気ままに

大船での気ままな生活日誌

あれあれ ボクの秘密の花園が・・・

2007-06-09 08:18:02 | Weblog
この写真をみてください。紫陽花がきれいでしょ、と言うつもりはないのです。紫陽花の前のきれいになってしまった芝生をみてもらいたいのです。

実は昨日まで、この芝生のところに、ボクの自慢の秘密の花園、愛の園があったのです。朝の散歩コースの、静かな丘の上の公園の、誰も行かない隠れたような場所にその愛の園があったのです。

そこには、花が咲いていました。愛の花が咲いていました。いくら積んでも花はつきないくらいありました。どこにどこに行ったの、愛の園、ボクだけの愛の園はどこに行ってしまたっんでしょうか。

今朝まで、そこは本当にすばらしい光景でした。紫陽花の根元からこちら側に向かって中途まで、白クローバと赤クローバとが右と左にきれいに棲みわけて、赤紫と白の花の帯をつくっていました。そして、その花の帯を抱くように、ヒメジョンの白い可愛らしい花の帯がそのうしろに続いていました。そして日本タンポポの黄色の花やドクダミの白い花、露草の青い花、カタバミのようなピンク色の花等々がパッチワークのように、点々と彩りを添えていました。それに加えて、数日前から、黄色い月見草(本当の月見草は白らしいですが、ボクはこの花をそう呼んでいます)が数本、朝のうちだけ花を開き初めていました。こんな風に、ここで野草の花が咲き乱れていたのでした。それはどんな花園にも負けないくらいすばらしい、自然のつくった野草の花園だったのです。

ボクはこの花園を、数日中に月見草が開いている朝のうちに写真に撮って、「ボクの秘密の花園」というタイトルでここで紹介しようと思っていたところだったのです。それが、なんと、なんと、今日の夕方の散歩で、この有様になってしまっていたんです。それで、「あれあれ ボクの秘密の花園が・・・」で紹介せざるを得なくなってしまったというわけです。

ボクは、はっと思いました。そういえば、さっき水道のところで草刈り機を洗っている人がいた、きっとその人にほんの少し前に刈られたんだ、もう少し早くここに来ていればと、ボクは地団駄を踏んだのでした。あとの祭りだ、です。

でもその人に、ここはボクの秘密の花園なので刈らないでください、と要求したって、何言ってるんだ、この○○じじい、オレは市から全部刈れと言われてるんだ、と言われるのがおちだったでしょう。マンションの自治会の総会で、生け垣の除草のときかわいい緑の苔は残して下さい、殺虫剤をまくときには幼稚園生の好きなダンゴムシにはかけないでください、という要望が通らないと同じ程度に難しいことかもしれない、と思い直しました。

でも前向きに考えれば、これでいいのかもしれないと思いました。ここの野草たちの一番きれいなときを昨日見せてもらった、クローバの花もすぐ終わるし、もうあとは全体に下り坂だ、それに、今刈ることによって、また秋口に別の花々が咲き乱れる光景がみることができるのだ、今、女子大の市民講座でお勉強している、平家物語もいっている、諸行無常のひびきあり、盛者必衰のことわりだ・・とボクは思い直したのでした。

そして、丸坊主になってしまった秘密の花園のありし日の姿を思い浮かべながら、布施明さん(ボクの三鷹の小中学校の後輩なのだ)の愛の園を歌ってあげたのでした。


・・・・・
愛の園


作詞 山上路夫 
作曲 平尾昌晃 
歌唱 布施明

そこには花が 咲いている
 愛の花が 咲いている
  いくら摘んでも 花はつきない
   どこに どこにあるの 愛の園
    二人 二人だけの 愛の園


そこには夢が あふれてる
 愛の夢が あふれてる
  眠る二人を 夢がとりまく
   君と 君と行こう 愛の園
    二人 二人だけの 愛の園


そこにはいつも 二人だけ
 愛し合ってる 二人だけ
  ちょうどアダムと イブのように
   君と 君と生きる 愛の園
    二人 二人だけの 愛の園


どこに どこにあるの 愛の園
 二人 二人だけの 愛の園


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夫婦それぞれ、うふふの一日

2007-06-08 09:42:11 | Weblog
今日、ワイフは一泊旅行に出掛けています。グルメツアーで、くろよんロイヤルホテルに泊まって、吉兆の日本料理を頂くのがメインだそうです。和食党のボクにも魅力的なツアーでしたが、なんとなく、女ばかりの参加になるのではないかという気がして、申し込みませんでした。予感は当りました。ワイフのメールで、全員女性、それも一人参加が大部分であることが分かりました。ああ良かったと思いました。もし参加していたら、あまたの熟女の視線を一身に受けなければならなかった。ごちそうを味合うどころではなかったでしょうね。あやうくトホホの一日になるところでした。

そんなわけで、ボクも負けずに、今日はグルメで行こうと出掛けたのでありんす。夜はめんどうなので、昼にしました。ボクの一番のごちそうは、鰻や天ぷらも好きですが、やっぱりお刺身には敵いません。大船の”かんのん”もうまいけれど、少し遠出して茅ヶ崎の居酒屋”えぼし”にしようと電車に乗りこみました。

