を築いた天才で、みんなから「数学の王さま」と呼ばれていました。もちろん、ひざまづくぐらいの尊敬の念で、そう呼んでいたのですが、私は、「星の王子様」がそのまま大人になったような人なのでそう呼ばれた、みたいな感じをもっているのです。
その理由は、この王さまが、数学者であるのに、小惑星などの星が大好きで、死ぬまで望遠鏡を離さなかったこと、とか、恋人(奥さんになる人)へのラブレターが少年のように純真であること、世間の栄達には全く興味を示さず、小さな大学町から一歩も外に出なかったこと、など、「星の王子様」的と思ったからです。
王さまが世間で有名になったのは24才の時でした。当時、ケレスという小惑星が発見されましたが、日の出のちょっと前に姿を現わすだけでしたので、その軌道の計算が誰も出来ませんでした。王さまは、それを明らかにして世間をアッと言わせたのです。
王さまは、昼も夜も研究三昧という頃に、美しい女性ヨハンナに出会います。聖母のような愛情のあふれているまなざしでながめられているだけでも、うれしくなる、と友人にのろけています。そして、こんなラブレターを書きます。
わたしには、お金もなければ栄光もありません。しかし、あなたへの愛にあふれている真心があります。この真心が、ほんものであるかどうか、受け入れていただくねうちがあるかどうか、ためしていただきたいのです。・・・あなたを、こころから愛していることは、いうまでもありませんが、わたしもまた、愛されてこそ、一緒になってしあわせになれるのです。これで秘めた思いをすべてうちあけました。いまは、ご返事を首を長くして待っているだけです。
王さまは、そのあとの時代の数学の発展の基礎となる発見を山のようにしていますが、自分の業績を世間に示すための唯一の手段である、論文をほとんど書きませんでした。それどころか、すごい発見の下書きも惜しげもなく捨ててしまったようです。でも優れたお弟子さんがたくさん集まり、のちに、彼らによって、王さまと呼ばれるまでになったのです。
王さまは、74才になっても望遠鏡を覗いていました。当時の新しい惑星、海王星を観測したかったからです。なぜなら、この海王星は、天王星の軌道が計算どおりになっていない、別の惑星によって変動しているにちがいない、という仮定から生まれた、仮想どおりに実在した星だったからです。
王さまは、若いとき、星で有名になり、数学の教授のとき、天文台長も兼ね、晩年も望遠鏡を離しませんでした。そして、一生離れなかった、ドイツのゲッチンゲンという小さな町で眠りにつきます。
夜空の星を眺めていると、気の遠くなるような、不思議な気持ちになりますね。何万年前発せられた光が今、この地球に届いている、そんなことを考えるだけでも、敬虔な気持ちになります。一生、星を見続けていた数学の王さまは、やっぱり星の王子様だったと、私は思うのです。
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星の王子様のおかげで、私の本箱に眠っていた、「大数学者」(小堀憲著)を久しぶりに起こしてしまいました。