毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
七夕 2017
もちろん知っているけど、毎度のWikipediaより引用!
七夕(たなばた、しちせき)は、
五節句の一つにも数えられる。
日本ではお盆(旧暦7月15日前後)との関連がある年中行事であったが、
明治改暦以降、
お盆が新暦月遅れの8月15日前後を主に行われるようになったため関連性が薄れた。
あるいはそれらの前後の時期に開催されている。
とのことで、各国の歴史や風習や時期などの記載があるけれど、
日本のみ抜粋
日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、
元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。
「たなばた」の語源は『古事記』で
アメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は
『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、
お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。
また、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)
たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ など七夕に纏わる歌が存在する。
とのことで、風習としては・・・
ほとんどの神事は、「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行うことが常であり、
祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行われる。
午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる時間帯でもある。
全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。
短冊などを笹に飾る風習は、
夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもので、
日本以外では見られない。
時期としては・・・
日本では、旧暦(天保暦、和暦)の7月7日(行事によっては7月6日の夜)に行われ、
お盆(旧暦7月15日)に入る前の前盆行事として行う意味合いが強かった。
明治6年(1873年)の改暦後は、従来通り旧暦7月7日に行う地域、
月遅れの8月7日に行う地域に分かれ、特に新暦開催ではお盆との関連が薄れた。
お祭りとしては・・・
1687年(貞享4年)刊行の藤田理兵衛の『江戸鹿子』(えどかのこ)には、
「七夕祭、江戸中子供、短冊七夕ニ奉ル」とある。
その他、喜多川守貞の『守貞謾稿』にも、「七月七日、今夜を七夕という、
今世、大坂ニテハ、…太鼓など打ちて終日遊ぶこと也。
江戸ニテハ、…青竹ニ短冊色紙ヲ付ケ、高ク屋上ニ建ルコト。」とあり、
江戸時代中期には既に江戸で七夕祭りが始まっており、
江戸時代末期には大坂でも盛んになっている様子が窺える。
現代の「七夕祭り」は、神事との関わりも薄れ、もっぱら、
観光客や地元商店街等への集客を目当てとしたものとなっている。
とのことで、この後全国の七夕祭りが紹介されている。
七夕祭りと言えば仙台だけど、こんなにたくさんあるとは知らなくてビックリ😲
後は、織姫と彦星の説話を引用して終わりにしようかな
こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。
夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。
めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。
このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、
年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、
天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。
しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、
織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。
星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。
また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。
なるほど~
検索画面のロゴはこんな感じ
天の川見れますように(人'д`o)