気ままに

大船での気ままな生活日誌

鎌倉あじさい街道をゆく

2007-06-19 09:15:27 | Weblog
今日のタイトルは、ボクの愛読書、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」にまねてみました。ついでに、文体も司馬遼太郎風にしてみました(笑)。
・・・・・
鎌倉のあじさい街道を歩いてみようと思う。江ノ電の長谷駅を降り、長谷寺に向かった。途中、収玄寺を覗いてみる。「四条金吾邸」という五文字が刻まれた石柱をみた。日蓮の弟子で、日蓮が由比ヶ浜で処刑されそうになったとき、身代わりを申し出、土牢に入れられた。江戸時代に、ここに妙詣尼が収玄庵を開いた。紫陽花もある。

そこを過ぎて、左折すると長谷寺の山門前に出る。8時15分だ。開門は8時というが、列はない。話は前後するが、長谷寺を出たあと、近所の方がこう言っていた。昨日の日曜日は7時から列ができはじめ、8時には大通りまでの長蛇の列になったそうだ。さすが、鎌倉一の人気の紫陽花寺だ。

今日は妻と来ている。ツマらない、うるサイとは言わない。お金のツマったサイふがついてきたと思えば良い。余談だが、頼朝ほど妻を怖がった武将はいない。こんなことがあった。頼朝に亀の前という想い女がいた。伊豆の小さな勢力をもつ武将の娘だが、鎌倉に来るとき連れてきた。逗子あたりに住まわせて、政子に内緒で通っていた。これを知った政子は大いに怒り、亀の前の隠れ家を打ち壊してしまったということだ。

寄り道をしてしまった、先に進もう。しかしながら、余談、寄り道で原稿代を稼ぐのが司馬流だ。その点、小林秀雄の文章には無駄がない。真剣勝負をしているようで、息づまるようだ。これだけの仕事をする人は、酒でも呑んでくだをまき、精神のバランスを取らないわけにはいかない。相当、酒癖が悪かったと聞いているが仕方がないことだ。また、寄り道をしてしまった。本論に戻ろう。

さて、長谷寺の紫陽花についてふれたい。明月院の水色一色の紫陽花はプロ向きとすれば、ここの多士済々の紫陽花は素人向きといえる。素直に誰もが美しいと思える。紫陽花山を登ると、遠くに由比ヶ浜を見渡せる場所がある。静かな初夏の海だが、ここはむかし新田義貞と北条高時の激戦地だった。多くの屍が積まれたところだ。余談だが、高時の一番の家来、苅田式部大夫篤時(北条篤時)は、子供を北九州に逃すが、その子孫の一人が高倉健である。余談の余談だが高倉健は壇ふみを可愛がっている。ついでながら、私も壇ふみが好きだ。ついでのついでながら、阿川佐和子も好む。ふたりは漫才コンビのようだ。

話がまた横道にそれてしまった。元に戻そう。ここの紫陽花山の一番の景観は山を下りてきて、輪蔵の前の傾斜地を望む場所であろう。急斜面に立錐の余地もなく紫陽花が植えられ、色とりどりの花を一望にみることができる。ここにカメラマンが集中している。ポスターの写真もこのあたりから撮っている。私も撮ってみた。ついでながら、輪蔵についても説明しておこうと思う。ここの輪のような蔵に一切経が納めてあり、一回まわすと一切経を全部読んだことになるとういわれがある。もちろんお賽銭は必要である。余談だが、私も回してみた。そのとき後から声があった。お客さん、反対に回してるよ、それだと、一切、経を失うことになるよ、と。危ないところであった。

収玄寺の脇の小径を左に入る。御霊神社に至る御霊小路という。御霊神社は鎌倉権五郎を祭っている。頼朝の祖、八幡太郎義家の時代の武者だ。奥州の清原氏との戦いで、矢が右目を射抜いた。そのまま、馬で陣に引き返す途中、落馬し、同伴していた武者が、矢を抜いてやろうと顔に足をかけた。そのとき、矢に当って死ぬのなら、武者の本懐だが、顔に土足をかけられるのはあってよいことかと、拒絶したという。板東中にそのうわさが広まったという。

御霊神社の裏手に、小規模ながら、見逃せない紫陽花小径がある。静かにもの思いにふけるには格好の場所だ。白人の学生がひとり座って、紫陽花をいつまでも眺めていた。鳥居をくぐると、すぐ先が江ノ電の線路である。線路の両脇にこれまた紫陽花がたくさんの花を咲かせていた。どこもかしこも、紫陽花だらけだ。

先に進むと、大通りに出るが、その角にちから餅を売っているお店がある。妻はそこでそのお餅を買った。伊勢の赤福みたいな、あんこでくるんだお餅であった。それをほおばりながら、昨年の大雨の崖崩れ修理で見る影もなくなった成就院の参道を抜け、極楽寺に出た。お寺にも、駅前にも、もちろん紫陽花が我々を待っていてくれた。

