'13.10.02 『クロニクル』@TOHOシネマズ六本木ヒルズ
これ見たくて試写会応募しまくったけどハズレ・・・
もう、応募時点で当選するの9割がたあきらめてるよ・・・ グチですけどw TLでとっても評判良くてますます見たくなり、六本木ヒルズで2週間限定上映中ってことで、レディースデイに行って来たー![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/yl/dc/deco~otomedojo~27.gif)
ネタバレありです!
「家では父親に殴られ、学校でもイジメられているアンドリューは、日常全てを録画することにした。いとこのマットの誘いで出かけたパーティ。学校の人気者スティーブが見つけた穴に3人で入ってみることに。そこにあった謎の物体に触れたことで、3人には特殊な能力が芽生え・・・」という話。これはおもしろかった! 予告編でも流れているとおり、超能力の話。でも、重く辛いテーマを扱っている。83分と短いこともあるけど、一気に見てしまった!
監督のジョン・トランクは映画初監督らしいけれど、スゴイ才能だと思う! 一応ファウンド・フッテージ形式で描かれているということなのだけど、厳密に言うとちょっと違う? Wikipediaで調べてみたところ、ファウンド・フッテージ形式というのは、モキュメンタリーの一種で、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のように、記録者が行方不明になったため、埋もれていた映像が見つかったという設定で進む形式のことを言うのだそう。モキュメンタリーというのは、架空の人物や団体、虚構の事件などに基づいたドキュメンタリーのことらしい。要するに、いずれにしても架空の出来事を、実際に起きたこととして撮影された映画ということでいいのかな? ただ、この作品の場合、1つの映像だけでなくいろんな映像をつなぎ合わせているので、誰かしらが編集していないと成り立たない。いわゆるドキュメンタリー映画でも編集はしているわけだから、それがダメと言っているわけではなくて、いわゆる"埋もれていたフィルム"をそのまま流したものではないということ。そして、ドキュメンタリーのように、ある意図を持って作ったという、断りも特に入っていいない。うーん。実は、この辺りのことを、もう少し上手く書いていたんだけど、PCが固まって消えてしまったので、今となっては何て書いたのか思い出せない・・・
要するに、調べたとおりのままのファウンド・フッテージ形式ではないし、モキュメンタリーよりなのか?ということ。まぁ、別にどうでもいいんだけど、カメラや目線が移り変わることで、主人公たちの目線になったり、彼らを俯瞰で見たりするとが出来て、感情移入や客観的に見ることがしやすかったということが言いたいわけです!
原題も同じ"Chronicle"で記録するという意味。タイトルどおり主人公のアンドリューがカメラを入手し、日常を記録し始めるところから始まる。自室のドアに向かって撮影していると、激しくノックする音や怒鳴り声が聞こえる。アンドリューの父親。この父親のことや、母親のことについては後ほど語られるけど、この場面だけでアンドリューと父親の関係が分かる。そういうのが上手いと思った。アンドリューが何故日常を撮影することにしたのかは、車で迎えに来たマットに聞かれて適当に答えていた気がするけど、ハッキリした理由は語られなかったような? 母親は死の床についており、元消防士の父親は失業中で薬代もまままらない。父親は彼なりに母親やアンドリューを愛しているようだけれど、アルコールに依存し、アンドリューに暴力を振るっている様子。母親は優しくアンドリューを気遣っているけれど、息も絶え絶えでどうすることもできない。近所の不良たちにも、学校の同級生たちにもからかわれている。ランチしながら運動場を撮影していれば、チアリーダーの女子生徒たちからは気持ち悪がられてしまう。特別イジメにあっているような描写ではなかったけれど、要領が悪くイライラさせてしまうタイプらしい。どんな理由があってもイジメは絶対にしてはいけないと思っているので、イジメられる側にも問題があるとは言いたくないけれど、悪い意味で人目を引いてしまうということはあるのかも・・・ そして、意外に頑固。例えばマットにどこでもカメラを回すのはトラブルのもとだと言われても、カメラを回すのを止めない。アンドリューのそういう面は伏線にもなっている。
あらすじなどによると、いとこのマットはインテリということになっているけど、特にそんな描写あったかな? 特別人気者という感じもしなかったけれど、好きな相手に積極的に行動に出られるタイプ。ハイスクール内のヒエラルキーでは中の上って感じかな? 後に親友となるスティーブはアメフトのスター選手で、生徒会長(←って言うのかな?)に立候補するなど、社交的な人物。ヒエラルキーでは上層部なのでしょう。残念ながらアンドリューは下層ということになると思う。マットとアンドリューは毎朝マットの車で登校している。マットはアンドリューを心配していて、彼を親友だと思っている。ここで難しいのは、アンドリューは自分が下層の人間だと思っているから、いくらマットが心配して言ってくれている言葉でも、素直に聞くことが出来ないということ。上手く言えないけど、本来は同じ年なのだから、上も下もないわけだけど、心配されるのは相手の方が上だと思ってしまうという感じ。何を卑屈になっているのだと思うけど、自身が下層であることを自覚しているアンドリューにとっては、友人のアドバイスというように受け取ることはできないのだと思う。だから、マットが言っているように、素直に彼を"親友"と思うことができなかった。その辺りが彼の悲劇なんだと思った。
マットに誘われたパーティでも、好みの女の子を撮影して、その彼氏にボコられてしまい、庭で泣きべそをかいている始末・・・ 心配して出てきたマットとアンドリューは、スティーブが呼ぶ声に気づく。彼の足元には大きな穴が開いており、アンドリューにカメラで撮影して欲しいというのだった。イヤイヤながらも彼らに続いて穴に入っていくアンドリュー。穴の中には光る物体があり、それに触れた瞬間3人は意識を失ってしまう。次の映像では既に3人は力を得ていて、ボールを浮かせることが出来たり、体にぶつけても平気な姿が映し出される。穴の中の物体が何だったのかは結局明らかにはされないけど、描きたいことはそこではないので問題ない。どうやら力を使うと体がどんどん鍛えられるらしい。ただ、力を使いすぎると鼻血が出る。あと、仲間の誰かが傷ついたりすると、残りの2人が鼻血が出たり、声が聞こえたりするっぽい。ただし、これはもう少し彼らの力が強くなってから。
そもそも監督がこの映画を撮ろうと思ったのは"普通の高校生が力を持ったらどうなるだろう?"という発想からで、必ずしも正義に使うとは限らないのではないか? 誰もが変装してヒーローになるわけではないのでは? と考えたから。確かにそうかも。初めのうちは女の子のスカートをめくったり、車を勝手に動かして持ち主を驚かせたりという悪戯を楽しんでいただけだった。力が強くなると空を飛べるようになるけど、それも3人だけで楽しんでいただけ。でも、ある日後ろからあおって来た車にイラ立ったアンドリューが、力を使って車ごと湖に突き落す事故を起こしてしまう。マットとスティーブは必死に救出するけど、アンドリューはオロオロしつつ見ているだけ。こんなことになると思わなかった、悪かったと言い訳しているわりに、あまり反省している感じが伝わってこない。これも伏線。伏線というか、ここが2人との分かれ目だったと思う。3人は力を使うルールを決めるけれど、前述したとおりアンドリューは自分よりも"上"の人間から言われたことを素直に聞けない部分がある。ハッキリした描写はないけど、アンドリューの態度からはそういう彼の気持ちが感じられた。これも伏線。
マットとスティーブは、家庭にも問題がなく、それぞれ彼女や彼女未満の相手がいる。3人で力を使って遊んでいる間はもちろん楽しんでいるけれど、家に帰れば家族との会話もあるだろうし、勉強もあるだろうし、好きな女の子のことを考える時間もある。でも、アンドリューには何もない。前述したとおり、父親も母親も会話できる状態ではない、彼女どころか好きな女の子もいない。まぁ、勉強しろとは思うけれど・・・w なので、彼は自分の力にとりつかれてしまう。自分が誇れる唯一のもの。自分の存在価値。いくら日常を全て記録することにしたとはいえ、ベッドでゴロゴロしている場面を、力でカメラを浮かせて撮影する必要はないわけで、それはもう記録が目的ではなくて、力を使うことに楽しみを見出してしまっているのだと思う。