電車が、藤沢、辻堂を過ぎる頃、せっかくだ、もう少し先へ、と気が変ってきました。いつか訪ねた真鶴漁港の近くのお店も良かった、それもいいと思い、茅ヶ崎駅をパスしたのでした。そして、小田原駅に到着、しばらく停車しますとのこと。そのわずかな隙間の時間がボクの運命を変えたのです。ここで、また、ボクの居酒屋担当遺伝子がピコピコ動き出し、小田原にもおいしい刺身を食べさせてくれるとこがあるじゃないか、とささやき始めたのです。

そこは、以前、箱根プチ旅行の帰りに、みつけたお店です。その後、何度か訪ね、お刺身や金目鯛の煮付けなど頂いたことがあるのです。ボクの居酒屋担当遺伝子はそのときのビデオ映像をちらつかし、ボクをふらふらと東口の繁華街の雑踏の中に押し出してしまったのでございます。

そのお店の名は”ふじ丸”。漁船の名前みたいでいいでしょ。12時半でしたが、お店はほぼ満席でした。やばい、と思いましたが、奥の座敷のテーブルがひとつだけ開いていました。それも、絶妙の席です。壁に寄りかかることができる、目立たない端の席です。”はにかみおう(や)じ”にはぴったりの席です。

お刺身は、地魚盛り(1050円)、それに、先付けのつもりで、鰺の酒盗和え(525円)、もちろんお酒も。冷酒でも10種類くらい用意されています、無難なところで、新潟の吉乃川を頼みました。

お酒はすぐ来ましたが、この混み具合ですから、お刺身はちょっと時間がかかりました。でもボクのは待つのが好きな人です。お酒をなめなめしながら、文庫本を取り出し、な(め)なめ読みします。白州正子さん(生シラスはメニューにはなかったけど)の「西行」です。これは西行ゆかりの土地を訪ねる旅みたいな本なので、どのページを読んでも、楽しめるので、こういう場所にはぴったりなのです。大磯を通ってきたしと、鴫立庵のところをみていました。

そうこうしているうちに、ふたついっぺんに来ました。まずお刺身、うううまい。舌で転がしているうちにお酒をそそいであげます。お刺身ちゃんが身を震わして喜んでくれます。そしてごっくと呑み込みます。あーとため息をつきます。それを何度も繰り返します。ときどき、間に、鰺の酒盗和えとお酒のコンビを口に入れます。これがまた絶品、お酒にぴったりの相性です。

お刺身ちゃんの気に合うお酒は日本酒しかないとボクは思います。ためしにビールやワインと一緒にさせてやると、口の中でお刺身ちゃんがいやいやしているのがよく分ります。日本蕎麦もそうですね。蕎麦屋でビールなんか呑んでる人の気がしれませんね(笑)。

途中で、ご飯代わりに、ポテト盛り合わせなど追加注文したりして、ゆっくりすごしました。1時半を過ぎると、あれほど混み合っていた店内も空席が目立つようになりました。ああ、今日は平日か、勤め人は職場に戻ったんだ、と思いながら、ボクは、酔いが回って、少しぼんやりしてきた頭の中で、現役時代のことを思い出していました。死ぬほど多忙な日々が続いたときも、いつかはくる、こういうのどかな、気ままな一日、うふふの一日を夢想して、しのいでいたものでした。

そして、ボクは店を出て、小田原の商店街や飲屋街などの知らない道をぶらぶら(フラフラと?)と散策してから、家に帰ったのでした。夜9時頃、ワイフからケイタイのメールが入りました。”すごいごちそうだったよ、うふふ”

夫婦それぞれ、うふふの一日でした。






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尾形乾女さんとあじさいの小径

2007-06-07 11:03:20 | Weblog
北鎌倉駅を降り、円覚寺の山門前を通りすぎて、すぐのところに鎌倉古陶美術館があります。アジサイの咲く頃には是非寄りたいところです。美術館の庭に、100種類以上にものぼる、地植えの山あじさいが、いつも、近くの紫陽花寺よりも早く、山あじさい特有の、清楚でかつ多彩な花をいっぱい咲かせているのです。

そこで、尾形乾女さんの「花の美術展」が開催されていました。乾女さんは平成9年に98才でお亡くなりになっていますが、昭和50年代からこの美術館の場所でお仕事をされていました。あとでここの方に聞いたことですが、当時の建物は取り壊し、現在のは民家を移築したものだそうです。とても風情のある建物でしたので、乾女さんの仕事場にぴったりだなと思って聞いてみたのです。

普段でも、出窓の向こうの山あじさいが、まるで額縁のあじさいの絵のようにみえる部屋に、乾女さんの、花や子供を描いたほのぼのとした日本画の作品が並べられています。ボクはもともと日本画フアンですから、これらの作品はボクの目の中をすーっと通り抜けて、ボクの頭の片隅の秘密の小部屋に入ってきて、しばらく遊んでいってくれます。

今日は特別展として、乾女さんの作品が200点以上も展示されているわけですから、ボクの秘密の小部屋はいっぱいになってしまいましたけれど、いつものように、その小部屋は、なごやかで、ほのぼのとした空気に満ちていました。

子供の遊んでる姿、仏画などもありましたが、圧倒的に多いのが植物の絵です。百合、なでしこ、萩、沈丁花、テッセン、くちなし、梅、等々です。みんな良かったですが、乾女さんの80才(メモしてこなかったので正確ではありませんが、そのくらいの歳)作の「十二ヶ月屏風」はとくに気に入りました。各月の代表的な花が描かれているのです。カメラOKということでしたので、アップした写真を撮りました。

乾女さんは六代目尾形乾山の娘さんで、本来ですと7代目を継いでもいいのですが、女は窯場に出入り禁止の時代に育っていますから、若いときに陶芸の勉強ができず、女子美を出てからは、堅山南風の弟子になって日本画の勉強をしたのです。会場にも飾られている「楽人の妻」で帝展入選を果たし、日本画家として大成します。でも血は騒ぐのでしょうか、還暦を過ぎてから、北鎌倉の河村蜻山の明月窯で陶芸を学ぶようになります。この会場にも、たくさんの染め付け小壺や角皿、茶碗等が展示されていました。

鎌倉中央図書館に、乾女さんの自伝的エッセイ「蓮の実」があります。非売品で、乾女さんの、北鎌倉の住所と名前の印が押してありましたから、めったにみられない本です。この本で、乾女さんが、バーナードリーチや富本憲吉と親好があることを知りました。お二人は六代目の弟子で、免許皆伝の意味をもつ伝授書を渡されています。でもお二人とも、七代目は継承せず、独自の作風をもつ作家になっていったのです。六代目は「ワシの最高の作品はリーチさん富本さんと内嶋さん(北郎)だ」と言っていたそうです。

お父さんの20回忌に富本憲吉さんが来てくれ、染井のお墓の前で「奈美さん(彼女の本名)も立派な画家になりました、どうぞやすらかにお眠りください」という声を聞きました。太平洋戦争のさなか、女ひとりで心細い思いをしていたときのやさしい、うれしいお言葉に、思わず、涙がこみ上げてきて止まらなかったたそうです。涙目にうつる大欅の向こうの美しい夕映えと共にいつまでも忘れられなかったそうです。

ボクは美術館を出たあと、庭園と美術館をぐるっと巡っている、回廊のような小径に咲き誇る、山あじさいをゆっくりと観て回りました。なるほど、入り口の案内のポスターに書かれていたように、”あじさいの小径”だと思いました。小径のおわり近くで、常設の乾女さんコーナーの部屋の前に出ました。そして、今度は窓の外から、乾女さんがあのときみた夕映えのように美しく、なつかしく、ほのぼのとする作品をしばらく眺めていたのでした。



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東慶寺一の苔美人

2007-06-06 10:33:11 | Weblog
東慶寺の岩壁の、星くずのように美しいイワタバコを鑑賞したあと、ボクは次ぎに、新緑から濃い緑に移りつつある、言葉を換えていえば、少女から大人の女に成長しつつある苔美人の探索に出掛けました。

5月の半ばに、ここを訪れたとき、新緑の一番の苔美人は、イワタバコの岩壁の先にある、前田青邨画伯のお墓に向かう石段に生える苔でした。それで、ボクはその日もまず、その場所に向かったのでした。ところが、その石段はその後、人に踏まれたせいか、はじっこの方に、わずかばかり、それも冴えない色の苔があるばかりでした。

ボクはがっかりして、この暮苑の一番の高台にある、高見順さんのお墓のある方に向かったのでした。でも、このあたりの苔は、日当たりがいいせいか、お昼寝から起きたばかりの、ねぼけ顔の苔さんばかりで、ボクの心をとらえる苔美人はひとりもいなかったのです。

そして、しばらくの間、”苔美人探索の旅”を続けていましたが、下の方に降りてきて、目を見張る苔美人をみつけ、驚きの声をあげてしまったのです。その苔美人は、まるで鏑木清方の美人画から抜け出てきたような着物姿の、清々しくて、ほんのりとしたお色気(コケティッシュ(笑))が漂う、美人だったのです。

このあたり一帯がきれいでしたが、とくに、小径から二番目のお墓が、際だっていました。あじさいと椿の木にはさまれた墓石の前のスペースには余すことなく、鮮やかな、少し濃い緑色の苔がびっしりとつきつめられていました。折からのこぼれ日を受け、その緑の苔はまばゆいほどの輝きを放っていたのです。東慶寺一の苔美人をみつけだした喜びでボクは胸がいっぱいになっていました。そして、その自然石の墓標に刻まれていた「真杉静枝之墓」の文字に、ボクは二度、びっくりしてしまったのです。

ボクは以前、林真理子さんの、「女文士」を読んだことがあります。真杉静枝さんの伝記的小説です。小説といっても、彼女と関係した作家の実名がぼんぼん出てくるので、まるで週刊誌のような、おもしろ感覚で読んだ記憶があります。

新聞社の社員で、作家志望であった、真杉さんは、仕事で出会った武者小路実篤さんに、あなたが笑うとセザンヌの描く女にそっくりになるね、と言われ、彼の愛人になります。でも5年ぐらいで別れ、次ぎは作家の中村地平さんと横浜山手で同棲します。それも破綻し、今度は、芥川賞をもらい張り切っていた中山義秀さんと正式な結婚をし、鎌倉の極楽寺に住むようになります。この結婚式の仲人は青山二郎さん(小林秀雄さんや白州正子さんの骨董鑑定の師匠です)で、披露宴には鎌倉文士もたくさん出席しています。小林秀雄さんは、真杉さんに聞こえるように、新郎に「再婚同士で、まあ、1年、もつかってとこだな」と言ったそうです。ひでーやろう(秀雄)ですね(笑)。でも、新郎も、1年もったら、お前さん、金でもくれるのか、と笑って応酬したそうです。小林さんの予言よりは長くもちましたが、結局は破綻してしまいました。

こういう”振幅の多い愛の遍歴”から、あまり皆からはよく思われていなかったようです。でも作家志望の女性が、あの当時の男性中心の社会とか戦争の時代とかを必死に、一生懸命、生きてきた結果なのだと思います。なにも悪いことはしていません、とボクは思います。

ボクはお墓の前で、そんなことを思いながら、手を合わせました。そして、両手を拡げて、お墓の前の緑の苔を左から右にゆっくりと動かしました。ビロードをなでるような、細やかな、やさしい、懐かしい感触がボクの両手の表面の触覚細胞を刺激して、それが、いくつもの神経系を経て、ボクの脳に到達しました。そして、それが、すでに視神経から到達していた、脳の中の、やっぱり、やさしくて、なつかしい、グリーンカラーのベースのお酒にゆっくりと混ざり、まるで、おいしいカクテルを味わっているような、そんな気がしたのでした。


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東慶寺のイワタバコは星くずのよう

2007-06-05 08:19:38 | Weblog
一昨日、母の育てている白花のイワタバコが満開になったのをみてから、東慶寺の、あの岩壁のイワタバコがどうなったか気になってどうしようもなくなっていました。今日(4日)は用事がなかったので、午前中からいそいそと出掛けました。

山門をくぐると、平日だというのに、なにやら、結構な人出です。小径の脇のあじさいも咲き始め、茶室の前の花菖蒲も、もうすっかり見頃になっていました。それに、右側には、山法師の大木が、白い4枚の花びら風の苞(昨日、フラワーセンターで勉強していますから)の”花”がいっぱい咲きそろっていて、とても見事なものでした。4人のおばさんグループが、あの白い花なんだろう、とひそひそ話しいましたので、「あれは、やまぼうしです。白い花びらにみえるのは、花でなく”ほう”です」と得意そうに教えてあげました。そしたら、”ほうー”(うまい座布団1枚)、”たしかに帽子みたいですね”(座布団とって)と喜んでくれました。帽子でなくて法師ですよ、と言おうとしましたが、帽子も頭巾(法師の)も似たようなものだし、どうでもいいやと、もう少し先のイワタバコの岩壁の方に向かいました。

そこには、大勢の人が群がっていました。多くはイワタバコが目当てのリピーターの方でしたが、中には、これ何?(名札に気がついて)いわたばこ?どこがたばこなの?花がたばこの形なのかしら、と言うグループがいました。ボクは、そ、そ、それは葉っぱが・・と言いかけたら、その方々は、わかったわ、花が星みたいな形してるから、セブンスターからきてるんじゃないの、あははは、とばか笑いしてるもんですから、もうボクは教える気もすっかり萎えてしまって、その岩壁にびっちり生えているイワタバコに目を向けたのでした。

どのイワタバコの株も、可憐な薄紫色の星形の花をいくつもつけていました。やっぱり、白花よりこの薄紫色の方がいい、とくに、こういう岩肌に群生しているときは、この色でなくては、と思いました。ボクはいろいろの角度からながめてあげて、1年振りの再会を喜んだのでした。ふと岩壁のうしろ側の平地に目をやると、そこにも、ちょとした大きさの石の陰にひっそりと、いくつものイワタバコが寄り添っていました。かがんでよくみると、その中に、白花のようなのもありましたので、(咲き始めはよく分らないので)今度来たときに確認してみたいと思います。年配のご夫婦が、うちの庭には白花と桃色のがあると得意そうに話しながら通り過ぎて行きました。

それから、ボクは、ちょっと先の覚山尼のお墓のある高台に向かう石段を登っていきました。もうひとつ、イワタバコの生えている岩壁があるのです。そこにも、下のより多少遅れぎみでしょうか、でも十分見頃なイワタバコが、たくさん紫色の花を咲かせていました。この場所は、知らない人も多く穴場です。誰もいなかったので、そっと、葉っぱをつまんで口に入れました。この植物は岩菜ともいい、ムカシは山菜だったこともあるそうですので、味を確かめてみたかったのです。ちょっと苦み走った、いい男じゃない、いい味でした。岩菜のおしたしと岩魚(いわな)の塩焼きか甘露煮で、いっぱいやると”いいわな”、うししし、うふふとひとりほくそ笑んだのでした。

そして、ボクはまた鈴木大拙さんが晩年すごされた松ヶ岡文庫の丘に上がる手前の、先ほどの岩壁の前に戻って来たのでした。そこには、まだ、たくさんの人がいて、みんな、まるで夜空の星を眺めているかのように一様に上を向いていました。たしかに、イワタバコの花の形が星だし、この巨大な岩壁も広く、果てしなく続く夜空のようにみえる、そして無数の星たちが、星くずが、その夜空の中にきらきらと青く輝いているようだ、でも星にも一生があり、永遠ではないように、イワタバコも永遠ではない、今をけなげに一生懸命生きている、そうだ、この植物に”星くず草”というあだ名をつけよう、帰りは北鎌倉駅前の古そうなラーメン屋さんに寄ってみよう、などいろいろなことを思い浮かべながら、ボクも上を向いて、いつまでもいつまでも眺めていたのでした。

・・・・・
見上げてごらん夜の星を

作詞 永 六輔
作曲 いずみたく
歌唱 坂本九


見上げてごらん夜の星を
 小さな星の小さな光りが
  ささやかな幸せをうたってる

見上げてごらん夜の星を
 ボクらのように名もない星が
  ささやかな幸せを祈ってる

手をつなごう ボクと
 おいかけよう 夢を
  二人なら 苦しくなんかないさ

見上げてごらん夜の星を
 ボクらのように名もない星が
  ささやかな幸せを祈ってる














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”花さんぽ”で見つけた、花の小屋

2007-06-04 09:31:41 | Weblog
毎月一度、月初めの日曜日に、園長さんのガイドによる「花さんぽ」があるから、行ってみないというワイフの誘いで、フラワーセンターに出掛けました。ワイフは二度目ですがボクは初めてでした。

10時半からスタートしますが、もうその10分前にはゲート前に大勢の人が集まっていました。園長先生がみえ、早速、目の前の白い花をいっぱい咲かせている山法師(やまぼうし)の説明が始まりました。花にみえるのは苞と呼ばれる部分で、真ん中の緑の部分が蕾だそうです。それを坊主頭にみたて、白い頭巾をかぶっている、それで、山法師ということなんだそうです。アメリカから渡ってきた花水木は、同じ仲間で、正式には「アメリカ山法師」というそうです。でも今は花水木という呼び名が一般化しています。たしかに、アメリカの山法師さんじゃ、人気が出ませんね。園長さんもおっしゃっていましたが、呼び名は変っていっていいそうです、どの花も別名、異名があって、そちらの方が、花の特徴をうまくとらえている場合がよくあるそうです。

そして、今が旬の花菖蒲のところでは、菖蒲、あやめ、との違いを説明してくださいました。なんと、菖蒲はさといも科の所属で(ボクは里芋の煮っ転がしが大好きです)、しょうぶ科の花菖蒲とあやめとは、分類学的にも離れているそうです。三者ともみかけが似ていますが、葉の中央の主脈の太さ、強さをみれば、一目瞭然だそうです。花菖蒲だけが太くて、強い主脈をもっているのです。それと花菖蒲の伊勢系、江戸系、肥後系の違いもよく分りました。これは教えません、知りたい人は入園料を払って来てくださいね(笑)。

花壇のところでは、リビングストン・デージーがまっ盛りでした。アフリカ探検家の名前がついているように、アフリカ原産で、お日様が大好きで、日中だけ開花する(雨がふるとしょんぼりしてるらしい)、”晴れ女”みたいな花です。和名が「るりちょうちょう」のロベリア、花に花輪のような色とりどりの帯がある「はなわぎく」、いずれもアフリカ生まれだそうです。”今日も暮れゆく異国の丘”でもがんばっていますね。その隣りに、赤と白のナデシコが並んで植えてありました。ボクは、なでしこの花の、あのやわらかな、なんともいえない風情が大好きです。もちろん、なんともいえない風情(?)の最近のやまとなでしこも、まあ、す、す、すきですよ(苦笑)。

そしてバラ園。ボクが以前ここで紹介した、ラブミーテンダーちゃんとその娘のラブユーちゃん(ボクはラブミーちゃんと思っていましたが勘違いでした)トゲのない鎌倉ちゃんについて説明してくださいました。やっぱりボクがみたてたとおり、彼らはバラ園のスターでしたね(エヘン)。

バラ園を出てのすぐの広場に、小さなロッジ風の小屋が建っていました。そして、その小屋には屋根にはいろいろな草花が植えてあり、また、壁には鉢植えの草花がつるしてありました。小屋全体が花で飾られ、まさに「花の小屋」でした。子供たちが中で遊んでいるようで、可愛い幼稚園生くらいの男の子が入り口から飛び出してきました。ボクも初めてみますから、ごく最近出来たようです。

