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【Googleのロゴ】クロード・ドビュッシー 生誕151周年

2013-08-22 00:59:34 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



クロード・ドビュッシー 生誕151周年

もちろん知ってる!「月の光」大好き!
浅田真央選手の2008-2009年SP使用曲♪

一応、毎度のWikipediaで調べてみた!

クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy)は、
フランスの作曲家。
長音階・短音階以外の旋法と、
機能和声にとらわれない自由な和声法などを用いて独自の作曲を実行。
ドビュッシーの音楽は、
代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、
「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。

1862年8月22日イヴリーヌ県サン・ジェルマン=アン=レー生まれ。
父親のマニュエル・アシル・ドビュッシーは陶器店を経営していたが、
経営難のため、母方の実家に同居する。

1870年カンヌに住む伯母クレメンティーヌ(父の姉)のもと、
彼女の肝煎りでイタリアのヴァイオリニスト、
ジャン・チェルッティ(Jean Cerutti)にピアノを習う(期間は不明)。

1871年詩人ヴェルレーヌの義母、
マリー・モテ・ド・フルールヴィル夫人に音楽の手ほどきを受ける。
夫人はドビュッシーの才能を見抜き、親身に彼を教えた。

1872年10月22日、パリ音楽院に入学。
この時の合格者がドビュッシーを含むわずか33名であった。
ピアニストになるつもりで、マルモンテルのピアノ科クラスに入るが、
何度か学内のコンクールで第1次席賞、第2次席賞を得るも、
1878年と1879年は2年続けて賞が取れずに失敗し、
ピアニストになることを諦める決心をした。

一方でドビュッシーは作曲にも挑戦している。
1878年にピアノ曲『フーガ』(L番号なし)を作曲し、
これは現存するドビュッシーの最古の作品とされている。

と・・・ 実は、彼の功績はまだまだ続くのだけど、
あんまり長くなるのもなんだし、ちょっとめんどう・・・(o´ェ`o)ゞ
ってことで、仕事振りなどはWikipeidaを読んでいただくとして、
人となり的なところを載せてまとめる!

1894年3月テレーゼ・ロジェと婚約するが、
ガブリエル・デュポン(愛称ギャビー)の知るところとなり破談。
この出来事でショーソンと疎遠になり、
ショーソンが1899年6月に事故で没し葬儀に参列しなかった。

って、あらあら・・・

1914年、第一次世界大戦が勃発。
エンマの息子などが兵士として動員されたことを受けて、
戦争を恐れるようになっていたドビュッシーは、
9月に家族とともにアンジェに避難するが、1か月後にパリへと戻る。
この時すでにドビュッシーの身体は病に侵されており、
大腸癌を発病していた。

うーん・・・

1918年初旬、病により床から離れなくなり、
3月25日の夕方に静かに息を引き取る。
葬儀は29日に行われ、
遺体はパッシーの墓地に埋葬された。
埋葬は翌年のことで、前年は仮に安置されていた。

と、功績以外の人生はちょっと悲しい感じが・・・
ピアニストを諦めた時は、
お母さんに「生まなきゃよかった」と言われたそう。゚(/□\*)゚。

ってことで気を取り直してロゴの紹介!
これGoogleChromeでは動画になっていて、
再生ボタンをクリックすると「月の光」が流れ出す。

全部というわけにはいかないので、適当に数枚ご紹介♪













最後は男女の相合傘でカワイイ

ちなみに検索画面のロゴはコチラ



Joyeux anniversaire!



コメント
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