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Mao Asada - Spin the World Around - 浅田真央

2014-03-14 00:25:01 | 【動画】MaoAsada
Mao Asada - Spin the World Around - 浅田真央



浅田真央選手のファンの方が作成された動画!
これスゴイ!!

浅田真央選手の3Aを紹介した作品なのだけど、
宇宙的な画と合わさってホントに感動的!

某選手を持ち上げたいために、
どうあっても3Aを難しいことではない、
もしくは、3Aの完成度が低いってことにしたいみたいだけど、
絶対にそんなことはない!!

女子が3Aを跳ぶことがどんなに難しいかは、
他の選手が「跳ばない」のじゃなくて「跳べない」ことで証明済み!

4回転を跳ぶ男子ですら失敗する高難度ジャンプ!
あのパトリック・チャン選手も3Aを苦手としている!

これは本当にもっともっと称えられるべき偉業なのです!

もう、語り始めると長いのでここまでにしておきますけど、
動画の最後にバンクーバーオリンピックEX時に、
浅田真央選手を紹介した言葉が全てを物語っているのです!!

The Queen of Triple Axel!

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Miss Saigon - 2014 London Cast Announcement

2014-03-13 00:13:54 | 【動画】musical
Miss Saigon - 2014 London Cast Announcement



今年Londonで開幕予定の「Miss Saigon」!
そのキャスト紹介動画なのかな?

「Les Miserables」のスタッフが、
「蝶々夫人」をベトナム戦争時のサイゴンに置き換え、製作した大型ミュージカル!

今年7月から帝国劇場公演もあり!
これは絶対見に行く予定! 楽しみゎくo(。・ω・。)oゎく

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【cinema】『ランナウェイ・ブルース』(試写会)

2014-03-12 01:07:42 | cinema
'14.02.24 『ランナウェイ・ブルーズ』(試写会)@シネマート六本木

cocoで当選! ちょっと重そうだなと思いつつ、エミール・ハーシュとスティーブン・ドーフが兄弟を演じるということで、楽しみに行って来たー

ネタバレありです!

「身寄りのないフランクと、障害者の兄ジェリー・リーは身を寄せ合うように生きていた。ある日、ジェリー・リーが事故を起こしたことにより、兄弟の運命は最悪の方向へと・・・」という話。あらすじ短いな(笑) まぁ、でもネタバレしないように書こうとしたら、これだけになってしまう。想像していたとおり、重いテーマだったけれど、淡々とした語り口で語られるので、ズッシリ重すぎてドンヨリしてしまうことはない。その辺りは狙って作っているのかなと思うけれど、ちょっと淡々とし過ぎていたような気も・・・ つまらなかったわけではないのだけど、寝不足が続いていたので、ちょっとウトウトしてしまう場面もあった(o´ェ`o)ゞ

2012年ローマ国際映画祭観客賞、最優秀脚本賞、最優秀編集賞、オンライン批評家賞を受賞。ウィリー・ヴラウティンの原作を、アラン・ポルスキー&ガブリエル・ポルスキー兄弟が映画化。ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『バッド・ルーテナント』のプロデューサーとして知られる2人は、これが監督デビュー作。脚本のノア・ハープスター&ミカ・フィッツァーマン ブルーも初長編デビューというフレッシュな顔ぶれ。作品の題材的にフレッシュ感のあるものではないけれど、主人公たちと一緒に悩んでいるような語り口だったかもしれない。マイク・スミスのアニメーションも重要な役割をしていて、その使い方がちょっとぎこちない感じなのも良かった。

冒頭、フランクが壁に貼られたイラストを眺めているところから始まる。カメラがイラストによるとアニメとなって動き始める。そこにフランクのナレーションが入ってくる。僕と兄さんは第二次世界大戦中パイロットだったと・・・ え?!そういう話しだっけ?と思っていると、内容はアニメ的なというか、現実的ではない感じになってくる。なるほど、これはフランクが創作した話なのだと分かる。その都度、内容は変わるけれど、時々唐突に差し込まれるこのアニメは、後に兄弟にとって大切なものであったことが分かる。それがちょっと切ない・・・