3人で話していた時に、アンドリューには女性経験がないことが分かり、スティーブが何とか彼を人気者にしようと一計を案じる。学園祭(←っていうのかな?)にスティーブとコンビを組んで出演するというもの。出し物は力を使った手品。スティーブの軽快なトークもあって大ウケ。一躍人気者になるアンドリュー。その後のパーティーでも人気の的。女の子ともいい関係に。しかしパンクっぽいこの子老けてたね・・・←別にいいけどw この女の子はやめておいた方がいいのでは?と思っていると、案の定お粗相してしまい大騒ぎに
たしかに、まだ恋人でもない相手といいムードになったところでお粗相されてしまえば、ビックリもするし腹も立つだろうけれど、彼を介抱しないまでも恥をかかせないように配慮できる女の子はいるわけで、大騒ぎした挙句学校中に言いふらすような子を相手にしちゃった時点で残念といえば残念。急にチヤホヤされて舞い上がり泥酔してしまったアンドリューを、ただ要領が悪いと言ってしまうのはかわいそうではあるけれど、もうこの何をやってもダメな感じが悲し過ぎる。゚(゚´ω`゚)゚。ピー
パーティで恥をかいてしまったことが悲劇の引き金になるのは、ある有名な映画を彷彿とさせるけど、『キャリー』と決定的に違うのは、アンドリューは1人ではないということ。マットもスティーブもアンドリューを見捨てないし、彼を好きな気持ちは変わらない。傷ついてしまったアンドリューを救いたいと、空の上まで追ってきたスティーブ。彼の思いに嘘はないけど、アンドリューには届かない。スティーブはこうなることを予想して、彼を誘ったわけじゃない。でも、もう誰も信じることが出来ない。そして悲劇。アンドリューは力の制御は可能だけど、怒りにを爆発させてしまうとコントロールできない。とうとう人を殺してしまったアンドリューは、ある考えに支配される。自分は"最強捕食者"であるということ。ずっと自分は最下層の人間だと思って生きてきた。子供の頃はみんなと仲良くできていたのに、いつからこうなってしまったのかと語ったアンドリューが悲しい
傷ついてしまったプライドは"力"こそ自分の力なのだと信じることでしか保てない。スティーブの言葉を受け入れられなかったことも分かれ目。
父親からカメラを買ってしまったことを責められるアンドリュー。ある決心をする。消防士の衣装に着替える。ここは前述した"変装してヒーローになるとは限らない"ということの回答なのかな? 変装していつも自分をからかっていてた不良たちを襲う。彼の中では母親の薬代のためということになっているけど、家の前でブラブラしている不良たちにお金があるとは思えないし、リュックや声でアンドリューだと見破られてしまっているのだから、これはもう復讐なのでしょう。事実、気絶させるだけでいいのに殺してしまったようだし・・・ 次にコンビニを襲ったアンドリュー。普通に考えてここまでカメラで撮っているのは変なわけで、これは監視カメラの映像に切り替わる。これが前述したカメラの自然な切り替わりであり、編集が加えられていると思った点。でも、どう考えてもこの後の暴走シーンで、アンドリュー1人称での撮影は無理なわけで、その辺りの監視カメラや、テレビ中継映像などに自然に切り替わる。悲惨な映像が続くのに、その映像媒体切り替えの見事さに、ちょっと感心してしまう。例えば、アンドリュー不在のマットのシーンなどでは、彼が恋するケイシーがブログ用に動画を撮っている設定で、彼女のカメラで撮影されている。その見せ方も上手いと思った。モキュメンタリー&ファウンド・フッテージの法則に則ると、ケイシーが誰かに映像を貸した、もしくは彼女が編集したってことになるけど、特にそういう断りはない。でも、それが自然で面白い。
話は前後してしまうけど、アンドリューのもとには1度マットが駆けつけている。アンドリューが間違った方向に進んでしまうのじゃないかと心から心配するマットの声は、もはやアンドリューには届かない。思えばここが最後の分かれ目。アンドリューは一線を超えてしまったんだよね・・・
で、前述したとおり不良たちを襲い、コンビニ強盗をした挙句、店主に発砲され、力でよけた玉がガソリンタンクに当たり炎上、店主とアンドリューに引火するという惨事を引き起こしてしまう。全身大やけどを負ったアンドリューは意識不明のまま病院に搬送され、警察の監視下に置かれる。駆けつけた父親は相変わらず彼に優しい言葉をかけることが出来ない。この状況を引き起こしたのはもちろんアンドリューなのだし、妻の病気や自身の失業など父親としても辛い状況なのは分かる。加えてアンドリューを探している間に妻に死なれてしまっては、恨み言の一つも言いたくなるとは思うけれど、この状況で全てお前のせいだと言ってしまったら、アンドリューにはもう逃げ道がない。アルコールに逃げてアンドリューに愛情を示せなかったのは事実なわけだし・・・ この父親も愛情の示し方を知らなかっただけで、悪い人ではないのかもしれないけれど、彼がこの時アンドリューにもう少し違う言葉をかけることが出来ていたら、違う結末になったかもしれない。父親の放った「お前のせいだ」でアンドリューの人としての箍が外れてしまう。
ここからはスゴイ! アンドリューは暴走してしまい、完全に自分を制御できない状態。彼の悲痛な叫びを察知したマットが駆けつける。この時、ケイシーも一緒に来ることになり、彼女の撮影した動画も含まれている。それも自然。警官や機動隊に包囲されるけど、アンドリューの力の前にはどうすることも出来ず。駆けつけたマットのことも識別できていないような状態。2人は空中戦を繰り広げる。今まででこんな悲しい空中戦は見たことない。そしてとうとうマットは悲しい決断をする。もう切ない・・・。゚(/□\*)゚。わ~ん
ここで終わってしまったらホントに辛すぎるけど、ラストちょっとおまけ映像的な映像が入ることによって、見ている側も少しだけ救われる。結局、力はそれを持った3人の運命を変えてしまった。それは、決していい方向ではなかった。でも、マットの存在が希望を持たせてくれる。自身も見た直後に思ったし、Twitterでも皆さんつぶやいているけど、『スパイダーマン』でピーター・パーカーが叔父さんに言われる、"With great power comes great responsibility(大いなる力には大いなる責任が伴う)"ってことかと・・・ マットは一連の悲劇からそれを学び、力と共に生きていくのだなと思ったら感動してた。ラストの画も良かった。
若い役者たちが良かった。アンドリューのデイン・デハンの痛々しさがもう・・・
まだ力を手に入れていない段階から、アンドリューの要領の悪さや、卑屈になってしまっている感じが、彼のカメラを通しても感じられた。力を手に入れて舞い上がっちゃってる感じとか、マットやスティーブの意見を素直にきけない感じとか、一線を超えちゃう感じは、どうにかならないのか?と思いながら見ていた。暴走の末に彼が辿った運命については、彼がまだ未熟な高校生であるということを考慮しても、自業自得としか言いようがないのだけど、共感とまでは言わないけれど、彼の思いは分からなくもない。そう思わせたのはデイン・デハンのおかげ。『アメイジング・スパイダーマン2』にハリー・オズボーンとして出演が決まっているそうで期待大。マットは得な役だった気がするけど、それでもイヤミな感じがしなかったのは、アレックス・ラッセルのおかげ。彼の思いがアンドリューに届いてくれればと思いながら見てた。次回作は同じく超能力ものの『キャリー』だそう。なるほど・・・w スティーブのマイケル・B・ジョーダンも良かった。アメフト部のスターで、学生会にも立候補するようなアンドリューとは真逆の青春を送るスティーブをイヤミなく演じていたと思う。
ジョン・トランク監督は事前に見ておくようにと『AKIRA』と『エレファント・マン』のDVDをデイン・デハンに渡したのだそう。最近、2020年の東京オリンピック開催を予言したと話題になった『AKIRA』は、以前からタイトルは知っていたけど未見。超能力モノなのだということは漠然と知っているけど、内容を知らないのでデインくんの役作りにどう役立ったのかは不明。『エレファント・マン』は何でだろ? シアトル郊外という設定で、どこか寂れた雰囲気。実際もこんな感じなのかは分からないけど、主人公たち特にアンドリューの抱える鬱屈した感じは伝わってくる。アンドリューは優れたビジュアル感覚と知性を持ち、プロ仕様のHDカメラを使っているという設定にしたそうで、映像のざらつきや手ぶれは一切ない。でも、とってもリアル。 カメラワークと、媒体の切り替えも見どころ。3人が空を飛ぶシーンの映像はすごかった!
超能力を扱ったSF映画としても、青春映画としてもよく出来ていると思う。主人公を取り巻く環境は辛いし、クスリと笑えるシーンもあるものの、決して楽しい映画ではない。でも、見てよかったと思う。
上映館数も増えたし、全国公開もするようなので、劇場で是非!