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ワンコイン野球帽デビュー

2007-06-18 07:04:20 | Weblog
ボクの百円ショップで買ったブルーのワンコイン野球帽が、昨日、大船フラワーセンターでデビューしました。今、花盛りの黄色のすかし百合にかぶせてあげました。よく似合うでしょ。

ボクは普段、帽子をかぶらない人ですが、帽子をよくなくす人でもあります。たまにかぶって出ると、電車の中や、レストランや、図書館や、いろいろなところで、もう、この2年間で五つぐらいはなくしています。傘だとか、財布とかはなくさないのに、帽子だけはなくしてしまうのです。身に付いていないということなんですね。

ボクは三越本店でひとめぼれして買った、結構値のはる帽子をもっていますが、これはめったなことではかぶりませんので、今もって健在です。この帽子はいってみれば正室みたいなものですので、なくすわけにはいかないのです。それ以外にも、側室にあたる帽子も5,6個ありました。これは海外旅行で、日射しの強い現地で(夏に出掛けることが多いので)日よけのため買ったものが大部分です。

側室と言っても、結構いいものでした。米国西海岸の有名なゴルフ場で買った、緑色の野球帽(くろねこやまとの帽子と似ているのでいつか間違えられてしまったのだ)とか、ボクが向こうでお世話になった大学名の入った帽子とか、そういう思い入れのある帽子なんです。それらがことごとくなくなってしまったのです。

というわけで、現在、正室と側室ひとつずつだけになってしまったのです。正室は絶対なくせませんから、奥の間に飾っておきますので、この夏、使用できるのは、残った側室だけとなります。しかし、この側室も、ボクはなくしたくないのです。それは、去年の4月、ヤンキースタジアムで買った思い出の、松井選手もかぶっているヤンキースの野球帽なのです。気まま生活に入ったら、是非実現させたいと思っていたヤンキース開幕3連戦観戦記念の、大事な大事な野球帽なのです。たとえて言うと、武田信玄の、正室以上に大事な側室、由比姫にあたるのです。

先日の梅雨入り宣言のあと、いきなりの梅雨の中休みになり、真夏のような日射しが続く日々に、ボクはどうしても、もうひとりの気軽に仕えてくれる側室が必要となりました。

それで、ボクは、去年ユニクロで買ったの1000円の帽子(これもなくしてしまったのだ)を見つけに行ったのですが、今年は置いてありませんでした。仕方なく回りの洋品店を探してみましたが、結構な値段でこれでは気軽になくせません。

そこで、ボクはまさかここにはあるはずはないと思いつつ、百円ショップに入ったのでございます。とととところがでございます、あったのでございます。そして、試しにかぶってみましたら、ボクのあたまにぴったりではあ~りませんか。ボクはすぐさま頭の中でぱちぱちと頭にそろばんをうかべて(一応3級なんです、エヘン)計算しました。これなら、毎日一個なくしたとしても、一夏30日出掛けるとして(100円X30)3000円で済む、普通のお店の帽子一個分ですので、これなら安心して使えます。それに第一側室のヤンキース帽によく似た色で、ボクの好みです。即決断、側室入りを決めたのでございます。

そして、ボクはその辺の村娘の中から選んだ、新入りの側室を連れて、昨日、フラワーセンターに鷹狩りじゃない、花狩りに出掛けたのでございます。とってもいいこでしたよ。ちょっぴり品性に欠けますが(汗)、まあまあの美人で、空(色)のように明るくて、きさくで、気が利いてて、一緒に長くいても頭が疲れない、申し分ない側室でしたよ。写真を撮ってやるねと言ったら、じゃーポーズをとるわね、なんて言って、すかし百合の上にポンと乗っかっちゃて、スカシていました。ういやつじゃ(一度言ってみたかった)。

ボクの可愛い、わんこ野球帽デビューの日でした。意外と一番、長くもったりしたりしてね、世の中そういうもんですよね。夏が終わる頃、新入り側室の動静を報告しますね。

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ハンゲショウ お化粧はじめる

2007-06-17 09:56:23 | Weblog
今朝は5時から、レッドソックスの松坂大輔投手の試合をみていました。7回完封で、岡島の好リリーフもあり、堂々8勝目をあげました。1対0という緊迫した試合でしたので喜びも格別です。おかげさまで今日1日、幸せな気分ですごせます。それにしても、自分自身のことでもないのに、どうしてこういう気分になるのだろう、といつも不思議に思っています。脳科学者に解析してもらいたいです(笑)その幸福感の中で、先日みてきたハンゲショウのことを紹介したいと思います。レッドソックスでなくてホワイトハットみたいでしたよ。

ハンゲショウは、通常7月初め頃に、先端部の2,3枚の葉っぱの下部の半分ぐらいが白くなり、半分お化粧したようになるので、”半化粧”という名前がつきました。白くなる時期が”半夏生”(夏至から11日目)だからだという説もあるそうです。

去年、お化粧姿のハンゲショウを鎌倉中央公園で初めてみました。群生地全体が真っ白な葉で覆われという非日常的な景観にびっくりしました。今年も時期がきたら、ぜひ訪ねたいと思っていましたが、灯台元暗しで、大船フラワーセンターの蓮池に続く湿地にもこの植物が群生していたのです。そして、なんと、もう十分見頃になってきていたのです。

まるで、ホワイトハットをかぶったようですが、白髪頭になったようにもみえます。それにしても、何で白くならなければならないのでしょうか。それも、一月ばかりで、元の緑に戻ってしまいます。ですから、人間でいえば、若白髪ではありませんね、また元のみどりの黒髪に戻るんですから。そうすると、うちのワイフがやっているヘナの髪染め(これは逆に白を黒く染める方ですが)みたいなものですね。一時的に白く染める、この植物にとって、いったい何の意味があるのでしょうか。

ボクは、この白くなる時期に着目しました。そう梅雨どきですね。雨宿りにいろんな鳥や虫が集まってきて、そのときついでに葉っぱを食べていくのを防ぐという目的があるというのはどうでしょうか。とくに大事な先端部の葉っぱだけ、白っぽくなることで、枯れかけた不味そうな葉にみせるのです。

そんなバカなことを考えていましたら、どこからともなく、清らかな、天使の歌声が聞こえてきました。・・・わらべは見たり 野中のバラ 清らに咲ける その色めでつ 飽かず眺む くれないにおーう 野中のバラ・・・ハンゲショウちゃんたちは白いベレー帽をかぶった、ウイーン少年合唱団だったのです。

梅雨どき、みんなを楽しませるために、白いベレー帽をかぶって唄うだけだそうです。ほかに何の理由もありませんよ、と合唱団の少年指揮者が教えてくれました。




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健さんのルーツと宝戒寺

2007-06-16 10:01:28 | Weblog
宝戒寺は萩の寺として有名です。昨年の初秋、まだ白萩がようやく咲き始めた頃にこのお寺を訪れたとき、本堂の仏壇に高倉健さん名のお供えものがあるのに気づきました。以前も目にしたことがありましたので、高倉健さんはこのお寺とどういうご縁があるのか、ずっと気になっていました。それが、数日前、ある本を読みその謎が氷解したのです。

鎌倉中央図書館でみつけた、高倉健さんのエッセイ集「あなたに誉められたくて」にそのすべてが書かれていたのです。真ん中へんの「善光寺参り」というタイトルの文章の中にそれはありました。

健さんは30年以上、毎年善光寺参りを続けていました。熱心な信仰者というのではないのですが、お参りすると清々しい、すごくいい気分になれるのでついつい参拝してしまうのだそうです。そしてそのいい気分になれる理由が福岡女子大の前田先生からの手紙で分ったそうです。

あなたのご先祖に小田宅子(おだいえこ)という方がおられ、今から150年前、「東路日記」という紀行文を残されていますが、ご存じだったでしょうか、という手紙でした。筑前国の商家「小松屋」の主婦、小田宅子は親しい歌仲間3名と1月16日に東国への旅に出て、大阪までは舟でそのあと、奈良、伊勢神宮、名古屋、中山道、木曽路、善光寺へ、そして日光に回り、江戸を経て、再度善光寺へ、そして6月10日に故郷に戻るという大旅行をし、その旅日記を書いていたというのです。

高倉健さんの本名は小田であり、小田宅子は父方の何代前かのおばあさんにあたるということでした。健さんははじめ豆まきの招待がきっかけで始めた善光寺参りがこうして30年以上も気持ちよく続けられている理由が、先祖の方の二度の善光寺参りに結びついていることを知ったのでした。

本家の「小松屋」に残っている家系図の一番最初にある名前は苅田式部大夫篤時(北条篤時)でした。健さんは萬屋錦之助さんに奨められ、鎌倉霊園の墓地を購入したのですが、その帰りに何気なく、宝戒寺に参り、ご住職とお話したそうです。健さんは先祖の篤時の名前を出しますと、あっという顔をされ、過去帳を取り出し、そこに書かれている名前を指さしたそうです。

宝戒寺は北条氏当主の館のあったところで、高時のときに新田義貞に攻められ、そこは灰燼に帰しました。ここのすぐ近くに、高時以下部下が自害した、東勝寺跡があります。このとき有力部下の一人苅田式部大夫篤時も自害したのでした。宝戒寺はこれらの方々の怨念を鎮めるために建てられたお寺なのです。

篤時の子供は岡山へ、山口(大内氏)へと逃げのび、その後、北九州に落ち着き、子孫の方が両替商、小松屋を営み、成功され、前述の小田宅子さんや、現在の高倉健さんに繋がっていったのでした。

健さんはその日から、機会あるごとに宝戒寺を訪ね、お参りをされているのしょう。それで、ボクが何度か、健さんのお供え物をみかけたというわけなのです。

・・・
ボクは昨日、地元女子大の二階堂校舎で、市民講座「平家物語」を受講していました。木曾義仲の時代、まさに平家から源氏への分岐点の頃のお話でした。ボクは帰りに、何気なく(と言うより、引きつけられるように)閉門間近の宝戒寺に寄ったのでした。萩で有名なこのお寺も今の時期は、紫陽花が数本あるだけで参拝者も数人ほどでした。そして、ボクはいつものように、靴を脱いで、本堂に上がり、ご本尊と両隣の梵天・帝釈天像にお参りしました。そして立ち上がって帰ろうとしたそのとき、ちょっと目立たない場所に、ひとつのお供え物がありました。そこには、はっきりと、「高倉健」と書かれていたのです。

この本を読んでいた数日間、高倉健さんがボクの頭の中に居続けていましたので、きっと健さんがボクをここに寄らせてくれたんだ、と思いました。懸案の(楽しいかな?)謎が完全に解明され、ボクは満足感いっぱいで宝戒寺の山門を出たのでした。







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浄妙寺 芝生のネジバナが見頃です

2007-06-15 08:24:14 | Weblog
ボクは去年の夏のある日、浄妙寺の本堂の前の芝生にネジバナがたくさん生えているのを知りました。でも、そのときは、もうすっかり花が終わっている時期でしたので、ボクは是非、翌年は花の見頃のときに訪れようと思っていたのです。それが今日実現したのです。

ネジバナには思い出があります。もう四半世紀以上も前になりますが、ボクの職場が都内から地方に移ったときに、都内ではみかけなかったこのピンク色の、それもねじのように螺旋状に咲く、可愛らしい花をあちこちでみかけ、ずいぶん心が和んだものでした。

そして、ボクが職場の近くに、念願の一軒家を建てて、猫より小さいリスの額ほどの広さの庭の一部に芝生をはったのですが、数年もすると、ネジバナが生え始め、どんどん増えてきたのです。ボクとちがって、雑草を目の敵にし、生えてくると、すぐ引き抜いてしまう、やさしさのかけらもない(笑)ワイフも、この花だけには甘く、残してくれていたのです。そして、10数年経ち、我が家の芝生コーナーはボクのゴルフの練習でめちゃめちゃになり、とうとう”ネジバナは残った”でネジバナ鑑賞コーナーになってしまったのです。

鎌倉のお寺さんの中で、このようにネジバナを可愛がってくれているところは、ボクが知る限り、浄妙寺さんしかありません。相当できたご住職さんだと思います。こんなひねくれもんの花をつける植物までお許し下さるのですから、海のように広いお心をおもちの方だと思います。

山門を入ってすぐ、ボクは、だいぶ先の本堂前の芝生の方に目をやりました。なんと、芝生がうっすらとピンク色になっているであ~りませんか、咲いてる、咲いてる、とボクは心の中で叫びながら、誰もいない海じゃない、誰もいない境内を駆け抜けたのでございます。満開とまでいきませんが、ピンクの花がぐるっと螺旋状に捲いているのが分るくらいになっていました。

2年越しの夢の対面に、ボクは原節子さんと吉永小百合さんと松嶋菜々子さんの3人の女優さんに、いっぺんにお会いしたくらい頭に血がのぼって、血圧も150ぐらい、脈拍も100を越してしまったような気がしたのでした。血圧を測るときによく先生に言われるように、ボクは大きく3回深呼吸をして心を落ち着かせました。

そしていよいよ撮影に入りました。このお寺のすぐ近くに原節子さんがお住まいですので、ボクは北鎌倉を舞台にした小津安二郎監督の「麦秋」の原節子さんを思い浮かべながら撮影しました。もちろん小津監督流にローアングルの撮影です、カメラを芝生につけ、ネジバナ節子さんに向けて傾けて撮りました。アップした写真がそれです。バックはお寺の本堂です。原節子さんのようにきれいに撮れたでしょ。

ボクは念願の「初夏」のネジバナ節子さんの撮影を終え、ひとりで打ち上げパーティを行いました。境内の石釜ガーデンテラスで、小津安二郎天丼と日本酒じゃない(ここは”天ぷらひろみ”ではないのだ)、パスタランチと赤ワインと紅茶と、そして、何よりのごちそう、レストラン前の英国式庭園の緑を眺めながら、ゆったりとした時間をすごしたのでした。

・・・・・
浄妙寺のお花はネジバナだけではないですよ(笑)。レストラン入り口の、白花紫陽花が見事ですし、そこに至る坂道沿いの山あじさい、西洋あじさいも結構な数があり、それぞれが見頃を迎えています。また、衣張山方面を展望できる小高い丘のあたりには、多士済々な(?)山あじさいを中心に、ほたるぶくろ、しもつけ、しもつけに似た花、八重咲きのドクダミ、テッセン、金糸梅、びようやなぎ等、たくさんの花々が今盛りと妍を競っていました。どこにも負けない、りっぱな花の寺ですよ。


