・*・ etoile ・*・

🎬映画 🎨美術展 ⛸フィギュアスケート 🎵ミュージカル 🐈猫

【tv】100分de名著「法華経」(第4回)

2018-06-21 00:13:21 | tv

【tv】100分de名著「法華経」(第4回)

「人間の尊厳」への賛歌

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。4月は「法華経」。講師は植木雅俊氏。前回記事(第1回はコチラ、第2回はコチラ、第3回はコチラ)から時間が1ヶ月以上経ってしまった💦 もう、今更感満載だけど、せっかく見たので記事にしておく!


第16章:分別功徳品(福徳の分別)、第17章:随喜功徳品(喜んで受け入れることの福徳の表現)、第18章:法師功徳品(説法者に対する讃嘆) ⇨ 如来(釈尊)の寿命の長さを信じる利益(りやく)が段階に語られる。第19章:常不軽菩薩品(ジョウフキョウボサツホン)=常に軽んじない(のに、常に軽んじていると思われ、その結果常に軽んじられることになるが、最終的には常に軽んじられないものとなる)菩薩。


何のこっちゃ?という感じだけど、これをサンスクリット語にすると"sadaparibhuta(サダーパリブータ)"となるそうで、sada(常に)+paribhuta(軽んじられた)となり、これに否定を表すaを足すとsada(常に)+aparibhuta(軽んじられなかった)となる。

①常に軽んじない(鳩摩羅什訳に相当)

②常に軽んじた

③常に軽んじられた(竺法護(ジクホウゴ)訳に相当)

④常に軽んじられなかった

となる。肯定と否定/能動と受動の組み合わせ。1つの単語で4つの意味。組み合わせるとストーリーになる。とのことなのだけど何のこっちゃ?😵 そうそう! 常不軽菩薩品は宮沢賢治が「雨ニモマケズ」に書いた"デクノボー"のモデルなのだそう。

 

サダーパリブータ。経典を読まず「私はあなたを軽んじない」と言う。人々は嫌う。ののしり石を投げる。死期のおとずれ。空中から法華経=六根清浄を獲得 ⇨ 寿命を延ばして法華経を説く。鏡に例えられる関係。互いに尊重し合う関係は、こちらから頭を下げる。

 

えーと💦自分でメモ書いてて何のこっちゃ分からない💦💦 経典を読むのは仏道修行の基本だが、サダーパリブータは満たしていない。しかし人間を尊重する行為は貫いた。経典は読まないが振る舞いが「法華経」にかなっていた。仏教徒ではなくて人間を尊重。伊集院光氏:漁師が海を敬って転機が分かる的な? うーん。メモ取ってる時は分かってる気がしたんだけどな~😣

 

ここでゲスト登場! 「等伯」で第148回直木賞を受賞した作家の安部龍太郎氏。安部氏によると、法華経が分からないと長谷川等伯(Wikipedia)は分からないとのこと。等伯は絵仏師として仏を描いて納めていたそうで、背景には法華経の精神があるのだそう。今回、講師の植木先生から一番影響を受けたのは「等伯」の中で、等伯が松林図屏風を描く場面だったとのこと。

 

覚りに至る心境とは"等覚一転名字妙覚(トウカクイッテンミョウジミョウカク)"=究極の覚り。等覚≠妙覚。名字即=スタート:覚りのことばを知る。妙覚に向かって行くが、ある一転で等覚となり、それが妙覚でもある。究極の覚りは自分の足元にある。

 

これ、グラフのような図を用いて説明されていたので、見ている時は分かりやすかったのだけど、言葉にするの難しいな~💦 図形描いて入れ込もうかと思ったけどめんどくさい😅

 

長谷川等伯50代。才能を発揮し後継ぎとして期待していた息子の久蔵(Wikipedia)を事故で亡くしてしまう。この久蔵の死は狩野派の陰謀説もあり、豊臣秀吉に直訴して激怒されてしまったらしい。秀吉は切腹を申し付けたそうだけれど、龍山公近衛前久(Wikipedia)が今後傑作を生むかもしれない絵師を殺してしまうのは惜しいととりなし免れる。等伯としては傑作を生みださなければならない状況に追い込まれたわけで、寺に篭もって描き始める。法華経が聴こえてきて知見を磨いた。曼荼羅=自分。雪山と松林=諸仏と庶民。雪山=釈迦如来と多宝如来。故郷である石川県七尾を思わせる。近衛前久"等覚一転名字妙覚"やなと言う。

 

安部氏:曼荼羅に近いと思う。自分の内側にある「法華経」が故郷を描きたい=菩薩行。"描かないで表現"等伯は減少の背景にある本質を見ていた。描かないで表現。

 

第20章:如来神力品 如来の神力の顕現。釈尊から初めて「法華経」の布教が託される。「地涌の菩薩」に付属がなされる。付属=布教の使命を与えること。経典の終わり。エピローグの始まり。第21章~第26章は後世に付けられた章。第20章は聖地信仰への反省。法華経が説かれる場所ならばどこでもいい。

 

第27章:嘱累品(ゾクルイボン) 地涌の菩薩以外にも付属される。分身の諸仏・多宝如来/宝塔・地涌の菩薩は元いた場所に去る。虚空から釈尊戻る。人々が歓喜してフィナーレ。

 

今読む意味とは? 譬喩に満ちて楽しい。安部氏:「人間はありのままで尊い」を発見して。原始仏教の平等思想すらも釈尊の滅後に権威主義・形式主義に変化。人類の歴史も改竄されることがある。本来の姿を忘れてなはならないと「法華経」は教えてくれる。智慧。伊集院光氏:お互いが納得できる譲り合える世界作れる。

 

と、前回から時間がずいぶん空いてしまったこともあり、なんだか理解しかけたものが混迷してしまった気もする💦 でも、法華経が壮大なクライマックスを迎えることが分かったし、長谷川等伯と法華経の関係も興味深かった。安部龍太郎さんの「等伯」読んでみたい。


100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50

100分de名著


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする