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【tv】100分de名著「夏目漱石SP 道草」

2019-03-28 23:32:20 | tv

【tv】100分de名著「夏目漱石SP 道草」

「道草」とお腹の具合

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。3月は夏目漱石(Wikipedia)スペシャルということで、1回につき1冊を読み解く変則的な構成。第3回目は「道草」(Wikipedia)で、講師は東京大学教授で英文学者の阿部公彦氏。第1回はコチラ、第2回はコチラ

 

「道草」は自伝的小説。「道草」=胃弱小説。作品が胃弱のようにできている。いつまでも治らない。昔のことが今に影響を及ぼす。

 

主人公健三はある小雨の降る日に、彼が20歳の頃に縁を切った男性と出会う。気づいて知らぬ顔で通り過ぎようとするが、チラリと見ると向こうもこちらを見ている。これだけでは済まないだろうと健三は考える。

 

嫌悪感や恐怖感であれば逃げればよいが、嫌だけど逃げられない。この男性は元養父。主人公健三は養子に出されていた。健三は漱石の分身。漱石は1歳で養子に出され、養父母の離婚により9歳で夏目家に戻った。自伝的な作品で嫌な部分を書いた。「嫌なこと」を書く理由は?

 

伊集院光氏:書きたくない以前に思い出したくないのでは?

 

嫌なことを書いている小説は多い。嫌な部分を吐き出すと心が落ち着く。

 

伊集院光氏:作品化することでおさまりがつく。読み手も救われる。

 

「嫌な話」を読むことで救いを得る人がいる。漱石の中の蓄積した「嫌なもの」に「元養父」という「形」が与えられて表現できた。

 

うーん💦 夏目漱石の生い立ちが辛いものだったとは知らなった。タイトルは忘れたけれど松本清張も自身を援助してくれなかった親戚のことを書いた小説があったし、自分の中に蓄積されたものを吐き出すというのはあるのかもしれない。自分の中に全く無いものを書ける人もいるかもしれないけれど、やはりどこかで自分を投影するんじゃないだろうか。とはいえ、嫌なものを読むのはイヤだなぁ😅

 

漱石は21歳で夏目家に復籍。夏目家の事情が変わった。兄が亡くなったため、仕方なく家に引き取った漱石を、今度は積極的に夏目家に戻した。養父母としては漱石を大切にすることで将来面倒を見てもらおうと思っていた。自分たちの投資はどうなる? お金がらみのもめごと。人身売買的。このいざこざが漱石の世界を形成し、いつまでも尾を引く形で影響を及ぼす。現実社会は慢性病のようにいつまでも過去がつきまとう。その感覚を培った。

 

うーん💦 確かにこれは酷い。昔は子供が多かったり、貧しかったりで現代の感覚では人身売買的なことも平気で行われていたのかな。社会通念が今とは違うから親たちに悪気はないのかもしれないけれど、当人にとってはたまらない。

 

健三に対して養父母は金の面に対して寛大だった。しかし島田夫妻は健三に対して不安があり、父母は誰かと度々建三に尋ね、健三は彼らが喜ぶ答えを強いられた。

 

伊集院光氏:見事な嫌な感じ。養父のお前の父は誰かという問いは、生さぬ仲の良い関係にも書けるが、とても嫌な感じのするものになっている。

 

読み手としては嫌なものを感じつつ、健三がそう解釈していることにも気づく。良いシーンにも書ける場面を、島田夫妻に関係なく嫌な感じのものとして受けてしまう感受性が健三の中にできてしまっている。

 

養父母としては健三を引き取ったのは将来面倒を見てもらおうと思ったからで、そこの見返りを求めるのはどうかという部分は置いておいても、そういう思考になるのは仕方がないかなとは思う。だからお金の面については寛大だったのでしょう。それでも不安になって健三に本当の父親は誰かと聞いてしまう心理も理解はできる。でも、される側にしてみたら脅迫だよね😣

 

ある日、健三は風邪で寝込む。高い熱が出て何日も苦しみ、その間の記憶がほとんどないほど重症だった。正気にかえり枕もとの妻を見て、妻の世話になったと思ったけれど、何も言わず顔をそむけてしまったので、妻には彼の気持ちが全く伝わらず妻は気を悪くした。

 

伊集院光氏:妻の気持ちは分かる。ありがとうと何故言えない?

