'12.07.24 『ローマ法王の休日』@TOHOシネマズシャンテ
実は『ダークナイト ライジング』ジャパン・プレミアの前日に見に行ってた(笑) 仕事があまりに順調に終わって、定時上がりできそうな勢いだったので、ポイントもあるし映画でも見に行こうと思い立つ。シャンテなら歩いて行けるし、ギリギリだけど17:30からの間に合いそう! ってことで、見に行ってきた~★
*ネタバレありです!
「前ローマ法王が亡くなったため、新ローマ法王を選ぶコンクラーヴェが行われているヴァチカン。重責を負いたくない枢機卿達の駆け引きが展開されてく。そんな中、ダークホース的存在のメルヴィルが選ばれる。一度は引き受けたものの、重責に耐えかねローマの街へと逃亡してしまう・・・」というあらすじとタイトルだけ見れば、これはほのぼのしたコメディーなのかと思うけれど、実はとっても深い人間ドラマだった。描き方としても一応コメディー風ではあるけれど、これはやっぱりコメディーではないと思う。とっても人間臭い部分を、ローマ法王選出というテーマで描いてしまうのは大胆。見ている間よりも、見終わってからいろいろ考えさせられた。
公式サイトによると、ローマ法王とは全世界11億人以上と言われるカトリック教徒の最高位聖職者で、前法王の死後15日経ってから、全世界で約200名ほどいる枢機卿の中から選出される。枢機卿(カーディナル)は大司教の中からローマ法王により選出され、80歳以下の120名がコンクラーヴェに参加できる。この各国から集まった枢機卿たちが、無記名投票による選挙で新法王を選出する制度がコンクラーヴェ。3分の2の得票者がローマ法王となるため、票が達するまで何度でも投票が繰り返される。無事、選出されるまでは黒い煙が立ち上り、決定すると白い煙となる。コンクラーヴェの間、信者達は白い煙が上がるのを今か今かと待ちわびる。数年前、現ローマ法王を選出するコンクラーヴェが行われたけれど、実際もこんなに和気藹々とした感じで行っているのかは不明。もちろん、あんなにあからさまに投票結果に一喜一憂したりしていないとは思うけれど、でも自分が選ばれたくないと思う方もいるのかもしれない・・・ 何かで読んだのだけれど、日本、中国、アメリカの学生に「あなたが入社した会社で不正が行われているのを見つけたら、どんな行動を取るか?A:実名で告発する B:匿名で告発する C:何もしない」という選択肢つきのアンケートを行ったところ、アメリカや中国 がAかBを選ぶ人が多いのに対し、日本の学生は圧倒的にCを選ぶのだそう。要するにそれが正しいことだと分かっていても、責任を取るのはイヤだという傾向が強いのが日本人の特徴であるということだった。ただ、東日本大震災以降は、AもしくはBを選択する学生が増えているのだそう。話がそれたけれど、要するに何が言いたいかといえば、Cと答えがちな日本人としては、枢機卿達が自分が選ばれないように祈る姿にとっても共感してしまう。実際どうかは別として、単純に重過ぎる責任を負いたくないという気持ちは、枢機卿にもあるのかと思えば、自分が思うのも当然だと思ったりもする。