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明治神宮御苑の花菖蒲は日本一だと思う

2007-06-14 09:25:17 | Weblog
久し振りに訪ねたのですが、明治神宮御苑の花菖蒲はやっぱり日本一だと思いました。本土寺や明月院、それに水元公園、堀切菖蒲園といろんなところの菖蒲園をみましたが、やっぱり、神宮御苑には敵わないと、今日改めて思いました。

ボクの職場がむかし都内にあった頃、渋谷、新宿は通勤コースでした。ですから、原宿で途中下車し、明治神宮の森をよく散歩しました。仕事始めの日は必ずここに初参りしましたし、今頃の時期はいつも花菖蒲の見学に来ていました。

はじめてここの花菖蒲をみたときのカンゲキは忘れられません。そのときは、まさに最高の見頃で息を飲むような美しさでした。ゆるやかにカーブしながらつづく菖蒲田は一番奥が見渡せないほど広く、そこには、さまざまな色合いの紫の、そしてその間に白いろの菖蒲の花がびっしりと埋め尽くされているのです。そして、神宮の雑木林の緑が、それらの花々をやさしく包むように佇んでいます。こうした周囲の木々の緑にいだかれた、むらさきに煙る菖蒲田の景色が、そのときボクの脳裏にしっかりと焼き付いてしまったのです。

その後、ボクの職場はつくばに移転し、原宿は遠いところになってしまい、めったに訪れなくなってしまっていたのです。比較的近場の、常磐沿線の本土寺とか水元公園とかの菖蒲園もすばらしく、それなりに満足していたこともあります。

そして、ボクは今また、比較的近くに(湘南新宿ラインに乗ると1時間かからないのです)住むようになり、本当に久し振りに神宮御苑の菖蒲田を訪れたというわけなのです。9時ちょと過ぎには明治神宮御苑に到着しました。東門から入り、素晴らしい緑の雑木林の中の木漏れ日の小径を進むと、南池が現われ、その先にお目当ての菖蒲田があります。

はじめてみたときと同じほどのカンゲキが蘇ってきました。ほとんど最高といってよい見頃でした。ワイフもボクもその菖蒲田の端にしばらく佇み、視界に入ってくる菖蒲田全体のむらさき色ベースの色のハーモニーを楽しんでいました。そして、”あぜ道”をゆっくりと、今度は一つひとつの花をみてあげました。お姫さまのように大事に育てられていることがよく分かります。ここのはすべて江戸系(伊勢系、肥後系の3系統があるそうです)で、150品種、1500株もあるそうです。奥万里、小町娘、夕日潟、大紫等々、白からはじまり紫色をすこしずつ加えて、濃い紫まで、よくここまで育成したと思うほどの多様な色合いでした。とくに、白地にほのかなむらさきがちらばる”深窓佳人”が良かったです(品種名にくらくらときたのが真相です)。

そして、ボクらは一番奥の田がようやく見渡せるところまで来ました。こちらの田には花がら摘みの作業をしている方がいて、他の田に較べて少し花が少ないようでした。ボクらは木陰のベンチに座り、また菖蒲田全体を見渡していました。目の前には、絵画サークルの団体がいて、みなそれぞれ、大きな風景を描いたり、一本一本をしっかりデッサンしてたりしていました。

隣りに座っておられた80才ぐらいのご婦人が話しかけてきました。自分は埼玉の坂戸に住んでいるのだけれど、毎年必ずここに来る、去年は花のつきが悪かったけど今年は最高だ、透析を1日おきにしている身体だけど、どうしてもみたくて今年も来た、とおっしゃておられました。

そして、そのご婦人は、しばらく菖蒲田に目をやったあと、ここの菖蒲は日本一ですよ、とつぶやきました。ボクは、この菖蒲田をみてカンゲキした若き日のことも思い出しながら、本当にそうですね、と心からの相槌をうったのでした。


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海蔵寺 初夏

2007-06-13 05:40:34 | Weblog
北鎌倉駅から亀ヶ谷切り通しを抜けて、海蔵寺に至る道はボクの大好きな散歩道のひとつです。何か、必ず小さな発見がある楽しい道です。今日も、切り通しの途中の、左側の岩の壁の上の方に薄紫色の星形の花をたくさんつけているイワタバコの群生を見つけましたし、右側の地べたの片隅に、白い小花を咲かせているユキノシタの結構大きな群落も見つけました。この植物は鎌倉ではよくみかけ、”雪の下”の地名のもとになったと聞いたことがあります。

小林秀雄さんの旧居跡(小林さんのあと、懇意にしていた漫画家の那須良輔さんが住み、現在は空き地になっています、でも鉄製の門扉が残っていて、そこに那須さんがたぶん表札代わりにデザインした茄子(なす)の模様が彫られていますのですぐ分かります)を通り過ぎて、横須賀線を越えて、右に少し入ると、ボクが鎌倉で好きなお寺の三本指に入る、海蔵寺に出てきます。