 

漱石は理知的に見えるが、意外に妻との関係は幼児的だった。健三には漱石自身がかなり反映している。

 

伊集院光氏:少ししか切り出していないので、微笑ましい場面なのか、そうではないのかが分からない。ありがとうと言えずにギクシャクするが翌日から普通どおりになり、長年添い遂げる夫婦関係がそんなに悪いものとは思えない。どちらに書かれているのだろう?

 

いつも自分をかまってくれてありがとうと言うのも白々しいこともある。赤裸々に見える場合が良いこともあるが、漱石はそうではない。

 

伊集院光氏:漱石の中にはそうした方が良いという感覚があるのに言えない漱石がカワイイ。

 

言葉と行動のズレ。今やろうと思ったのにというアレ。頭で分かっていても行動できない。カワイイと同時に面倒。

 

うーん💦  当時は今よりもっと男尊女卑というか、亭主関白的な考えが強かったと思うので、妻が夫の面倒を見るのは当たり前という考え方もあったと思うけれど、その中で健三=漱石が妻にありがとうと言おうと思い、結果それが言えなかったことで妻の機嫌をそこねているということに気づけているのは、やっぱり漱石が人の気持ちに繊細であるからだと思うし、それは生来の感受性もあるだろうけれど、養父母の顔色をうかがって生きてきたという部分もあるのかなと思う。

 

伊集院光氏:漱石と奥様の関係が気になる。

 

鏡子夫人悪妻伝説。朝寝坊で朝ご飯を作らない。お嬢様育ちで漱石をかまわないなど。逆に包容力のある人で、この人だから漱石が自由に出来たのではないかと思える。

 

伊集院光氏:人によって価値観が違う。悪妻にもなる。

 

漱石は過剰に理屈っぽく、言葉が先に出る人。妻は理屈を超えた直感があったり堂々とした逞しさがある。

 

伊集院光氏:理屈っぽいどうしは合わない。生活は理屈で割り切れない。漱石は理屈っぽ過ぎて病まで行ってしまう。そこをちゃんとやり過ごせる才能がある。

 

安部みちこアナウンサー:鏡夫人は立派。分かっているなら言えばいい。

 

まぁ極論すると安部アナウンサーの言葉になるのだけど、そこが言えないからまた病んじゃうわけで😅 ただ、もし漱石や世の男性たちが、健三と同じ状況にあった場合は、普段言えない感謝を伝える絶好の機会だし、そこで一言言えたら奥さんはきっともっと優しくしてくれるハズ。女性ってたった一言で頑張れるものだから。とはいえ確信犯的にするとバレると思うけど😅

 

健三は元養父の島田から金の無心をされるようになる。最初は少しずつ与えていたが、島田の要求はエスカレートする。お金がなくて年を越せないという島田に、100円を支払う代わりに一切の関係を断つという書面を書かせる。これは漱石の実体験。妻があの人だけは片付いて良かったと言うと、片付いたのは上辺だけだと健三は言う。


実際の書面

(撮影失敗💦)

 

伊集院光氏:ぞっとする終わり方。妻の"あの人だけは"というのも引っかかるし、健三がそうだと言わないのも気になる。

 

島田と縁を切ったのにそれでも終わらないという感覚が漱石の現実感。深いもの。自分の存在の土台を感じる感覚。生きていること自体がいろんなことが片付かない。自分自身ともある種の人間関係がある。健三は自分自身とどう付き合うかで苦労している。それが決して片付かないという感覚が紛れ込んでいる。

 

伊集院光氏:健三からすると法律上、理屈で言えば片付いていても嫌な予感や、被害妄想、過剰な分析力からすると全然片付いていないとなってしまう。島田が死んだら化けて出るんじゃないかという妄想も含めて、自分の良心の呵責などが終わらない。

 

良心の呵責は大事。漱石特有の妙な罪悪感が常にある。もやもやしているのは自分に何か咎があるという意識がある。相手のせいなら怒りをぶつけられるが、自分相手にそれはできない。自分の足元が切り崩される感覚。

 

確かに法律的には片付いて、この後島田が金の無心をしてきても、断ることが出来る形はできた。でも、それで島田と完全に縁が切れたという感覚が健三=漱石の中でないのでしょう。それは、実質的な部分もあるし、健三=漱石の心の持ちようの部分でもあるのかなと思う。これは本当に嫌な感覚だし、特に後者の方は根深く残るよね😢

 

伊集院光氏:漱石は新しい現代小説をやってみたくて「吾輩は猫である」や「三四郎」でやってみたが、結果晩年にこうなる。スッキリした伏線やロジックで組み立てられた現代小説ではない。

 

無定形なものを表現しえたのがスゴイ。無定形なものに表現を与えるのは難しい。形を与えるのはできるが、無定形なものを無定形なまま出すのは大変。

 

「夢十夜」でも"嫌なもの"を表していたと思うけれど、それでもそれは夢という形で語られていたから、読み手としてはその"嫌なもの"を客観的に見て楽しむこともできるけれど、今作は"嫌なもの"の逃げ道がなくて読むのは辛そうだな😅 特に漱石の実体験がベースになっていると知ってから読むのは重過ぎるかも。

 

さて、次回はいよいよ最後の作品。未完の作品らしいので、どんな解説になるのかな? 録画してあるので、近々見てまた記事書くとする😌

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

 

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【tv】ぶらぶら美術博物館「奇想の系譜展」

2019-03-28 00:27:07 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「奇想の系譜展」



開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」近々見に行こうと思っていたので、録画して鑑賞。見どころをメモしたので記事に残しておく😌

 

1970年に刊行された辻惟雄著『奇想の系譜』をもとに、東大教授として赴任した最初の教え子である山下裕二明治学院大学教授(Wikipedia)が中心となって企画した展覧会。山下先生によりますと、辻先生(Wikipedia)への恩返しということなのだそう。ちなみに"奇想"というのは、変な絵ということではなく、中国語の優れたものという意味から来ているのだそう。今回の解説は山下先生によるもの。


『奇想の系譜』は2019年2月4日にカラー版が発売された。これ欲しいけど5,400円😣💦 『奇想の系譜』に登場するのは、岩佐又兵衛(Wikipedia)、狩野山雪(Wikipedia)、伊藤若冲(Wikipedia)、蘇我蕭白(Wikipedia)、長沢蘆雪(Wikipedia)、歌川国芳(Wikipedia)の6人だけど、ここに白隠慧鶴(Wikipedia)と鈴木其一(Wikipedia)を加えた8人を紹介する形。いずれも『奇想の系譜』が出版されるまでは忘れ去られていた絵師たち。

 

1.伊藤若冲

 

現在の若冲ブームのきっかけとなったのは、2000年京都国立博物館で開催された「没後200年 若冲展」だった。この時も人気であったが来場者は9万人。2016年に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」はなんと45万人! まさに21世紀にブレイクした絵師。とはいえ生前は人気のあった絵師でもある。明治時代以降、江戸時代以前の絵画が良いとされた。平安・室町・桃山時代の作品より一段階下とみなされた。江戸時代の作品は琳派と狩野派くらいしか評価されなかった。

 

 伊藤若冲「象と鯨図屏風」

 

「象と鯨図屏風」と「鶏図押絵貼屏風」は82歳頃の作品。「象と鯨図屏風」は『奇想の系譜』が出版された後、若冲作品ではないかと持ち込まれた。「鶏図押絵貼屏風」は今展準備中発見された作品!