アニメに気をとられていると、安モーテルの一室で眠る男性の姿。夜中。部屋に帰ってくる男性。呼吸が荒い・・・ 寝ている男性を起こそうとしている。寝ていたのはフランク、帰ってきたのは兄のジェリー・リー。取り乱している様子。何があったのか尋ねるも、要領を得ない。手には血がついている・・・ 逃げようというジェリー・リー。どうやら、彼女とケンカしたジェリー・リーは大雪の中車を運転し、飛び出してきた少年を避けきれず、事故を起こしてしまったらしい。慌てて車を降り駆け寄るも、少年は既に亡くなっていた。病院の前に少年の遺体を置き、逃げて帰ってきたと告白する。だから、2人で逃げようと言うのだった。普通に考えたら自首を勧めるべきところだけど、何故か一緒に逃げてしまうフランク。この行動を不思議に思うのだけど、後にフランクがジェリー・リーを見捨てられない理由が分かり切なくなる・・・

2人の父親が亡くなったのか、離婚して出て行ってしまったのか忘れてしまったけれど、母親が病気になった時、父親は居なかった。余命宣告を受けた母親は、親戚の元に引き取られるであろう兄弟を憂い、何があっても2人離れずに一緒にいるようにと告げる。その、言いつけを守るように、2人は列車に飛び乗り逃げ出そうとする。先に列車に乗ったのはフランク、遅れた兄の手を離してしまったために、ジェリー・リーは片足を失うことになってしまった・・・ それ以来、フランクは兄の面倒を見てきた。14歳の頃から中古車ディーラーのアールの元で働いてきたフランク。2人はお互い負い目がある。お互いを愛しながらも、負い目がある2人の姿が切ない・・・

事故を起こした車で逃げる2人。途中の町でフランクに使いを頼み、そのまま走り去ってしまうジェリー・リー。1人雪原で車を燃やし、川辺のベンチで自殺を試みる。結局、勇気が出ず自分の脚を打ち抜いたジェリー・リーは病院に運ばれる。駆けつけるフランク。迷惑ばかりかけるジェリー・リーにもイライラするけれど、何とか2人で逃げようと画策するフランクの態度も解せない。幸せになれるとは思えない。でも、フランクは逃走資金を得るため、父親のウィンチェスター銃を友人の父親が経営する銃器店に持ち込む。自分の店では400ドルまでしか出せないが、この銃はもっともっと値打ちのあるものだと言われる。即金が欲しいため400ドルで売ってしまうフランク。そこへ、友人が声をかける。

今夜、マイク・タイソン対ジェームズ・ダグラスの試合がある。その、試合に賭けようというのだった。この友人はギャンブル狂いで借金もある。こういう人苦手・・・ ギャンブルだってちゃんと計画的にするならいいけど、大博打ばっかり打って負けてばかりいるタイプ。しかも、友人のお金まで当てにするとか、嫌い・・・(´・д・`)ヤダ フランクは本来真面目なタイプなので、最初はこの誘いを断るけれど、結局賭けに乗ってしまう。ほとんどがマイク・タイソンに賭ける中、400ドルをジェームズ・ダグラスに賭けるフランクたち。これが! なんとジェームズ・ダグラスがKO勝ちしてしまう! 400ドルが9450ドルになる! ずっと暗い内容で、淡々とした語り口の中で、ここの場面と病院からの逃走場面が、唯一楽しくスカッとする場面。