『クロニクル』Official site
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監督のジョン・トランクは映画初監督らしいけれど、スゴイ才能だと思う! 一応ファウンド・フッテージ形式で描かれているということなのだけど、厳密に言うとちょっと違う? Wikipediaで調べてみたところ、ファウンド・フッテージ形式というのは、モキュメンタリーの一種で、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のように、記録者が行方不明になったため、埋もれていた映像が見つかったという設定で進む形式のことを言うのだそう。モキュメンタリーというのは、架空の人物や団体、虚構の事件などに基づいたドキュメンタリーのことらしい。要するに、いずれにしても架空の出来事を、実際に起きたこととして撮影された映画ということでいいのかな? ただ、この作品の場合、1つの映像だけでなくいろんな映像をつなぎ合わせているので、誰かしらが編集していないと成り立たない。いわゆるドキュメンタリー映画でも編集はしているわけだから、それがダメと言っているわけではなくて、いわゆる"埋もれていたフィルム"をそのまま流したものではないということ。そして、ドキュメンタリーのように、ある意図を持って作ったという、断りも特に入っていいない。うーん。実は、この辺りのことを、もう少し上手く書いていたんだけど、PCが固まって消えてしまったので、今となっては何て書いたのか思い出せない・・・
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原題も同じ"Chronicle"で記録するという意味。タイトルどおり主人公のアンドリューがカメラを入手し、日常を記録し始めるところから始まる。自室のドアに向かって撮影していると、激しくノックする音や怒鳴り声が聞こえる。アンドリューの父親。この父親のことや、母親のことについては後ほど語られるけど、この場面だけでアンドリューと父親の関係が分かる。そういうのが上手いと思った。アンドリューが何故日常を撮影することにしたのかは、車で迎えに来たマットに聞かれて適当に答えていた気がするけど、ハッキリした理由は語られなかったような? 母親は死の床についており、元消防士の父親は失業中で薬代もまままらない。父親は彼なりに母親やアンドリューを愛しているようだけれど、アルコールに依存し、アンドリューに暴力を振るっている様子。母親は優しくアンドリューを気遣っているけれど、息も絶え絶えでどうすることもできない。近所の不良たちにも、学校の同級生たちにもからかわれている。ランチしながら運動場を撮影していれば、チアリーダーの女子生徒たちからは気持ち悪がられてしまう。特別イジメにあっているような描写ではなかったけれど、要領が悪くイライラさせてしまうタイプらしい。どんな理由があってもイジメは絶対にしてはいけないと思っているので、イジメられる側にも問題があるとは言いたくないけれど、悪い意味で人目を引いてしまうということはあるのかも・・・ そして、意外に頑固。例えばマットにどこでもカメラを回すのはトラブルのもとだと言われても、カメラを回すのを止めない。アンドリューのそういう面は伏線にもなっている。
あらすじなどによると、いとこのマットはインテリということになっているけど、特にそんな描写あったかな? 特別人気者という感じもしなかったけれど、好きな相手に積極的に行動に出られるタイプ。ハイスクール内のヒエラルキーでは中の上って感じかな? 後に親友となるスティーブはアメフトのスター選手で、生徒会長(←って言うのかな?)に立候補するなど、社交的な人物。ヒエラルキーでは上層部なのでしょう。残念ながらアンドリューは下層ということになると思う。マットとアンドリューは毎朝マットの車で登校している。マットはアンドリューを心配していて、彼を親友だと思っている。ここで難しいのは、アンドリューは自分が下層の人間だと思っているから、いくらマットが心配して言ってくれている言葉でも、素直に聞くことが出来ないということ。上手く言えないけど、本来は同じ年なのだから、上も下もないわけだけど、心配されるのは相手の方が上だと思ってしまうという感じ。何を卑屈になっているのだと思うけど、自身が下層であることを自覚しているアンドリューにとっては、友人のアドバイスというように受け取ることはできないのだと思う。だから、マットが言っているように、素直に彼を"親友"と思うことができなかった。その辺りが彼の悲劇なんだと思った。