 

「象と鯨図屏風」象と鯨というのは陸と海の巨大生物を対比させたということなのかな? 山田五郎氏によると、ライアル・ワトソン著「エレファントム」によると、象と鯨はコミュニケーションが取れるそうなので、この構図にも意味があるかも? 

 

伊藤若冲「鶏図押絵貼屏風」

 

「鶏図押絵貼屏風」 若冲といえばの鶏シリーズ。生前は円山応挙の次ぐらいに人気があった若冲だが、1788年天明の大火で大打撃を受けた。お金のために絵をたくさん描いたのではないか。若い頃は鶏をじっくり観察し、細密に描いていたけれど、晩年にはサラサラと描けていたと思われる。

 

 

伊藤若冲「旭日鳳凰図」

 

「旭日鳳凰図」は40歳頃の作品。この2年前に描いた「動植綵絵」より一回り大きい。若冲は40歳で技術を確立。良い画材を買えるようになったことも重要。空想上のイメージをリアルに描くのが若冲の特徴。リアルを突き詰めてリアルの先に行く。残念ながら「旭日鳳凰図」は展示終了😢 現在は「白梅錦鶏図」が展示されているとのこと。「旭日鳳凰図」は見たことあって、たしか「白梅錦鶏図」は見たことないからいいか😌

 

2.蘇我蕭白(醒めたグロテスク)

 

 

蘇我蕭白「雪山童子図」

 

「雪山童子図」お釈迦様の前世を描いた「本生譚」(Wikipedia)を元に描かれた作品。ヒマラヤの雪山で前世の釈迦が修行していると、鬼が現れて悟りの言葉をつぶやき始める。前世の釈迦が続きを求めると、ならば自分の体を差し出せと言われ、前世の釈迦は木から飛び降りようとしている。結果、この鬼は帝釈天の化身であったということらしい。赤と青の色の感覚がスゴイ。サイケデリックである。『奇想の系譜』が出版された1970年頃はサイケデリックが流行った時代で、時代とマッチしたのではないか。横尾忠則氏は蘇我蕭白のファンである。

 

蕭白がこの絵を描いた当時、じわじわと京都で人気になっており、同時代に贋作も数多く描かれた。京都では"狂"が尊いという陽明学(Wikipedia)左派の考えが流行したことも影響したのではないか。

 

蘇我蕭白「富士・三保松原図屏風」

 

「富士・三保松原図屏風」富士山と三保松原というのは定番の画題。ただし虹を掛けてしまうのは蕭白のみ。当時、虹は不吉なものと考えられていた。松原の後ろの雲のようなものも髑髏に見える。落款も適当な名前で入れている。当時、絵師たちは比較的近くに住んでいたが、若冲との直接のつながりは不明。当時は円山応挙の存在が大きく、応挙が完璧なスタイルを貫き、他の絵師はそれとは違う画風を模索した。"図柄が欲しければ応挙のところに行け、本物の絵が欲しければ俺のところに来い"と言ったというのが有名だが、これは逆に応挙を意識していたのではないか。この「富士・三保松原図屏風」は残念ながら展示終了😢 現在は「群仙図屏風」が展示されているとのこと。

 

3.長沢蘆雪(円山応挙の弟子)

 

長沢蘆雪 「白象黒牛図屏風」

 

「白象黒牛図屏風」白象には黒い鳥、黒牛には白い犬を配してコントラストを表している。若冲の「象と鯨図屏風」に似ている。制作時期もほぼ同じなので、どちらかが影響を与えたのではないか? 犬は円山応挙のスタイル。蘆雪は応挙の代作もしており、応挙スタイルを踏襲したが、師匠の眼の届かないところでは大暴れしている😀 

 

長沢蘆雪「方寸五百羅漢図」

 