友人に分け前を払い、犠牲者宅のポストにお金を入れる。少年も2人と同じく孤児で、里親を転々としていたらしい。この辺りのことは詳しく語られなかったけれど、激しく雪の降る夜中に、道路に飛び出してきたのだから、もしかしたら里親との間になにか問題があったのかもしれない。虐待とまではいかないまでも・・・ ただ、映画としては里親を転々としていたということしか語られないので、あくまでも自分の想像でしかないし、少年の本当の両親を探したいというジェリー・リーの願いも、雑誌の尋ね人欄に投稿しただけで、その後は何も語られずに終ってしまう。登場する人々がことごとく辛い現実を生きているという感じだったので、この少年もそういう設定だっただけかもしれないけれど、膨らませた割りに結末を語らないなら、このエピソードは特別必要なかったような・・・ 別にいいけど(o´ェ`o)ゞ

フランクは逃走に使う車を手に入れるため、久しぶりに元上司のアールの店を訪ねる。後部座席に横になれるスペースが必要だと言うフランクに、アールは何か感じ取ったのかもしれない。アールが去り行くフランクに掛ける言葉が泣けた。「お前は立派な男だ、自分をクズだと決めつけて道を選ぶんじゃない。負け犬のように振舞うな!胸を張って生きて行け!」 警察に追われ、間一髪逃げ出した車の中で、アールの言葉を思い出し涙を流すフランクの姿には泣けた・・・

ネバダ州リノからエルコを目指す。フランクが以前つきあっていた彼女アニーが暮らす町。母親と2人暮らしだったアニーは、母親に売春を強要されていた。ある夜、アニーの家を訪ねたフランクは、その場面を目撃してしまう。必死で謝るアニーを、彼は受け入れることが出来なかった。フランクとしてもアニーが悪いわけではないのは分かっているのだろうけれど、それを受け入れるには彼は純粋過ぎたのでしょう。もちろん、簡単に受け入れられることではないし、アニーがあの日懇願したとおり、あの家に帰りたくないと言われて、2人で逃げるにはフランクは力不足だったかもしれない。ジェリー・リーもいたし・・・ このアニーのエピソードは女性として辛かった フランクがエルコに来たのは、アニーから手紙を貰っていたからで、彼女がまだ自分を思っていてくれることや、他に頼る人がいないからでもあるけれど、もちろん彼自身がアニーを忘れられないから。お互いにとって辛い出来事だったけれど、それでもお互いが大切ならば、きっと乗り越えていける。2人が寄り添うようにベッドで微笑みあうシーンは好き。

エルコのモーテルでつかの間、穏やかで楽しい時を過ごす兄弟。動けないジェリー・リーを気遣い、自分よりも兄といてあげてというアニーも素敵な子。ジェリー・リーのシャワーを手伝ううちに、全身びしょ濡れになってはしゃぐ2人のシーンは良かった。でも、脚の傷が癒えない兄は次第に衰弱していく。トイレにも1人で行けなくなってしまう。フランクはアルコール依存症になっているようで、ウィスキーを飲んでは血を吐くようになっていた・・・ そんな姿を見て、ジェリー・リーがフランクに言うセリフが泣ける 「1人で抱え込むな。俺じゃなくてもいい。誰かに心を開け。」この言葉に後押しされるフランク。映画が始まってから、ジェリー・リーが一方的にフランクに迷惑をかけているシーンばかり見てきた観客としては、このセリフでジェリー・リーの弟に対する思いを感じることが出来たし、兄らしい姿を見ることが出来た。脚を失ったことで、負い目を感じていたのはフランクだけじゃない。フランクが自分に対して負い目を感じていること、結果、それに甘えてしまっていることの負い目は、実はジェリー・リーの方が苦しかったかもしれない・・・

結局、ジェリー・リーは亡くなってしまう・・・ そして、冒頭の絵を見つめるフランクの後姿。このイラストはジェリー・リーが描いていたもの。フランクは中古車ディーラーのアールから以前「頭の中に隠れ家を作って、つらいことがあったらそこへ行け、兄さんにも夢を話してやれ」と言われたことがある。それ以来、兄弟の間ではフランクが話を作り、ジェリー・リーがイラストを描いてきた。それらが、映画の中ではアニメとなって登場する。社会の底辺で、兄弟2人で生きてきた彼らの、ささやかな楽しみであり、支えであったことを思うと、その"男子"という感じの内容含め、とっても切なくなってくる。

フランクにはアニーがいる。少し希望が持てるラストは個人的には好きだった。ジェリー・リーが亡くなったことで、フランクの重荷が無くなったという見方もできるので、複雑ではあるけれど、大切な人を失って、失意のどん底にいたとしても、それでも人生は続くのだから、生きていくしかない。だったら、少しでも希望が持てた方がいい。立ち直りが早いか遅いかは人それぞれだし、フランクの表情に希望が見えたとしても、それがジェリー・リーの死を喜んでいることにはならないと思う。辛い内容だっただけに、この終りは個人的には好きだった。

キャストは、アールのクリス・クリストファーソンが良かった。グッとくるセリフなど、おいしい役どころだったとも言えるけれど、それを生かしたのは役者の力量だと思うので。アニーのダコタ・ファニングが大人っぽくキレイになっててビックリ! もう、誰も子役とは思わないね! 登場シーンは少ないけれど、辛い過去を持ちながら、前を向いて生きて行こうとしている女性を好演。彼女に救われたのはフランクだけじゃない。儚げな姿がいい。ほぼ、2人芝居というくらい2人のシーンが多かったので、後はフランクのエミール・ハーシュと、ジェリー・リーのスティーブン・ドーフに尽きるという感じ。スティーブン・ドーフは迷惑ばかりかけている兄という損な役どころを繊細に演じていたと思う。兄の方が逆に負い目を感じているという部分まで感じさせた。そして、エミール・ハーシュはこういう繊細な役はピッタリ! 淡々とした語り口だけに、エミール・ハーシュじゃないと辛かったかも? もう、ホントにこういう生い立ちのフランク・フラナガンなのではないかと思ってしまう。見ている間ずっと気になってたんだけど、フランク・フラナガンって、『昼下がりの情事』のゲイリー・クーパーの役名だよね? 何か関係あり?

原題は『MOTEL LIFE』 文字通り2人モーテルに暮らしている。途中、何度かフランクがアパートの部屋に荷物を取りに行っているシーンが出てくるのだけど、何故モーテルに住んでたんだろう? 家賃が払えないから? ジェリー・リーと一緒に暮らしているからかな? イヤ、逃走してからは当然モーテル暮らしなのは分かるけど、冒頭からモーテル暮らしだったので・・・ その辺りの説明がなかったような・・・

雪のシーンから始まって、2人が逃げるシーンは寒々とした画。エルコで2人が穏やかな日々を送り、フランクがアニーと再会してからは、暖かそうな日差しになる。心の変化を表した画がイイ。マイク・スミスのアニメもカッコイイ!

cocoのアンケートでも答えたけれど、『ギルバート・グレイプ』『レインマン』など、兄弟愛を描いた作品好きな方オススメ! エミール・ハーシュ、スティーブン・ドーフ、ダコタ・ファニング好きな方是非!

『ランナウェイ・ブルース』Official site





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【Googleトップページ】3月11日。あの日から3年。

2014-03-11 22:35:17 | Google's logo
Googleトップページがこんなことに!



3月11日。あの日から3年。

リンクをクリックすると・・・


特設サイトに移動・・・ 下にスクロールすると・・・

ストリートビューで震災前・震災直後・現在の姿を見ることができる

震災前


震災直後


現在

まだまだ、復興までの道のりは遠い・・・
小さなことしか出来ないけれど、出来ることをやっていこうと思う!

あの日を忘れない!!



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映画『ドン・ジョン』予告編

2014-03-11 22:20:02 | 【動画】cinema
映画『ドン・ジョン』予告編



3月15日公開ジョゼフ・ゴードン=レヴィット監督主演の映画!