マットに誘われたパーティでも、好みの女の子を撮影して、その彼氏にボコられてしまい、庭で泣きべそをかいている始末・・・ 心配して出てきたマットとアンドリューは、スティーブが呼ぶ声に気づく。彼の足元には大きな穴が開いており、アンドリューにカメラで撮影して欲しいというのだった。イヤイヤながらも彼らに続いて穴に入っていくアンドリュー。穴の中には光る物体があり、それに触れた瞬間3人は意識を失ってしまう。次の映像では既に3人は力を得ていて、ボールを浮かせることが出来たり、体にぶつけても平気な姿が映し出される。穴の中の物体が何だったのかは結局明らかにはされないけど、描きたいことはそこではないので問題ない。どうやら力を使うと体がどんどん鍛えられるらしい。ただ、力を使いすぎると鼻血が出る。あと、仲間の誰かが傷ついたりすると、残りの2人が鼻血が出たり、声が聞こえたりするっぽい。ただし、これはもう少し彼らの力が強くなってから。
そもそも監督がこの映画を撮ろうと思ったのは"普通の高校生が力を持ったらどうなるだろう?"という発想からで、必ずしも正義に使うとは限らないのではないか? 誰もが変装してヒーローになるわけではないのでは? と考えたから。確かにそうかも。初めのうちは女の子のスカートをめくったり、車を勝手に動かして持ち主を驚かせたりという悪戯を楽しんでいただけだった。力が強くなると空を飛べるようになるけど、それも3人だけで楽しんでいただけ。でも、ある日後ろからあおって来た車にイラ立ったアンドリューが、力を使って車ごと湖に突き落す事故を起こしてしまう。マットとスティーブは必死に救出するけど、アンドリューはオロオロしつつ見ているだけ。こんなことになると思わなかった、悪かったと言い訳しているわりに、あまり反省している感じが伝わってこない。これも伏線。伏線というか、ここが2人との分かれ目だったと思う。3人は力を使うルールを決めるけれど、前述したとおりアンドリューは自分よりも"上"の人間から言われたことを素直に聞けない部分がある。ハッキリした描写はないけど、アンドリューの態度からはそういう彼の気持ちが感じられた。これも伏線。
マットとスティーブは、家庭にも問題がなく、それぞれ彼女や彼女未満の相手がいる。3人で力を使って遊んでいる間はもちろん楽しんでいるけれど、家に帰れば家族との会話もあるだろうし、勉強もあるだろうし、好きな女の子のことを考える時間もある。でも、アンドリューには何もない。前述したとおり、父親も母親も会話できる状態ではない、彼女どころか好きな女の子もいない。まぁ、勉強しろとは思うけれど・・・w なので、彼は自分の力にとりつかれてしまう。自分が誇れる唯一のもの。自分の存在価値。いくら日常を全て記録することにしたとはいえ、ベッドでゴロゴロしている場面を、力でカメラを浮かせて撮影する必要はないわけで、それはもう記録が目的ではなくて、力を使うことに楽しみを見出してしまっているのだと思う。
3人で話していた時に、アンドリューには女性経験がないことが分かり、スティーブが何とか彼を人気者にしようと一計を案じる。学園祭(←っていうのかな?)にスティーブとコンビを組んで出演するというもの。出し物は力を使った手品。スティーブの軽快なトークもあって大ウケ。一躍人気者になるアンドリュー。その後のパーティーでも人気の的。女の子ともいい関係に。しかしパンクっぽいこの子老けてたね・・・←別にいいけどw この女の子はやめておいた方がいいのでは?と思っていると、案の定お粗相してしまい大騒ぎに
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パーティで恥をかいてしまったことが悲劇の引き金になるのは、ある有名な映画を彷彿とさせるけど、『キャリー』と決定的に違うのは、アンドリューは1人ではないということ。マットもスティーブもアンドリューを見捨てないし、彼を好きな気持ちは変わらない。傷ついてしまったアンドリューを救いたいと、空の上まで追ってきたスティーブ。彼の思いに嘘はないけど、アンドリューには届かない。スティーブはこうなることを予想して、彼を誘ったわけじゃない。でも、もう誰も信じることが出来ない。そして悲劇。アンドリューは力の制御は可能だけど、怒りにを爆発させてしまうとコントロールできない。とうとう人を殺してしまったアンドリューは、ある考えに支配される。自分は"最強捕食者"であるということ。ずっと自分は最下層の人間だと思って生きてきた。子供の頃はみんなと仲良くできていたのに、いつからこうなってしまったのかと語ったアンドリューが悲しい