メルヴィルは全くのダークホース。事前のオッズも70位くらいだったと思う。どう考えてもしめし合わせて、面倒なことを押し付けられた気がするけれど、そこはさすがに枢機卿。彼としてはこの決定を神が下したものとして受け入れる。受け入れてはみたけれど、法衣を身に着け、いよいよバルコニーに立ち演説というところで、急激な不安に陥ってしまう。このシーンが予告編やチラシなどでおなじみの、号泣シーン。チラシを見たかぎりではコミカルな印象だけど、実際はもう少しパニック的な感じ。コミカルではあるけど、バカ映像ではない。まぁ、どう受け止めるかは人それぞれだけど、少なくともクスっとはなるけど、おもしろい映像とは思わなかった。もう少し深刻・・・ 見る前はこの姿から、イヤだイヤだと逃げる法王を追いかけるコメディーを想像してたのだけど、実際はメルヴィルはこの使命を受け入れようとしている。この選択は神が行ったのだから、間違ってはいないはずと自分に言い聞かせるけど、どう考えても自分が世界中の信者達を導く存在になれると思えない。その気持ちはすごくよく分かる。社会人になれば、ローマ法王になるほどの重責ではないにしても、ある程度の責任を持って仕事をしているわけで、年次が上がれば当然責任も重くなる。だからお給料が上がるわけだからね(笑) それは経験や知識が増えているのだから、その重責に耐えられるハズってことなのだろうけれど、でもねぇ・・・ だから、とっても気持ちが分かる。ただ、ここに陥っちゃうとねぇ・・・
なんとかメルヴィルを落ち着かせようと、ローマ一と評判の精神科医がやって来る。詳しい事情も聞かされず連れてこられたので、帰りたくて仕方がない。でも、法王は一向に良くならない。しかも行方不明になってしまう。この精神科医を演じているのが、監督のナンニ・モレッティ。法王決定を宣言するまで枢機卿達はシスティーナ礼拝堂から出ることはできない。実際は散歩くらいはできるようだけど。法王逃走が外部にもれるのはもちろん、枢機卿達の耳に入ることも避けたいということで、精神科医(男)は枢機卿達のストレス対策を担当することに。なにしろ枢機卿達は100人以上いるわけだから個性もそれぞれだけど、セリフありで画面に登場するのは数人。さすがに枢機卿だけあって不平不満を言ったり、自分勝手行動を取る人は少ないけれど、精神科医(男)がイライラする気持ちは分かる。でも、ちょっと冷たいんじゃ?と思う対応もあり。メルヴィルの事前オッズを発表した際、自分のオッズを聞きたがる枢機卿を無視。それでも聞きたがる彼に「ランキング外です! あえて言わなかったのだから察すればいいのに、しつこく聞くからこんな結果を聞くハメになる!」とか言っちゃう。こういう笑わせる要素であると思わせるセリフも、核心を突きすぎてて笑えない部分は多々あった。
うーん。上手く言えないんだけど、例えば前述のしつこい枢機卿にキレてしまうシーン。精神科医(男)としては仕事とはいえ、とんだ騒動に巻き込まれてしまったわけで、枢機卿相手に子守をおおせつかったような状態。実際、枢機卿と言っても教会の中で外界に触れず、純粋培養されてきたわけでもないと思うので、子守状態というのは失礼だけれども、法王逃走を知らないわけだから、精神科医(男)の状況とは違うわけで・・・ せっかく気を使って言わないでいるのに、しつこく自分のオッズを聞いてくる枢機卿にキレてしまうという部分を笑おうということだと思うので、無邪気に聞いてしまう枢機卿に対して冷たくキビシイ言葉を言ってしまうのは、いくつかあるパターンの1つではあると思うんだけど・・・ うーん。例えばこれがハリウッド映画だと、もう少し大げさというか、分かりやすい演技や演出をする気がする。ここだよ笑うとこ!みたいな・・・(笑) そういうのがあまりなく、ホントにイライラして言っちゃってるっぽくて、無邪気に聞いちゃった枢機卿がかわいそうになってしまう。ただ、普段あまりイタリア映画を見ないせいか、こういう感じがイタリア映画なのかなと思ってみたり・・・ 違う? 違っていたとしても、シニカルな感じがイタリア映画であるという目線で見てしまったので、これはこれでアリだなと思った。全くのとんちんかん発言かもしれないけれど。まぁ、ナンニ・モレッティ節ではあるのかも。ナンニ・モレッティの作品も初めて見たのでよく分からない・・・(o´ェ`o)ゞ
そう考えるといろいろシニカル。例えばメルヴィルはほとんど話を聞いてもらえない。法王に選出されるまで、全く目立たない存在だった彼に、祝福を浴びせる枢機卿たち・・・ 彼は何か言いたそうではあるけれど、法王決定を喜ぶ枢機卿たちは耳をかさない。このシーンから彼の声は、誰の耳にも届いていないという演出。精神科医(男)ですら、きちんとメルヴィルの話を聞く時間がない。決まった結果に誘導するように求められるのも違うと思うし、そもそも精神的な問題は数時間カウンセリングしたからといって直るものとも思えないのだけど・・・ 結局、メルヴィルの若い頃の挫折に原因があると思ったんだったかな?結果を出せない精神科医(男)に業を煮やしたんだったか?ちょっと忘れちゃったけど、彼の元妻である精神科医(女)に診てもらうことになる。彼女は事前に精神科医(男)が言っていたとおり、持論である幼児期の問題だったかな?に原因があると決めつけて、メルヴィルの話を聞こうとしていない。街に逃走したメルヴィルは劇団の稽古を見に行き、彼らと食事をする。その席で実は俳優になりたかったと言うけれど、その話もそんなに掘り下げられることもない。メルヴィルが誰かに自分の胸の内を聞いて欲しいと思っているかは別として、誰かが彼の思いを聞いてくれないと見ている側もよく分からない。でも、もしかしたら彼自身よく分かっていないのかも。上手く言えないけど、案外そんなものかもしれない。自分にはできないと思い込んでしまったら、何が原因かということは結局理由付けであって、理屈じゃなく自分にはできないのだから・・・ 無責任といえばそうなのだけど・・・
twitterなどでも賛否両論で、どちらかというと否の意見の方が多いような・・・ コメディーなのに笑えないのと、メルヴィルが街をさ迷った結果、何からあの結論に至ったのかが明確ではないという意見が多いように思う。確かにメルヴィルは演劇の稽古を見たり、ぽつぽつと質問に答えたりしているだけで、あまり進展が見られない・・・ ここで退屈と感じてしまった人が多いように思う。タイトルからすると、ここで法王の逃走劇が見れるのかなと思ってしまうので、邦題で若干損したかも・・・ メルヴィルはずっと考えているんだよね。アン王女みたいにロマンスがあるわけでも、束の間の休日を満喫するわけじゃない。バスに乗ってローマ市内の夜景を眺めている間も、おそらく「何故、自分は法王になれないと考えているのか」を考えているんだと思う。ただこれ、自分は鬱なんじゃないかと思うくらい悩んだことがある人なら分かると思うけれど、結論は出なかったりする。理屈じゃなく出来ないので・・・ その辺りの説明的なセリフや描写があまりないので、ちょっと伝わりにくい気もする。そして彼は枢機卿としての自覚もあるし、善き人ではあるけれど、やっぱり法王には向いてないということを表しているのかなとも思う。上手く言えないけど、自分の言葉で話すということが苦手だし・・・ まぁ、枢機卿なのだから聖書などから引用した言葉で、人々を導いてきたのだろうけれど、自分の思いを話そうとしたら上手く話せなかった。結局、自分の気持ちですら人に導き出されているのだということが言いたかったのかなと・・・
以下ネタバレありです!