ポルノ大好きとか結構過激な内容っぽいけど、
スカちゃんことスカーレット・ヨハンソン出てるし楽しみ

JGL大好きだから早く見たい!!

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『猫侍』メイキング・インタビュー含む特別映像

2014-03-11 00:33:17 | 【動画】cinema
『猫侍』メイキング・インタビュー含む特別映像



3月1日公開の『猫侍』見てきた!
もう・・・ 玉之丞のかわいさに斑目久太郎とともに萌ぇ━━゜*。(o゜д゜o)。*゜━━!!

ということで、メイキング・インタビュー含む特別映像を発見!

主演の北村一輝が猫好きということで、
8:54からの、撮影の合間に猫に癒されている映像が好きー
抱っこしてて、ついつい頭にチュッってしちゃう感じ分かる!!

ドラマ版はお正月の一挙放送を録画したんだけど、
リビングで録っちゃったのでまだ見れてない・・・

映画もゆるい感じで、現代っぽい作りになっているけど、
ちゃんと斑目久太郎が凄腕剣客であることが分かる場面もある。
玉之丞を抱っこしての殺陣とかカッコイイ

眉間のシワと心の声のギャップが笑えた!

そして玉之丞がカワイイ
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【cinema】『フランケンシュタイン』

2014-03-10 02:56:43 | cinema
'14.02.21 「フランケンシュタイン」@TOHOシネマズ六本木ヒルズ

2011年英国ナショナル・シアターで上演された「フランケンシュタイン」 その劇場上映があるということで、チケット事前予約! ベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーが、フランケンシュタイン博士と怪物を交互で演じており、両バージョンを週代わりで上映したのだけど・・・ なんと、先行のジョニー・リー・ミラー怪物×ベネディクト・カンバーバッチ博士版が大雪のため見れず・・・ ということで、ベネディクト・カンバーバッチ怪物×ジョニー・リー・ミラー博士版のみの感想です・・・

ネタバレありです!

「スイスの名家の嫡男ヴィクター・フランケンシュタイン博士は、ドイツ留学中に、ある強い理想に突き動かされ、遺体から新たな生命を作り出す実験に手を出してしまう。自ら生み出した生物のあまりの醜さに恐れをなし、怪物を残してスイスに戻ってしまうフランケンシュタイン博士。彼を求める怪物は・・・」という、あまりにも有名なメアリー・シェリーの小説「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」の舞台化。これは素晴らしかった! 事前のリハーサル風景などの短編上映も含めて、2時間程の舞台だけれど、冒頭から引き込まれて一気に見てしまった。

うーんと・・・ どこから書こうかな? とりあえず、原作について調べたことから書こうかな? というのも、原作は未読で、タイトルと怪物が出てくる話だというザックリとした知識しかなかったから。一応、フランケンシュタインは実は怪物の名前ではないこと、作者はメアリー・シェリーという女性であること、怪物は遺体を集めて作られたことは知っていたけど、それ意外は漠然とした知識。事前に予備知識を入れるべきなのか悩んだのだけど、これ以上の情報は入れずに見ることに決定! ちょっぴり面倒だったこともあり・・・(o´ェ`o)ゞ

毎度のWikipediaと、いくつかのblogなどを参考にさせていただいたところによると、原作は1818年3月11日にメアリー・シェリーが匿名で出版したゴシック小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』。そもそもは、16歳で後に夫となる妻子持ちのパーシー・ビッシュ・シェリーと駆け落ち、友人らと滞在していたバイロンの別荘で、それぞれ怪奇譚を書こうというバイロンの提案により、創作した物語がベースとなっている。当時は、中世趣味による神秘的なゴシック小説が流行っていたため、その形式を用いたらしいとのこと。なるほど・・・ 前述どおり、作者が女性であることは知っていたけど、執筆当時18歳だったそうでビックリ! 執筆には詩人であったパーシーの助言があったそうだけれど、フェミニズムの創始者、あるいは先駆者とも呼ばれるメアリ・ウルストンクラフトを母、無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィンを父として生まれたそうなので、持ち前の想像力と才能があったのかも。

