【event】「港区歴史フォーラム 忠臣蔵」ロバート・キャンベル氏講演
見ます!聞きますか? (@ ヤクルトホール in 港区, 東京都) https://t.co/0D8e2pyzNl pic.twitter.com/P6tSl34pyt
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2016年12月11日
母親が何かで見たか、どこかで聞いたかしてきたイベント。ロバート・キャンベルさんの講演にも興味があったし、テーマが大好きな忠臣蔵ということで、応募したら当選! 楽しみに行ってきた
チラシにある通り、第一部:ロバート・キャンベル氏の講演、第二部:港区シティプロモーションタイム、第三部:大和田獏氏のトークショーという構成。全部聞きたいところだけど、当選したのが17:30からの回で、全部見ると21:00近くなってしまう。母親が遅いの無理なので、ロバート・キャンベルさんの回のみ拝見させて頂いた。
ロバートキャンベルさんの講演おもしろかった!忠臣蔵そのものではなくて、それ以降の人々がどのように受け止めて、どのように芸術に結びついたのかがテーマ。その豊富な知識と、やわらかい語り口が聞きやすく引き込まれた。
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2016年12月11日
ザックリした感想はtweetどおり。さすが東京大学大学院教授ということで、お話が聞きやすく分かりやすい。時々笑いを交えながらテンポよく進む。チラシにもあるとおり、専門は江戸・明治時代の文学で、特に江戸中期から明治の漢文学、芸術、思想などに関する研究をされているそうで、今回の講演もそれにそって、忠臣蔵そのものというよりも、それらを江戸の人々がどうとらえて、それをどう文学や芸術としたのかということについて語られた。これが楽しくて勉強になった。一応、メモを取っておいたのでそれらを記載しておく。
まずは会場となったヤクルトホールについて語る。気になって楽屋で調べられたそうで、1972年にオープンしたホール内は、ジャパニーズモダンの内装が素敵だとのこと。舞台中央から数メートル客席に伸びた花道。英語ではcat walkと呼ぶそうだけれど、昔の小屋には付け舞台(付け舞台(つけぶたい)とは|コトバンク)というものがあり、いろいろな角度から舞台を見ることが出来たのだそう。日本で最初に付け舞台を外し、西洋風の舞台となったのが新富座だったとのこと。いきなりの知識の深さにビックリだけど、あの独特のやわらかな声で語れるそれは、全くドヤっていない。そうそう、江戸時代にも忠臣蔵グッズが作られていたそうで、陶器でできた由良之助人形などが売られていたとのこと。日本人は昔からグッズ好きだったのね
忠臣蔵については、現在、新国立劇場で公演されている「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」(国立劇場開場50周年記念10月・11月・12月歌舞伎公演特設サイト|新国立劇場)の話題から。これは演目は同じ「仮名手本忠臣蔵」を月ごとに役者を変えて上演しているそうで、大星由良之介を10月は松本幸四郎、11月は中村吉右衛門、12月は中村梅玉が演じる。キャンベルさんは10月と11月公演を見に行かれたそうで、中村吉右衛門さんの由良之介を絶賛されていた。特に一力茶屋のシーンが素晴らしかったとのこと。大好きな中村吉右衛門さんは、やっぱり鬼平こと長谷川平蔵がいいけれど、自分の中での忠臣蔵キャスティングでも大石内蔵助は中村吉右衛門さんなので、キャンベルさんの絶賛ぶりがうれしいヾ(*´∀`*)ノ キャッキャッ♪
なぜこの話題から始まったのかというと、四十七士の中で誰が好きですか?という質問をしたかったから。そして何故その質問をしたかったかと言えば、どうやら江戸時代や明治時代の人々は、茶屋などで偶然隣り合わせになった人々と気軽に会話を交わしていたそうで、その際の話題として四十七士の中で誰が好きかとか、どの場面が好きか、役者は誰がいいかなどが語られていたからなのだそう。それは興味深い。ちなみにキャンベルさんの好きな場面は九段目 山科隠家の段。祇園から山科の隠れ家へ朝帰りしてきた由良之助が、雪玉を作って遊んでいたところ、そんな姿を見た息子の力弥が嘆く。すると由良之助は、雪玉を日差しの中に置いておくと溶けてしまうが、日陰に置けば溶けずに残ると言う。それは言葉裏に全てが整うまで身を隠しているのだと語っているのだそうで、その感じがグッとくるのだそう。さすが日本人より日本人らしいと言われるだけある
赤穂浪士の討ち入りから十数年して、「仮名手本忠臣蔵」が上演されたけれど、江戸時代には時事を題材とした出版物などは実名を出すことを禁じられていたそうで、大石内蔵助を大星由良之助としたり、時代を「太平記」の世界を借りて描いたりしている。これを見立てという。「仮名手本忠臣蔵」は人気の演目で、上演すると必ず大入りとなるので、"芝居の独参湯"(どくじんとう=気付け薬)と呼ばれたのだそう。勧善懲悪の話であり、事件も有名だったし、赤穂・京都・江戸を舞台が移ることも魅力だったらしい。
次に、浅野内匠頭と四十七士が眠る泉岳寺(曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺)について。 実は徳川家康の発願で建てられたお寺で、一度は焼けてしまったけれど、徳川家光の時代に再建し現代にいたるとのこと。そして江戸時代は江戸に来たら必ず立ち寄る場所だったそうで、特に上方から江戸に下って来た際には宿に入る前に泉岳寺詣りをするのが常だったらしい。逆に江戸を出る前にも詣でてから向かっていたのだそう。当時、高輪には浜があって、少し高台にある泉岳寺からはその浜が見えて、風光明媚であったことも理由の一つだったのではないかとのこと。あとは義士人気かな?
泉岳寺については「江戸名所図絵」斎藤月岑他(天保5年 1834年)、「東海道名所図絵」(寛政9年 1797年)、「十方庵遊歴雑」(文化12年 1815年)などで紹介されている。泉岳寺には赤穂浪士たちの遺髪、書物などが保管してあり見せてもらえたらしい。燈明銭を払うと常夜灯の施主としてお参りしたり、お墓の絵図をもらったりできるシステムになっていたりと、江戸時代の人々が意外にビジネスに長けていたりするのも( ̄ー ̄)ニヤリ また、常陸国小崎村の岩瀬市郎衛門という人物が江戸を旅した際の日記も紹介。泉岳寺を仙覚寺と記載してしまったりと誤字はあるものの、舟橋や稲毛、下総なども見えてとても良い場所だと記しているのは興味深い。舟橋というのは船橋のことかな? 浜って書いてあるからそうかも。
錦絵では、歌川国輝の「仮名手本忠臣蔵 十二段」に登場。実は錦絵に泉岳寺が登場するのは少ないのだそう。前述したとおり「仮名手本忠臣蔵」は「太平記」の世界を借りているため鎌倉が舞台となっている。そのため、国輝の絵でも鎌倉の寺ということになっているが、高輪の海が描かれており、見る人にはどこを描いているか分かる仕組み。歌川国貞の「東都高輪泉岳寺開帳群衆之図」には大星由良之助を演じた松本幸四郎など、忠臣蔵キャストが描かれているのだそう。役者の名前が記載されたりはしていないけど、似顔絵になっているので、こちらも見る人にはわかる仕組み。三代目歌川広重の「江戸名勝図会 泉岳寺」にも描かれている。
最後に大正8年(1919年)に撮影された記録映画の中から、大正時代の人々が泉岳寺にお参りしている映像を見て終了。ほんの数秒だけど貴重映像。
と約1時間。あっという間だったけれど、充実した楽しい時間だった。忠臣蔵が現代でも人気なのは、江戸の人たちが語り継いだからこそなのだということが分かって興味ぶかかった。そして、とってもオシャレで素敵なキャンベルさんを間近で見れてうれしかった。
キャンベルさんの講演後、会場を出てロビーで母親が切腹最中買ってるの待ってたら目の前を係りの人に案内されてキャンベルさんが通った! 後を追うような形で出口に向かうと、タクシーに乗って帰っていかれた。コート姿も素敵だった
そうそう! 全国の忠臣蔵ゆかりの地の自治体による「義士親善有効都市交流会議」というものがあるそうで、現在2020年の東京オリンピックのメモリアルイヤーに忠臣蔵を題材とした大河ドラマの実現に向けた署名活動が行われているのだそう。今回イベントの主宰である港区の署名サイトは見つからなかったのだけど、義士の出身地赤穂市の署名サイトを貼っておく