太目のメルヴィルと体型の良く似た衛兵を替え玉にしたり、枢機卿による地域対抗バレーボール大会を開催したりして、枢機卿や世間の目をごまかしてきたけれど、隠し切れなくなり皆でメルヴィルを迎えに行くことに。赤の礼服の枢機卿達や黒とオレンジの衣装の衛兵達が劇場内に粛々と現れるシーンは圧巻だけど、ちょっととってつけたみたいな印象。まぁ、こうでもしないと連れ戻せないということなのだろうけれど・・・ そして、意を決してメルヴィルはバルコニーに立つ。本来はサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーで「ウルビ・エト・オルビ・・・」から始まる演説をする決まりになっているそうだけれど、熱狂する聴衆を前に彼が発した言葉は「私は人を導けない、私が導かれている。私はローマ法王にはなれない」というもの・・・ 確かにそれしかメルヴィルの中で結論はないと思う。そして、これは皮肉でもあり、真理でもあると思う。人を導く立場の人が導いてばかりってわけではないと思う。その人だって"誰か"や"何か"から導かれて生きているハズ。でも、それでも"私には出来ない"ってことなんだよね。それでいいのかという倫理的な是非は別として・・・ ローマ法王という公人中の公人が、個を優先させたということにもなるかと思うけれど、でも公人としての勤めも個があってこそだし・・・
そしてこれは、見捨てられる話だと思った。メルヴィルは出来レース的に法王に選出されたことで、枢機卿たちに見捨てられた気がしたのではないかと思うし、精神科医(男)は苦肉の策で開催したバレーボール大会が思いのほか楽しくなったところで、法王に動きありの知らせで枢機卿たち見捨てられる、枢機卿たちはメルヴィルに見捨てられるし、もちろん信者たちも見捨てられた。そんなことを考えたら、かなりどんよりした気分になったけど、このシニカルさは嫌いではない。
役者さんはメルヴィルのミッシェル・ピコリと、監督兼精神科医(男)のナンニ・モレッティしか知らなかった。メルヴィルのミッシェル・ピコリ良かった! 一生懸命法王になろうとするけど、どうしてもなれない。なれないことがどんどん自分の中で明確になっていく感じが伝わってくる。ローマ法王という自分とはかけ離れた存在なのに、とっても共感できる。そして、かわいい
ナンニ・モレッティの精神科医も良かったと思う。バレーボールで自分がノリノリになっちゃうのはおもしろかった! 広報担当の人もよかった。彼が一番コメディーっぽかった(笑)
ヴァチカン市内の建物は撮影不可ということで、バルベリーニ宮殿や、ムッチョリ宮、サケッティ宮が、システィーナ礼拝堂やサン・ピエトロ大聖堂内部として使われているそうで、なんとムッチョリ宮とサケッティ宮は個人宅なのだそう!∑(゚ω゚ノ)ノ すごいぞイタリア! とっても豪華でウットリ・・・ 前法王の葬儀シーンは、前法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀の実際の映像だそう。これまたビックリ∑(゚ω゚ノ)ノ
前述のように賛否両論で、どちらかというと否の方が多い印象・・・ でも、法王のとっても人間らしい悩みに共感してしまった。枢機卿達のバレーボールはすごくカワイイので見て欲しいなぁ・・・ まぁ、そのためだけに行くのはどうかと思うけれど(笑)
一生懸命頑張り過ぎている人にオススメ! 法王だって完璧ではないのだから・・・
『ローマ法王の休日』Official site
実は『ダークナイト ライジング』ジャパン・プレミアの前日に見に行ってた(笑) 仕事があまりに順調に終わって、定時上がりできそうな勢いだったので、ポイントもあるし映画でも見に行こうと思い立つ。シャンテなら歩いて行けるし、ギリギリだけど17:30からの間に合いそう! ってことで、見に行ってきた~★
*ネタバレありです!