かなり詳細なあらすじも読んだ感じでは、舞台版はほぼ忠実に再現されているように思う。なんとなく、怪物は知能が低く、凶暴であるというイメージがあったけれど、どうやらこれは1931年にユニバーサル・ピクチャーズが製作した映画『フランケンシュタイン(原題Frankenstein)』が以後の怪物の造形イメージに多大な影響を与えているためらしい。私もこの四角い顔に、ネジみたいのがついてるイメージだったし、知能は低いのだと思っていた。原作では、怪物は最初から凶暴だったわけではなく、人々から受け入れられないことに対する悲しみや憤りがそうさせたという描き方らく、数ヶ月で3ヶ国語をマスターするなど、知能は高く設定されているとのこと。本来は優れた人格を持っているのに、醜い姿ゆえ受け入れられず、人間としても認められないというのは、大好きな「オペラ座の怪人」を彷彿とさせるけれど、思えば原作者のガストン・ルルーがあの小説を書いたのも、ゴシック小説ブームの流れであっただろうから、何らかの影響はあったかもしれない・・・

と、話がそれた上に、前置きが長過ぎるわけだけど、やっぱりある程度の知識というか、原作との比較みたいなことは必要かなと・・・ つらつら何が言いたいかといえば、今回の舞台の怪物の設定は、知的とは言えないまでも、決して知能が低いわけではなく、最初から凶暴であったわけでもないので、かなり原作の設定に近いと思われる。ジョニー・リー・ミラー版を見ていないので、この設定がベネディクト・カンバーバッチの役作りによるものなのかは不明だけど、少なくとも脚本や演出からは、知能が低いがゆえに凶暴であるという設定とは思えなかった。だからこそ、怪物が運命を呪い、それでも創造主であるフランケンシュタイン博士の愛情を求め、もがきながらも生きようとする姿が生きてくるので、この設定は大切だと思う! まぁ、1931年版の映画はホラー映画として作られたのだろうから、凶暴で知能が低い設定になったのだと思うけれど・・・


ボリス・カーロフの怪物(『フランケンシュタイン』1931年版)

事前に10~20分くらいのメイキング映像のようなものが入る。ダニー・ボイルや主演の2人のインタビューや、稽古風景など。何故、2人を交代で演じさせたのかという部分については、その方がよりお互いの理解が深まるのではないかというようなことだったと思う。メモとか取ってないから忘れてしまった部分は多い・・・(o´ェ`o)ゞ ジョニー・リー・ミラーとベネディクト・カンバーバッチそれぞれが語る怪物の役作りで印象的だったのは、ジョニー・リー・ミラーは自分の幼い子供達の動きを、ベネディクト・カンバーバッチはリハビリ患者の動きを参考にしたということ。この時点ではよく分かっていなかったのだけど、冒頭から続く10数分で衝撃を受け、なるほどと納得!

さて、いよいよ本題です! まず、セットに驚く。円形の舞台には大きな繭のようなものがぶら下がっている。中に何かがいる。人のような姿・・・ ゆっくりと動く。薄い膜の肌色のようなそれは、まるで子宮のようなイメージ。見たことないけど(笑) 今、まさに産み落とされたように、ドサっと落ちる怪物。頭には大きな傷。つぎはぎだらけ・・・ 体も汚れている・・・ とにかく、怪物は生まれてから必死に起き上がろうとしている。ずっと・・・ その様子を観客は見ている。自由にならない手足。何かと闘っているというよりもそれは、"生きる"という本能のように感じた。本当に圧倒されたように、ただただ立ち上がろうと必死になっている怪物の姿を見つめていた。そして、だからこそ怪物が雨に打たれ、生い茂った草を掴み、生命の歓びのようなものを感じる瞬間、自分も彼と同じように感動してしまった。そう! 生きることは辛いけれど、だからこそ命の輝きは美しい! それは、たとえ醜い外見の怪物であっても・・・