「方寸五百羅漢図」一寸=3cm四方の作品。五百羅漢の他に象や虎も描かれている。2010年に辻先生が発見した。

 

 長沢蘆雪「なめくじ図」

 

「なめくじ図」なめくじが這った跡の線を先に描き、後からなめくじを描いたのではないか? ライブ的な。蘆雪はエンターテイナー。人々にウケたいという欲求。

 

長沢蘆雪 「群猿図襖」

 

「群猿図襖」兵庫県の大乗寺の襖絵。応挙と弟子たちが分担。今作は2階の襖。応挙との共作なのでふざけていない。実力を発揮している。一方で流派に属さない絵師への憧れも抱いていたのではないか。

 

4.岩佐又兵衛

 

山下先生によると、今回の企画展のテーマとして岩佐又兵衛のすごさを思い知らせるということがあるのだそう。岩佐又兵衛は荒木村重(Wikipedia)の息子で、父親が織田信長(Wikipedia)に謀反を起こしたため、その妻子が処刑された。その際、又兵衛の母親も殺されている。

 

岩佐又兵衛「山中常盤物語絵巻 第四巻」 

 

「山中常盤物語絵巻 第四巻」 「山中常盤物語絵巻」は全12巻で約150mに及ぶ。岩佐又兵衛は絵巻物を多く描き、それらの総延長は1kmを超える。展示しきれないためなかなか評価されない。「山中常盤物語絵巻」は牛若丸伝説を描く。常盤御前(Wikipedia)が源義経(Wikipedia)を追いかけ、途中の宿で盗賊に襲われる場面が今作。2歳で記憶にはないが、自分を救った乳母などから母親が殺されたことを聞いていたのではないか。枝ぶりが場面ごとに変わっており、BGM的な役割を果たす。映画監督的な視点。これ見たい! でも、既に展示終了😫 現在は「山中常盤物語絵巻 第五巻」が展示されているとのこと。これは常盤が埋葬されるシーンを描いているらしい。

 

 

岩佐又兵衛「妖怪退治図屏風」

 

「妖怪退治図屏風」は新発見! 妖怪と武者が戦う。元のストーリーが何に基づいているのかが分かっていないとのこと。今作は伝岩佐又兵衛作ということなので、岩佐又兵衛の作品と断定されているわけではないけれど、又兵衛は工房を組織していたそうで、これはおそらく又兵衛工房の作品ではないかとのこと。

 

岩佐又兵衛は画風のレパートリーが広く、漢画から大和絵まで描くオールマイティーである。何故、人気がでなかったのかといえば、学者は流派として語りがちであることも一つの要因。又兵衛含め奇想の画家たちは独学なので語られないことが多い。

 

5.狩野山雪(狩野永徳の弟子である狩野山楽の弟子)

 

狩野派は狩野永徳(Wikipedia) ー 狩野孝信(Wikipedia) ー 狩野探幽(Wikipedia)の流れを主流としているが、この探幽が江戸に出てしまったため本家が江戸になってしまった。永徳の弟子である狩野山楽(Wikipedia) ー 狩野山雪は京都に残り京狩野(Wikipedia)と呼ばれるが、ある意味貧乏くじを引いた形になってしまう。徳川方についた方が権威があるため。

 

 

狩野山雪 「梅花遊禽図襖」

 

「梅花遊禽図襖」 幾何学的な構図にこだわり。春と秋が混ざるなどバーチャルを作り出す。狩野派きっての知性派だと思われる。

 

狩野山雪「武家相撲絵巻」

 

「武家相撲絵巻」 日本相撲協会が所有している。皇位継承争いがあった時に相撲で決着をつけたという逸話に基づく。

 

6.白隠慧鶴(禅宗の僧侶)

 

 

白隠慧鶴「達磨図」

 

「達磨図」 超有名な作品。83歳頃の最晩年に描かれた。本格的に描き始めたのは60歳から。下描きとズレている。『奇想の系譜』には載っていないが、白隠は起爆剤となったのではないかと考えて辻先生と相談して白隠も加えた。