いつ来ても楽しめるお寺です。四季折々の草木の花々、そして動物たち(蝶、花アブ、テントウムシ、みみず、ダンゴムシ、リス、ホモサピエンス(笑)等々)が必ず顔をみせてくれます。さて、この初夏の候では、どんな顔がみられるでしょうか。

はい、そうですね、まずは花菖蒲です。本堂の横に、見頃を迎えた白い花菖蒲(紫色も数本)がずらりと並んでいます。その横の真っ赤なマツバギクとの対比が見事です。この光景は、昨年のサライの鎌倉特集号の表紙を飾りました。去年、たまたまそこにいらしたご住職にお聞きましたら、純白の花菖蒲にこだわっているそうです。年々、少々紫色が混じってくるのが残念だと言っていました。そういえば、ほのかですが、色っぽくなっています(笑)。

それだけではありませんよ、紫陽花はもちろんのこと、裏庭に回れば、それこそ純白のカラーが、ピンクのさつきが、そして来るときもみたイワタバコの可憐な紫の花とユキノシタの白い花も。加えて、表の庭では、赤と白の河原なでしこ、都わすれ、そして八重咲きのドクダミの群落までみつかりました。初夏でもこんなに多くの種類の花が咲いているんですね。

そして、苔美人があちこちで、しなをつくってボクを待っていてくれました。ここも苔寺といってもいいくらい、あちらこちらに素敵な苔がいっぱいでした。木漏れ日を受けた”苔の箱庭”の、なんと美しいこと、少し古い苔の濃い緑、普通の緑、そして芽生えたばかりの淡い緑、それに木漏れ日が入って、それぞれの緑に明暗の色づけをします。まるで緑ベースのパッチワークのようになっていてうっとりしてしまいます。ひょうきんな苔ちゃんもいました。お地蔵さんの前の丸い自然石の上にまるで帽子のように生えているのをみつけました。苔ぼうず(苔帽子の方がいいかな)とあだなをつけました。また、ミニ盆栽の苔玉のように岩に生え、そこにイワタバコを咲かせている、気のきいた苔ちゃんもみつけました。

天からはウグイスのたえなる鳴き声ホーホケキョが聞こえてきます。そして、地からは貝殻の後ろ同士をすりあわせたような、たえなるとは言えない(たえられない?でも愛嬌があっていいですよ)ガーガーと2匹の蛙の合唱。でも、ウグイスも蛙も姿をみせてはくれませんでした。

初夏の海蔵寺は、草花も苔も動物たちも、今魅せなければ、魅せるときがないと一生懸命でした。本当に”花の命は短くて”ですね。なくらなないうちにと、ボク等は、これから明治神宮御苑の花菖蒲をみにいきます。明日、ご報告しますね。


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明月院の花菖蒲のことも誉めておかないと

2007-06-12 08:31:55 | Weblog
ボクは一昨日、明月院の水色に輝く紫陽花苑は、まるで懐かしの名曲”水色のワルツ”を彷彿させるようだ、と最大級の賛辞を添えて紹介しました。しかし、方丈裏の庭園の花菖蒲については一言も触れませんでした。そのせいだと思うのですが、最近夜な夜な(と言っても2日間だけですが)、枕元に、白装束の花菖蒲の亡霊が現われてきて、頭を垂れ、両手もだらりとさせ、うらめしやとささやくのです。

明月院の花菖蒲はたぶん品種のせいだと思うのですが、花がやわらかく、なよなよして、だらーんと垂れ下がっていて、とくに白系統は昼間でも幽霊のようにみえるのです(伊勢系の品種にそういう傾向がありますので、それかも知れませんね)。それが、枕元に現われると夜も眠れず、3度くらい目を覚ましてしまうのです(それは歳のせいだとの声も)。

それでボクはなるべく早く、このブログで花菖蒲さんを紹介して、紫陽花に負けないぐらい誉めて、花菖蒲さんの霊を鎮めてあげたいと思ったのです。そうすれば、もう枕元には現われなくなり、ボクもゆっくりと眠れると思うのです。

・・・・・
すばらしい花菖蒲さんでしたよ。”紫色のワルツ”が流れているようでしたよ・・そんな見え透いたうそを言ってはいけませんね、そんな歌、聞いたことないですね・・何かないでしょうか、白と紫のブルースとか、・・あれは、赤と黒でしたっけ。でも、無理して、歌謡曲に結びつける必要はありませんね。

まじめな話、ここの菖蒲園はたいしたもんだと思いますよ。これだけの規模の菖蒲田をもつ鎌倉のお寺は他にないですね。それに紫陽花と同時に花菖蒲も楽しめるというのもいいですね。一粒で二度おいしいグリコアーモンドチョコですね。この二度おいしいお寺は関東一円捜しても、ここと北小金の本土寺だけでしょうね。