園長さんのお話しですとこういことでした。最近、子供たちの入園も多くなっているが、どうしても、動物の場合と違って、植物はどうもすぐ飽きてしまう傾向がある、それで、なんとか子供達にもっと植物に親しみをもってもらおうと、こういう花の小屋を職員が建てた、ということだそうです。もくろみは当って、子供たちに大人気のようです。小屋の中にはホワイトボードがいくつもあって、いたずら書きがいっぱい描かれていました。それでは足りなくて、柱なんかにも漫画や文字が描き込まれていました。

なるほど、うまい考えだと思いました。花の迷路とか、押し花教室とか、花がらでお化粧して遊ぼうとか、赤まんまのご飯でままごと遊びとか、木登り競争とか、どんぐり合戦(雪合戦のようにぶつけあう)、栗どろぼう、柿どろぼう、花どろぼう遊びとか、いろいろ、子供たちをつなぎとめる企画をたててもらいたいですね。最後の三つのどろぼう遊びは冗談ですよ。ボクら子供のころは普通にやってましたけどね。

夏本番みたいな暑さの中でしたが、とても楽しい、そして少し賢くなった気がした”花さんぽ”でした。おまけに、絵本の中にあるような、”花の小屋”までみつけました。今度、平日の朝早く来て、もし誰もいなかったら、中に入って、ホワイトボードにいたずら書きをしてみたいと思いました。


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白花イワタバコ&テレサ・テン

2007-06-03 09:14:01 | Weblog
母が育てている鉢植えのイワタバコの花は、紫色ではなく、白い花が咲きます。珍しいでしょ。昨日、みてきました。まさに見頃、満開でした。見事だね、とてもきれいだねと誉めてあげましたら、イワタバコちゃんがとても喜んでくれました。育ての親の、母も嬉しそうな顔をしていました。

昨日みた、ほおずきちゃんの花の悲しげな風情と違って、イワタバコちゃんの花はよろこびがいっぱいの様子です。花の茎が束になって、葉っぱの上にぐーんと伸び、その先に白い花を咲かせ、どうきれいでしょ、と誇っているようです。宝塚歌劇団の星組のレビューみたいです。ボクはムカシ、ワイフに連れられて、宝塚の東京公演をみに行っているので(男ひとりでは行けませんからね)、その華やかな雰囲気とかが分るのです。

星組と名付けたのは、よくみると、一つひとつの花が星形をしているからです。ふと、稀勢の里関にこの花をプレゼントしようかと思いました。何故かって?どれもこれも白い星だからです。白星街道ましっぐらですね。先場所、注文相撲で稀勢の里関を転ばした、あのあほんだら相撲取り(笑)には、ふつうの紫色のイワタバコを送っておきましょうね。それも濃いめの紫のをね。黒星街道ましっぐらですね、うししし。ごめんなさいね琴欧州フアンの方。(すす、すいません、力士名を出してしまった)

この植物の名前、「待ちかね草」という別名もあるそうです。山菜として利用されたこともあるそうで、人々が若葉の出てくるのを待ちわびていたのでしょうか。アジアの歌姫、テレサ・テンさんの日本でのデビュー曲は、”今夜かしら明日かしら”で、”お待ちかね”の歌です。

ボクはテレサ・テンさんのフアンで、昨晩のテレビ番組「テレサ・テン物語」を楽しみにしていました。”待ちかね”ていました。木村佳乃さんがテレサ役で、歌う場面ではテレサ自身の録音の歌声が流れます。はじめは、目もぱっちりしていて、筋も歌もしっかり頭に入っていました。それが、20分もたつと、うとうとし始め、筋がじょじょに霞んできて、でも歌のときだけはなんとかと、そして、その後は、時の流れに身をまかせ・・ああ、筋も歌も夢、まぼろしの世界に入っていってしまったのでございます。

でも、テレサ・テンさんの人生の筋なんか知らなくても、あのせつないような、訴えるような、哀調をおびた、心に響く歌声をきけば、すべてがわかりますね。語るように歌っています。荒木とよひささんの作詞、三木たかしさん作曲もすばらしいと思います。

・・・・・
時の流れに身をまかせ

作詞 :荒木とよひさ 
作曲 :三木たかし
歌唱:テレサ・テン

もしも あなたと逢えずにいたら
 わたしは何を してたでしょうか
  平凡だけど 誰かを愛し
   普通の暮らし してたでしょうか
時の流れに 身をまかせ
 あなたの色に 染められ
  一度の人生それさえ
   捨てることもかまわない

だから お願い そばに置いてね
 いまは あなたしか 愛せない

もしも あなたに嫌われたなら
 明日という日 失くしてしまうわ
  約束なんか いらないけれど
   想い出だけじゃ 生きてゆけない
時の流れに 身をまかせ
 あなたの胸に より添い
  綺麗になれたそれだけで
   いのちさえもいらないわ