 

白隠慧鶴「乞食大燈図」

 

「乞食大燈図」 大燈国師(Wikipedia)を描く。大徳寺を開山した僧侶。顔が「達磨図」と同じ顔。顔は基本同じ。おそらく白隠自身を描いているのでは? 自画像とも言える。

 

白隠慧鶴「蛤蜊観音図」

 

「蛤蜊観音図」 蛤から出て来た。実際にいる観音様。観音は33の姿に変化するが蛤蜊身は含まれない。中国の民間信仰はら取り入れたのではないか。オリジナルの画題。周りの人々が頭に海産物を乗せている。脱力感。素人のすごさ感じる。教えを伝えるために描く。現存1万点。民衆のために描いた。この観音様カワイイ😍

 

7.鈴木其一(琳派の奇才)

 

江戸琳派。山下先生によると、俵屋宗達(Wikipedia)=ナタ、尾形光琳(Wikipedia)=包丁、酒井抱一(Wikipedia)=カミソリ、鈴木其一=手術用メスという切れ味。

 

鈴木其一「夏秋渓流図屏風」

 

「夏秋渓流図屏風」バーチャル的。色がスゴイ! 高い顔料を使用。左隻が秋で右隻が夏。コンピューターグラフィックを感じる。こちらも残念ながら展示終了😢 でも、これは見たことあるのでOK。

 

鈴木其一「百鳥百獣図」

 

「百鳥百獣図」アメリカから里帰り。琳派らしくない作品。若冲の影響があるのではないか? 師匠の酒井抱一の作品にも若冲の影響がみられる。鳥と獣と2枚の軸。2枚とも上の方には想像上の鳥や動物いわゆる霊獣を描き、下の方には現実の動物を描いている。動物のヒエラルキー。鶏やガチョウは若冲の「動植綵絵」に似ている。色彩酔いしてしまう。

 

琳派作品の値段としては、俵屋宗達>尾形光琳>酒井抱一>鈴木其一となるため、其一の作品は多くがアメリカに渡ってしまった。実は琳派の中で一番好きなのは鈴木其一。なのでアメリカに渡っちゃってるの悲しい😢

 

8.歌川国芳(幕末の浮世絵師)

 

歌川国芳 「相馬の古内裏」

 

「相馬の古内裏」 超有名作品。3枚つづりでワイドスクリーン。12歳で歌川豊国に弟子入り。退廃的でポップ。タトゥーの柄などで若者に人気となっていると語っていたような気がする。

 

歌川国芳「火消千組の図」

 

「火消千組の図」肉筆! 箱崎辺りを担当していた町火消の千組が成田山新勝寺に奉納。火事場に向かう様子を描く。みなタトゥーだらけ。実在の人物も描かれているのでは? 当時火消はヒーローだった。火事と喧嘩は江戸の華と言われ、国芳も好きだったのではないか? 一方で大変な猫好きで、懐にはいつも猫をいれていたらしい。ヤダ国芳素敵😍

 

 まとめ

 

50年前の本で美術の見方が変わった。常にスゴイものを見つける目を持つことが大切。専門家でなければ発掘できないということはない。自分の目で見て好きなものを見つけることが大切。

 

たしかにそうだと思う。でも自分に自信がないから、専門家の裏付けって欲しくなったりするよね。まぁ、専門家ではないから本当の意味での美術品の発掘は無理なんだけど、そういうことではなくて、こうして提示された作品を見て、その中で自分が好きだと思うものを見つけていくことも、芸術を埋もれさせないことの一つの方法であるということなのかなと思った😌

 

うーん💦 「山中常盤物語絵巻 第四巻」の展示が終わってしまったのが残念過ぎる😫 でも、若冲の新発見と、其一の里帰りが見れるから近々見に行こう! 金曜日に行こうと思っている😌 


ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 21:00~22:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト

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