公式サイトによると、ローマ法王とは全世界11億人以上と言われるカトリック教徒の最高位聖職者で、前法王の死後15日経ってから、全世界で約200名ほどいる枢機卿の中から選出される。枢機卿(カーディナル)は大司教の中からローマ法王により選出され、80歳以下の120名がコンクラーヴェに参加できる。この各国から集まった枢機卿たちが、無記名投票による選挙で新法王を選出する制度がコンクラーヴェ。3分の2の得票者がローマ法王となるため、票が達するまで何度でも投票が繰り返される。無事、選出されるまでは黒い煙が立ち上り、決定すると白い煙となる。コンクラーヴェの間、信者達は白い煙が上がるのを今か今かと待ちわびる。数年前、現ローマ法王を選出するコンクラーヴェが行われたけれど、実際もこんなに和気藹々とした感じで行っているのかは不明。もちろん、あんなにあからさまに投票結果に一喜一憂したりしていないとは思うけれど、でも自分が選ばれたくないと思う方もいるのかもしれない・・・ 何かで読んだのだけれど、日本、中国、アメリカの学生に「あなたが入社した会社で不正が行われているのを見つけたら、どんな行動を取るか?A:実名で告発する B:匿名で告発する C:何もしない」という選択肢つきのアンケートを行ったところ、アメリカや中国 がAかBを選ぶ人が多いのに対し、日本の学生は圧倒的にCを選ぶのだそう。要するにそれが正しいことだと分かっていても、責任を取るのはイヤだという傾向が強いのが日本人の特徴であるということだった。ただ、東日本大震災以降は、AもしくはBを選択する学生が増えているのだそう。話がそれたけれど、要するに何が言いたいかといえば、Cと答えがちな日本人としては、枢機卿達が自分が選ばれないように祈る姿にとっても共感してしまう。実際どうかは別として、単純に重過ぎる責任を負いたくないという気持ちは、枢機卿にもあるのかと思えば、自分が思うのも当然だと思ったりもする。
メルヴィルは全くのダークホース。事前のオッズも70位くらいだったと思う。どう考えてもしめし合わせて、面倒なことを押し付けられた気がするけれど、そこはさすがに枢機卿。彼としてはこの決定を神が下したものとして受け入れる。受け入れてはみたけれど、法衣を身に着け、いよいよバルコニーに立ち演説というところで、急激な不安に陥ってしまう。このシーンが予告編やチラシなどでおなじみの、号泣シーン。チラシを見たかぎりではコミカルな印象だけど、実際はもう少しパニック的な感じ。コミカルではあるけど、バカ映像ではない。まぁ、どう受け止めるかは人それぞれだけど、少なくともクスっとはなるけど、おもしろい映像とは思わなかった。もう少し深刻・・・ 見る前はこの姿から、イヤだイヤだと逃げる法王を追いかけるコメディーを想像してたのだけど、実際はメルヴィルはこの使命を受け入れようとしている。この選択は神が行ったのだから、間違ってはいないはずと自分に言い聞かせるけど、どう考えても自分が世界中の信者達を導く存在になれると思えない。その気持ちはすごくよく分かる。社会人になれば、ローマ法王になるほどの重責ではないにしても、ある程度の責任を持って仕事をしているわけで、年次が上がれば当然責任も重くなる。だからお給料が上がるわけだからね(笑) それは経験や知識が増えているのだから、その重責に耐えられるハズってことなのだろうけれど、でもねぇ・・・ だから、とっても気持ちが分かる。ただ、ここに陥っちゃうとねぇ・・・
なんとかメルヴィルを落ち着かせようと、ローマ一と評判の精神科医がやって来る。詳しい事情も聞かされず連れてこられたので、帰りたくて仕方がない。でも、法王は一向に良くならない。しかも行方不明になってしまう。この精神科医を演じているのが、監督のナンニ・モレッティ。法王決定を宣言するまで枢機卿達はシスティーナ礼拝堂から出ることはできない。実際は散歩くらいはできるようだけど。法王逃走が外部にもれるのはもちろん、枢機卿達の耳に入ることも避けたいということで、精神科医(男)は枢機卿達のストレス対策を担当することに。なにしろ枢機卿達は100人以上いるわけだから個性もそれぞれだけど、セリフありで画面に登場するのは数人。さすがに枢機卿だけあって不平不満を言ったり、自分勝手行動を取る人は少ないけれど、精神科医(男)がイライラする気持ちは分かる。でも、ちょっと冷たいんじゃ?と思う対応もあり。メルヴィルの事前オッズを発表した際、自分のオッズを聞きたがる枢機卿を無視。それでも聞きたがる彼に「ランキング外です! あえて言わなかったのだから察すればいいのに、しつこく聞くからこんな結果を聞くハメになる!」とか言っちゃう。こういう笑わせる要素であると思わせるセリフも、核心を突きすぎてて笑えない部分は多々あった。