ボクは常磐沿線に住んでいましたので、本土寺のことをよく知っているのです。花菖蒲だけなら本土寺の方が上かもしれません。ふたつの花のセットで比較すると、いい勝負でしょう。それに秋の紅葉もどちらのお寺もいいです。最寄り駅が、どちらも北がつく(北鎌倉、北小金)のもいいですね、本土寺は小金持ちの方がよく来るそうです(来た小金)、明月院は大金持ちの、余裕のあるお昼寝好きの方が多いらしいです(来たか、枕、蔵)。

まじめな話と言いながら、冗談ばかり言って、花菖蒲さん、ごめんなさいね。それに、あなたを幽霊みたいなんて言ってごめんなさいね。言い換えますね。竹久夢二さんの美人画の”浴衣の君”みたいでしたよ。とても、なよなよして、足もとがみえないようで、妙に色っぽかったですよ(白花でもうす紫の色が混じっていた)。とっても素敵だったですよ。

これだけ誉めれば、浴衣の君は、熱燗とっくりの首つまんで、もう一杯いかがなんて言ってくれそうですね。そして、ボクはすっかり酔っちまって、夢ごこちで安眠できそうですね。

・・・・・
旅の宿


作詞 岡本おさみ 
作曲 吉田拓郎 
歌唱 吉田拓郎  

浴衣の君は ススキのかんざし
 熱燗とっくりの首つまんで
  もう一杯いかがなんて
   妙に 色っぽいね


僕は僕で あぐらをかいて
 君の頬と耳は真っ赤っか
  ああ風流だなんて
   一つ俳句でもひねって


部屋の明かりを すっかり消して
 風呂上がりの髪 いい香り
  上弦の月だったっけ
   久しぶりだね 月見るなんて


僕はすっかり酔っちまって
 君の膝枕にうっとり
  もう飲み過ぎちまって
   君を抱く気にもなれないみたい




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材木座海岸での海上神輿

2007-06-11 11:13:09 | Weblog
昨日の日曜日は、この辺では珍しく雷が何度も鳴ったりして、とても外出できる雰囲気ではありませんでした。でも午後になって、晴れ間がみえてきましたので、予定していた材木座の五所神社の例大祭に出掛けました。3時頃から材木座海岸で始まるという御神輿の渡御をみたかったのです。

1時すぎに、鎌倉駅を降りて、若宮大路を海岸に向かって歩き、海岸近くの交差点を左に折れ、真っ直ぐ進みました。材木座5丁目あたりまで進みますと、人だかりが目に入りました。近づくと、ちょっとした広場があって、そこにりっぱな御神輿が三台置かれていて、その回りに、祭ハッピを着た人たちが大勢たむろしていました。

そばの若い衆に聞きますと、ここを2時ころ出発して海岸までねり歩くのだということでした。まだ、出発まで時間がありましたので、近くの五所神社まで歩いてみました。この辺は結構歩いていて、もちろん五所神社も訪れたことがあります。普段は、どちらかといえば、うらびれた風情の、誰も訪れないような神社です。

でも今日は違っていました。参道も飾られていて、お社もお化粧していました。お祭りの出店みたいのはひとつもありませんでしたが、ぴりっとした雰囲気が漂っていました。いつもはぐーたらしているけど、大事なときにはばっちり仕切るMさんのことを思い出しながら、お賽銭をいつもよりはずんだのでした。

そして、元のところに戻ってきましたら、もう御神輿が三台、こちらに向かってきていました。先頭のくるまには大きな榊の木が祭ってあり、巫女さんがその榊の小枝をお賽銭をくれた町の人に渡していました。そしてその後ろには、御神輿の先導役になるのでしょうか、天狗の面をつけた、うす茶色の衣装をつけた人が、ゆっくりと歩いていました。先月みた浅草の三社祭でもそうでしたから、そういう決まりなのでしょう。そして稚児行列やピーヒャラピーヒャラ、テンツクテンツクの音楽隊等が続き、三台の御神輿はそのあとを練り歩きます。

御神輿三台は、三社祭の一之宮、二之宮、三之宮に相当すると思いますが、ここでは一緒に行動します。「一之宮」と「二之宮」は通常のまつり半纏を着た人がかついでいますが、「三之宮」は神社の方が着るような白装束の人がかつぎ手です。行進の仕方も違います。一と二は、”どっこいそーら”のかけ声と共に、上下左右に激しく揺らし、威勢良く行進しますが、三の方は、ゆうゆうと動き、まるで、ボクが呑みすぎたときの千鳥足のように動きます。それに、はやし唄ものどかな調子です。あとで気づいたのですが、これは天王唄という地元の伝統的な唄のようです。

この行進は、海岸への入り口の前の広場で一旦休憩し、それから再出発して、光明寺の門前まで行き、神輿を踊らせてから、また海岸入り口まで戻ります。そして、トンネルをくぐって、いよいよ材木座海岸に出ます。