だから お願い そばに置いてね
 いまは あなたしか 見えないの

時の流れに 身をまかせ
 あなたの色に 染められ
  一度の人生それさえ
   捨てることもかまわない

だから お願い そばに置いてね
 いまは あなたしか 愛せない




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ほおずきの花と稀勢の里関

2007-06-02 08:29:55 | Weblog
今朝の散歩の途中、あるお寺の境内の片隅でひっそり咲いている白い花に気づきました。赤い実をつけているときは、一目で分るほど目立ちますが、緑の葉っぱの中に隠れるように、秘やかに咲いているホオズキの花はなかなか目に入りません。実際、去年は見過ごしていて、赤い実の時期にはじめて、ここにホオズキの小さな群落があることに気づいたほどでした。

ボクはそこに近づいて、しゃがみこみ、その花をのぞこうとしていました。朝のお掃除をしていたらしい住職さんが寄ってこられ、結構ムシがつくんですよ、と言って、すぐ立ち去っていきました。ボクは、可愛らしい花をつけるんですね、と背中に声をかけたあと、ふと、どの花も、あの赤い実のように、うなだれて咲いているのに気づきました。


赤い実のときは重たいから、うなだれるのはあたりまえですが、こんな花の時期までうなだれている、なにがそんなに悲しいのだろうかと思いました。でも、前向きに考えて、なんて謙虚な花だろうと思うようにしてあげました。そして、ボクは、”実らずも こうべをたれる ほおずきの花” という句をつくってあげたのでした。

でも、ホオズキちゃんには内緒ですが、本心は、この花の咲き方はやっぱり、少し悲しげだと思いました。このとき、ボクはふと、連続3場所負け越しですっかり自信を失って、うなだれている稀勢の里関を思い出したのです。

小結にあがる頃までの勢いはどうしてしまったのでしょうか。まさに四股名どおり、稀な勢いをもつお相撲さんでした。でも最近は”稀に勢いを出せば良かっぺ”と稀勢の里関が思っているとしか思えないような停滞ぶりです。

稀勢の里関ほど、ボクだけでなくみんなに期待されている力士はいません。栃東関が引退するとき、今後がんばってほしい力士の一番手にあげた力士です。あの元千代の冨士も元貴乃花の親方衆も、萩原、萩原と(稀勢の里関の本名、十両までこの四股名でした)、期待をこめて可愛がっています。

ボクはこの不調はただの軽いスランプだと思います。しばらく猛稽古は休んで、横浜山手散歩とか北鎌倉の路地散歩とかして、のんびりした方が良いと思います。山手とか北鎌倉が似合わなければ、熱川のワニ園でも、北海道の熊牧場でも結構かと思います。冗談ばかり言ってすみませんね。もうそろそろアジサイの季節です。鎌倉にはアジサイ寺がいくつもありますので、ご案内しますよ。

アジサイは嫌いですって?なるほど、変化を嫌う、真っ向勝負の方でしたね。琴欧州関はあじさいが好きだって?そういえば、先場所やられましたね。ずいぶん悔しそうでしたね。ボクも、あれにはがっかりしました。あんなことやってちゃ、琴関は横綱になれませんよね。では、明月院をご案内しましょう。あじさいも変化の少ない青い品種ばかりですし、お相撲さんの好きなショーブの花もあります。すばらしい菖蒲です。お堂の丸い窓の額縁の向こうにみえる菖蒲園は、なかなか風情があります。丸い窓は白星、ショウブに勝つ、明月院も明るい月は、輝く金星をイメージします。きっと元気になれると思いますよ。

ほうずきの実が赤くなる頃の名古屋場所には、常総の赤鬼(稀勢の里関のあだなです)が、龍や鵬を退治して金星をあげ、大活躍していると、ボクは確信しています。

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白鵬翔のひみつ

2007-06-01 09:06:51 | Weblog
(昨日の続きです。)

利己的遺伝子である、義経遺伝子は西暦1190年にモンゴルに侵入し(義経がジンギスカンになった)、そこで、義経遺伝子は自分の子孫を増やします。実子でなくても、側室の子でも、愛人の子(笑)でも構いません。利己的遺伝子にとっては、人はただの乗り物にすぎないのですから。そして、今回、義経遺伝子ははじめて念願の、”日本の王者”になるという積年の夢を果たすため、白鵬という「乗り物」を使って日本に侵入したというわけです。

義経遺伝子は、自分の乗り物(白鵬)に自己の存在を示す何らかの意味を組み入れているはずです。たとえば、名前とか生年月日とかにです。その秘密を探し出したい、それさえ見つかれば、ボクの仮説が証明されるのです。

義経遺伝子がもっとも誇りに思っていることは、おそらく、源平合戦の中でも最高の名場面といわれる、一ノ谷の戦いで義経に演じさせた鵯(ひよどり)越えの逆落としだと思います。思いもよらぬ急坂の裏山からの義経の奇襲攻撃により、平家は大敗北し、その後の合戦に大きな影響を与えた歴史的な戦いでした。