うーん。上手く言えないんだけど、例えば前述のしつこい枢機卿にキレてしまうシーン。精神科医(男)としては仕事とはいえ、とんだ騒動に巻き込まれてしまったわけで、枢機卿相手に子守をおおせつかったような状態。実際、枢機卿と言っても教会の中で外界に触れず、純粋培養されてきたわけでもないと思うので、子守状態というのは失礼だけれども、法王逃走を知らないわけだから、精神科医(男)の状況とは違うわけで・・・ せっかく気を使って言わないでいるのに、しつこく自分のオッズを聞いてくる枢機卿にキレてしまうという部分を笑おうということだと思うので、無邪気に聞いてしまう枢機卿に対して冷たくキビシイ言葉を言ってしまうのは、いくつかあるパターンの1つではあると思うんだけど・・・ うーん。例えばこれがハリウッド映画だと、もう少し大げさというか、分かりやすい演技や演出をする気がする。ここだよ笑うとこ!みたいな・・・(笑) そういうのがあまりなく、ホントにイライラして言っちゃってるっぽくて、無邪気に聞いちゃった枢機卿がかわいそうになってしまう。ただ、普段あまりイタリア映画を見ないせいか、こういう感じがイタリア映画なのかなと思ってみたり・・・ 違う? 違っていたとしても、シニカルな感じがイタリア映画であるという目線で見てしまったので、これはこれでアリだなと思った。全くのとんちんかん発言かもしれないけれど。まぁ、ナンニ・モレッティ節ではあるのかも。ナンニ・モレッティの作品も初めて見たのでよく分からない・・・(o´ェ`o)ゞ
そう考えるといろいろシニカル。例えばメルヴィルはほとんど話を聞いてもらえない。法王に選出されるまで、全く目立たない存在だった彼に、祝福を浴びせる枢機卿たち・・・ 彼は何か言いたそうではあるけれど、法王決定を喜ぶ枢機卿たちは耳をかさない。このシーンから彼の声は、誰の耳にも届いていないという演出。精神科医(男)ですら、きちんとメルヴィルの話を聞く時間がない。決まった結果に誘導するように求められるのも違うと思うし、そもそも精神的な問題は数時間カウンセリングしたからといって直るものとも思えないのだけど・・・ 結局、メルヴィルの若い頃の挫折に原因があると思ったんだったかな?結果を出せない精神科医(男)に業を煮やしたんだったか?ちょっと忘れちゃったけど、彼の元妻である精神科医(女)に診てもらうことになる。彼女は事前に精神科医(男)が言っていたとおり、持論である幼児期の問題だったかな?に原因があると決めつけて、メルヴィルの話を聞こうとしていない。街に逃走したメルヴィルは劇団の稽古を見に行き、彼らと食事をする。その席で実は俳優になりたかったと言うけれど、その話もそんなに掘り下げられることもない。メルヴィルが誰かに自分の胸の内を聞いて欲しいと思っているかは別として、誰かが彼の思いを聞いてくれないと見ている側もよく分からない。でも、もしかしたら彼自身よく分かっていないのかも。上手く言えないけど、案外そんなものかもしれない。自分にはできないと思い込んでしまったら、何が原因かということは結局理由付けであって、理屈じゃなく自分にはできないのだから・・・ 無責任といえばそうなのだけど・・・