海岸には大勢の見物人が待機していました。三台の神輿は晴れ舞台に上がる歌舞伎役者のように、堂々と、ときには見栄をきるように、浜辺を練り歩きます。そして、浜辺の一画にゆっくり腰を下ろします。そして三台の神輿に対し、神主さんのお払いが始まります。仕上げは、大海原に対しての、波打ち際でのお払いです。

そして、いよいよ、海上渡御です。合図と共に、ふんどし一つの若い衆や老い衆(笑)や、お尻をみせるのがイヤな、はにかみ王子はふんどしの上に手ぬぐいを巻いて、若い女性はちち丸出しで(ウソです、上下ばっちり隠していましたよ)、御神輿の方に走っていきます。

華やかな海上神輿が始まりました。町の中を練り歩くのとは、全く違った雰囲気が醸し出されます。海の中に入り、海という神様に直接、感謝やおそれの気持ちを御神輿を通して示すということなのでしょう。みている者にもそんな、何かが伝わってくるようです。

腰のあたりまでつかって、二台の神輿(三之宮は海には入りません)が、20分以上も海の中で歩き、踊ります。浜辺では大人も子供も歓声をあげて、身体をくねらせたりしながら喜んでいます。サーファーもいっぱい海上にいましたが、一緒に喜んでいました。カメラマン(ウーマン)もいっぱい、遠くにみえる逗子マリーナや反対側の稲村ヶ崎をバックに写真を撮っていました。ボクのそばの、50代くらいのご婦人は小津監督のように、ローアングルで神輿を撮していましたが、突然、大きな波がきて、高そうなりっぱなカメラに海水がどっぷりかかり、ひとりでぶつぶつ言っていました。”~あとの祭りよ”と、ひばりさんの”お祭りマンボ”の最後の一小節だけを心の中でそっと唄ったのでした。

海上渡御が無事終わり、三台の神輿はまた、もときた道を辿り、五社神社に帰っていきました。ボクはもちろんずっと、あとをついて行きましたよ。


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あじさい寺は水色のワルツ

2007-06-10 09:38:24 | Weblog
昨日の土曜日は雨のところが多かったようですが、鎌倉は奇跡的に雨雲がはずれ一日中、降らずにすみました。そんな紫陽花見物日和に、あじさい寺、明月院に行ってきました。朝一番、じゃない二番に行ったのに(9時開門と思って出掛けましたが、8時半開門でした)もうすごい人出。地元の人は土日は避けるが鉄則ですが、がまんできなかったのでありました。

総門を入ると、どどどどと、いった感じで、淡いブルーの花の大群が目に飛び込んできました。まだ早いのではとの心配がここで一気に吹っ飛んでしまいました。もう十分見頃でした。

大勢の人のあとについて、方丈の山門に向かう鎌倉石の坂道をゆっくりゆっくりと登っていきました。石段の両側からは、手まりのようにふくらんだ大きな花をたわわにつけた紫陽花の枝がしなだれてきています。

たくさんのお客さんにようこそおいでくださいましたと、楚々としてちょっぴり恥ずかしげな、”はにかみお嬢さん”みたいな風情で迎えてくれました。しつけのよく行き届いた、感じのいいお嬢さんという風でした。

途中こんな案内板がありました。「ここの紫陽花はほとんどが、姫紫陽花という種類で、色の変化もあまりありません、空や海の色のように淡い青から深い青に日ごと濃くなっていきます」

なるほど、たしかにお姫さまという風情だ、そして、なるほど、空の青さか、海の青さか、水色かとボクは改めて、回りのあじさいの花をしみじみとみてみました。ほとんどがアップした写真のような、淡い水色でしたが、まだ海の波打ち際のような白が勝っているような青、あるいは、少し沖にいった海の色のように青が勝っているようなのもところどころにみえました。ボクは梅も蕾がたくさんあるような咲き始めが好きですが、明月院のあじさいも、今の、青みがつき始めた頃の方が好きです。ですから、ボクにとっては今日は最高の見頃です。

「あじさいのはやしをすぎて あじさいをしみじみとみき」 しているうちに上の方丈前の山門に到着しました。そして、そこで、いままで歩いてきた小径を振り返ってみました。そこには、数え切れないほどの紫陽花の株がそれぞれ、たくさんの水色の手まりの花をつけ、折からの一陣の風で花をゆっくり揺らしていました。それが、まるで、ボクらを歓迎して、淡い水色のハンカチをふってくれてるかのようにみえたのでした。

・・・・・・
水色のワルツ

作詞 藤浦 洸
作曲 高木東六
唄  二葉あき子

君に逢ううれしさの 胸に深く
 水色のハンカチを ひそめるならわしが
  いつの間にか 身にしみたのよ
   涙のあとをそっと 隠したいのよ

月影の細道を 歩きながら
 水色のハンカチに 包んだささやきが
  いつの間にか 夜露にぬれて
   心の窓をとじて 忍び泣くのよ

  (ハミング)

心の窓をとじて 忍び泣くのよ




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