この戦いに関わるなんらかのメッセージが、「白鵬翔」の中に隠されているのではないか、ボクは昨日、鎌倉中央図書館に1日こもって、この3文字を穴のあくほど見つめ、思案橋ブルースを口づさみながら、思案に思案を重ねたのであります。そして、とうとう発見しました。以下に述べさせていただきます。

・・・
白:源氏の白旗を意味する
鵬:朋と鳥に分ける
 ;朋は同朋、すなわち仲間たち
 ;鳥はもちろんヒヨドリ
翔:とぶ、かけめぐる、とびめぐる(漢和辞典)

まとめてみましょう。
「源氏の白旗を掲げ、仲間たちと共に、馬に乗り、とぶがごとく、ひよどり越えの逆落としをやった。」
「白鵬翔」の3文字に、こんな重要なメッセージが隠されていたのです。

これだけではありませんよ。余りの急坂に、立ちすくんだ武将たちの中で、義経についていった、ひよどり越えの仲間たちの名前を挙げてみましょう。弁慶、畠山重忠そして熊谷直実、等です。勘のいい方はすぐ分りますね。熊谷直実です。白鵬を横綱まで育てた親方の名前はなんでしたっけ?そうです、熊ヶ谷親方ですね。

まだ、ありますよ。このヒヨドリ越えの崖上まで山中を案内し、こんな急坂でも鹿の降りるのをみた(馬でも可能ということを示唆した)ことを教えた、地元のきこりの息子がいます。名を鷲尾三郎義久といいます(この功績が認められ、のちに家来となりこの名前をもらったのです)。さて、白鵬は入門前は65キロしかなく(今のボクと変らない)、どの部屋からも門前払いをくって、もう帰国するしかない状態でした。そのとき、声をかけ、熊ヶ谷親方に紹介してくれた人がいます。その人の名は”旭鷲山”です。そうです、どちらの仲介者も”鷲”です。

それに後述しますが、朝青龍には弁慶遺伝子が入っています。すなわち、この鵯越の逆落としに絡む人物は、白鵬の現在の恩人ばかりなのです。こんな偶然の一致はあるでしょうか。鵯越の意味を含ませた「白鵬翔」という四股名を、義経遺伝子がうらに回って、巧妙に仕組んでつくらせたと考える方が自然だと思います。ボクがそれを見破ったというわけです(エヘン)。

・・・
さて、さきほど、朝青龍には弁慶遺伝子が入っていますと言ってしまいましたので、その件を先にかたづけましょう。「朝青龍」の三文字にメッセージが入っていました。やはり、ヒヨドリ越えの逆落としに絡んでいました。

朝:文字通り朝です。ヒヨドリ越えは朝、午前6時に実行されています。
青龍:青龍刀というのは、柄の上端に青い龍の装飾を施した、なぎなた形の刀のことです。弁慶といえば、なぎなたですね。
朝青龍には弁慶遺伝子が入っていたというわけです。

弁慶遺伝子は、義経遺伝子を迎えるため、前もって、地ならしをしていたと考えるといろいろな点でつじつまがあいます。日頃のふるまいも、弁慶と思えば、納得いくでしょ。稽古場で若手に怪我をさせたり、稀勢の里にけたぐりしたり、勝負がついてから技をかけたり、弁慶ならやるでしょう。でもそれも計算ずくなんですよ。義経遺伝子のためにわざと悪役になっているのです。そして、義経遺伝子が横綱を決める重要な今場所は、ちゃんと負けてるでしょ。これからも、義経遺伝子をたて、優勝回数も年1度くらいと控えめになるでしょう。むしろ、義経遺伝子の援護射撃をすることに情熱をかたむけるようになるでしょうね。
・・・
そして、まだボクの仮説を支持するデータがあるんですよ。白鵬はなんと静御前遺伝子をもつ女性と結婚したのです。彼女の名前(和田紗代子さん)に、静御前のメッセージが組み込まれていることを確認しました。静御前といえば、あの八幡さまの舞殿でのしずかの舞ですね。頼朝の前で、堂々と義経を慕う想いを歌に託して舞ったのです。

・・
和: 和はしずかに通じます            (しずやしず)
田: 田圃の前はしずかな野(の)でした     (しずの)
紗: うす衣のこと、衣糸を巻く糸車、苧環です (おだまき繰り返し)
代: このままでいいですね            (昔を今に)
子: なすすべ(術)もないです(笑)       (なすよしもがな)

しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔をいまに なすよしもがな

・・・
今日、白鵬関は明治神宮で不知火型の横綱土俵入りを披露するそうですね。ボクは、必ずや、(たぶん来年の藤沢場所の前に)八幡さまの舞殿の前でも土俵入りすると思います。義経遺伝子の、そして静か遺伝子の一番の思い出の地ですものね。そのとき、ボクの仮説は完全に証明されることになります。

・・・・・
写真は流鏑馬神事が行われた日の八幡さまです。手前が、静の舞が行われた舞殿です。










 






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