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父親からカメラを買ってしまったことを責められるアンドリュー。ある決心をする。消防士の衣装に着替える。ここは前述した"変装してヒーローになるとは限らない"ということの回答なのかな? 変装していつも自分をからかっていてた不良たちを襲う。彼の中では母親の薬代のためということになっているけど、家の前でブラブラしている不良たちにお金があるとは思えないし、リュックや声でアンドリューだと見破られてしまっているのだから、これはもう復讐なのでしょう。事実、気絶させるだけでいいのに殺してしまったようだし・・・ 次にコンビニを襲ったアンドリュー。普通に考えてここまでカメラで撮っているのは変なわけで、これは監視カメラの映像に切り替わる。これが前述したカメラの自然な切り替わりであり、編集が加えられていると思った点。でも、どう考えてもこの後の暴走シーンで、アンドリュー1人称での撮影は無理なわけで、その辺りの監視カメラや、テレビ中継映像などに自然に切り替わる。悲惨な映像が続くのに、その映像媒体切り替えの見事さに、ちょっと感心してしまう。例えば、アンドリュー不在のマットのシーンなどでは、彼が恋するケイシーがブログ用に動画を撮っている設定で、彼女のカメラで撮影されている。その見せ方も上手いと思った。モキュメンタリー&ファウンド・フッテージの法則に則ると、ケイシーが誰かに映像を貸した、もしくは彼女が編集したってことになるけど、特にそういう断りはない。でも、それが自然で面白い。
話は前後してしまうけど、アンドリューのもとには1度マットが駆けつけている。アンドリューが間違った方向に進んでしまうのじゃないかと心から心配するマットの声は、もはやアンドリューには届かない。思えばここが最後の分かれ目。アンドリューは一線を超えてしまったんだよね・・・
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ここからはスゴイ! アンドリューは暴走してしまい、完全に自分を制御できない状態。彼の悲痛な叫びを察知したマットが駆けつける。この時、ケイシーも一緒に来ることになり、彼女の撮影した動画も含まれている。それも自然。警官や機動隊に包囲されるけど、アンドリューの力の前にはどうすることも出来ず。駆けつけたマットのことも識別できていないような状態。2人は空中戦を繰り広げる。今まででこんな悲しい空中戦は見たことない。そしてとうとうマットは悲しい決断をする。もう切ない・・・。゚(/□\*)゚。わ~ん
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ここで終わってしまったらホントに辛すぎるけど、ラストちょっとおまけ映像的な映像が入ることによって、見ている側も少しだけ救われる。結局、力はそれを持った3人の運命を変えてしまった。それは、決していい方向ではなかった。でも、マットの存在が希望を持たせてくれる。自身も見た直後に思ったし、Twitterでも皆さんつぶやいているけど、『スパイダーマン』でピーター・パーカーが叔父さんに言われる、"With great power comes great responsibility(大いなる力には大いなる責任が伴う)"ってことかと・・・ マットは一連の悲劇からそれを学び、力と共に生きていくのだなと思ったら感動してた。ラストの画も良かった。
若い役者たちが良かった。アンドリューのデイン・デハンの痛々しさがもう・・・
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ジョン・トランク監督は事前に見ておくようにと『AKIRA』と『エレファント・マン』のDVDをデイン・デハンに渡したのだそう。最近、2020年の東京オリンピック開催を予言したと話題になった『AKIRA』は、以前からタイトルは知っていたけど未見。超能力モノなのだということは漠然と知っているけど、内容を知らないのでデインくんの役作りにどう役立ったのかは不明。『エレファント・マン』は何でだろ? シアトル郊外という設定で、どこか寂れた雰囲気。実際もこんな感じなのかは分からないけど、主人公たち特にアンドリューの抱える鬱屈した感じは伝わってくる。アンドリューは優れたビジュアル感覚と知性を持ち、プロ仕様のHDカメラを使っているという設定にしたそうで、映像のざらつきや手ぶれは一切ない。でも、とってもリアル。 カメラワークと、媒体の切り替えも見どころ。3人が空を飛ぶシーンの映像はすごかった!
超能力を扱ったSF映画としても、青春映画としてもよく出来ていると思う。主人公を取り巻く環境は辛いし、クスリと笑えるシーンもあるものの、決して楽しい映画ではない。でも、見てよかったと思う。
上映館数も増えたし、全国公開もするようなので、劇場で是非!
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