twitterなどでも賛否両論で、どちらかというと否の意見の方が多いような・・・ コメディーなのに笑えないのと、メルヴィルが街をさ迷った結果、何からあの結論に至ったのかが明確ではないという意見が多いように思う。確かにメルヴィルは演劇の稽古を見たり、ぽつぽつと質問に答えたりしているだけで、あまり進展が見られない・・・ ここで退屈と感じてしまった人が多いように思う。タイトルからすると、ここで法王の逃走劇が見れるのかなと思ってしまうので、邦題で若干損したかも・・・ メルヴィルはずっと考えているんだよね。アン王女みたいにロマンスがあるわけでも、束の間の休日を満喫するわけじゃない。バスに乗ってローマ市内の夜景を眺めている間も、おそらく「何故、自分は法王になれないと考えているのか」を考えているんだと思う。ただこれ、自分は鬱なんじゃないかと思うくらい悩んだことがある人なら分かると思うけれど、結論は出なかったりする。理屈じゃなく出来ないので・・・ その辺りの説明的なセリフや描写があまりないので、ちょっと伝わりにくい気もする。そして彼は枢機卿としての自覚もあるし、善き人ではあるけれど、やっぱり法王には向いてないということを表しているのかなとも思う。上手く言えないけど、自分の言葉で話すということが苦手だし・・・ まぁ、枢機卿なのだから聖書などから引用した言葉で、人々を導いてきたのだろうけれど、自分の思いを話そうとしたら上手く話せなかった。結局、自分の気持ちですら人に導き出されているのだということが言いたかったのかなと・・・

太目のメルヴィルと体型の良く似た衛兵を替え玉にしたり、枢機卿による地域対抗バレーボール大会を開催したりして、枢機卿や世間の目をごまかしてきたけれど、隠し切れなくなり皆でメルヴィルを迎えに行くことに。赤の礼服の枢機卿達や黒とオレンジの衣装の衛兵達が劇場内に粛々と現れるシーンは圧巻だけど、ちょっととってつけたみたいな印象。まぁ、こうでもしないと連れ戻せないということなのだろうけれど・・・ そして、意を決してメルヴィルはバルコニーに立つ。本来はサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーで「ウルビ・エト・オルビ・・・」から始まる演説をする決まりになっているそうだけれど、熱狂する聴衆を前に彼が発した言葉は「私は人を導けない、私が導かれている。私はローマ法王にはなれない」というもの・・・ 確かにそれしかメルヴィルの中で結論はないと思う。そして、これは皮肉でもあり、真理でもあると思う。人を導く立場の人が導いてばかりってわけではないと思う。その人だって"誰か"や"何か"から導かれて生きているハズ。でも、それでも"私には出来ない"ってことなんだよね。それでいいのかという倫理的な是非は別として・・・ ローマ法王という公人中の公人が、個を優先させたということにもなるかと思うけれど、でも公人としての勤めも個があってこそだし・・・
そしてこれは、見捨てられる話だと思った。メルヴィルは出来レース的に法王に選出されたことで、枢機卿たちに見捨てられた気がしたのではないかと思うし、精神科医(男)は苦肉の策で開催したバレーボール大会が思いのほか楽しくなったところで、法王に動きありの知らせで枢機卿たち見捨てられる、枢機卿たちはメルヴィルに見捨てられるし、もちろん信者たちも見捨てられた。そんなことを考えたら、かなりどんよりした気分になったけど、このシニカルさは嫌いではない。
役者さんはメルヴィルのミッシェル・ピコリと、監督兼精神科医(男)のナンニ・モレッティしか知らなかった。メルヴィルのミッシェル・ピコリ良かった! 一生懸命法王になろうとするけど、どうしてもなれない。なれないことがどんどん自分の中で明確になっていく感じが伝わってくる。ローマ法王という自分とはかけ離れた存在なのに、とっても共感できる。そして、かわいい

ヴァチカン市内の建物は撮影不可ということで、バルベリーニ宮殿や、ムッチョリ宮、サケッティ宮が、システィーナ礼拝堂やサン・ピエトロ大聖堂内部として使われているそうで、なんとムッチョリ宮とサケッティ宮は個人宅なのだそう!∑(゚ω゚ノ)ノ すごいぞイタリア! とっても豪華でウットリ・・・ 前法王の葬儀シーンは、前法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀の実際の映像だそう。これまたビックリ∑(゚ω゚ノ)ノ
前述のように賛否両論で、どちらかというと否の方が多い印象・・・ でも、法王のとっても人間らしい悩みに共感してしまった。枢機卿達のバレーボールはすごくカワイイので見て欲しいなぁ・・・ まぁ、そのためだけに行くのはどうかと思うけれど(笑)
一生懸命頑張り過ぎている人にオススメ! 法王だって完璧ではないのだから・・・