でも、直後怪物は自らが醜く、人に愛されないという現実に直面する。その天国と地獄・・・ そのことを、カンバーバッチは、未だ自由にならない全身を使って表現する。怪物の悲しさ。言葉を知らない怪物は、自分の中に湧き上がった感情が、歓びであったことも、悲しみであることも知らないけれど、その何だか分からない感情が彼を苦しめていることは事実。動物にだって感情はあるけれど、感情に理由付けをしているのは人間だけなのかもしれない。○○だかからうれしい、××だから悲しい・・・ その理由付けがあるから、より思いが強くなり、辛くなる場合もあるけれど、だからこそ人間は様々なものを生み出してきたのではないかと思う。それは、別に芸術的なことだけではなくて・・・

怪物はある盲目の老人と出会う。盲目ゆえに怪物の外見にとらわれず、彼を彼のままに受け入れてくれる老人。人々に疎まれた経験から、最初は警戒していた怪物も老人に心を開いていく。彼により言葉を学ぶ。彼に優しく接してくれた老人の助けになりたいと、薪を拾ってくる怪物。怪物はその誕生の瞬間に、自らの創造主であるフランケンシュタイン博士に拒絶されてしまった。誰も彼に愛情を与えてくれなかったから、愛することを知らなかった。でも、老人と出会い、人の優しさを知ることで、怪物の中にも優しさが芽生える。愛されることにより、もっと愛されたいという思いが芽生え、そして愛する人のために役に立ちたいと考える。そういう感情が怪物を"人間"にしていく。でも、その変化は醜さゆえ気づいてもらえない・・・ 老人の息子夫婦は怪物の姿を見るなり、彼を"化け物"とみなし、恐怖と怒りで、老人が彼を庇う言葉も耳に入らない。悲しみでパニックになった怪物は、彼らの家に火をつけ老人もろとも焼き殺してしまう。怪物が本当に怪物になってしまった瞬間・・・

スイスの実家に戻っていたフランケンシュタイン博士は、恋人エリザベスとの婚礼を控えていた。ある日、幼い弟が何者かに殺される事件が起きる。怪物の仕業だと気づく博士は怪物と対峙する。「生まれたくて生まれてきたわけではないが、生まれたからには生き抜きたい」と言う怪物のセリフが切ない。あの冒頭ののたうちまわっての怪物の生への渇望を見てしまった身としては、切ないという言葉じゃ軽すぎる! 心が痛かった・・・ だって、当然のことだもの。その誕生はタブーだったかもしれない。彼の存在自体が罪かもしれない。でも、自分が望んだわけでもないのに、生み出されてしまった彼を断罪することは出来るのだろうか? たしかに、今では彼は殺人者になってしまったけれど・・・

怪物は博士にある依頼をする。自分に花嫁を作って欲しい。自分と同じ存在が欲しい。彼女を作ってくれたなら、2人でアフリカの奥地に行き、二度と人前に出てくることはないと誓う。怪物に脅される形で、女性を作り始めるフランケンシュタイン博士。作業に熱中し、創造の喜びを感じているのが伝わってくる。そして、その反面恐怖を感じていることも。自らの手で"人間"を造り出すという考えにとりつかれ、生み出したのは"怪物"だった。また1人怪物を生み出してしまうのか・・・ 博士は怪物の目の前で、完成した女性を命を与える前に殺してしまう。女性が完璧な美女だったのがなんとも皮肉。怒りと悲しみで我を忘れる怪物。これねぇ・・・ 前述したとおり、怪物は誕生の瞬間に創造主である博士から拒絶されたわけで、当然博士の愛情を欲していたわけだけど、自分が愛されないことは分かった。だから、姿を消す決心をしたわけだけど、誰からも愛されないのは辛い。だからこそ、愛してくれる存在を求めたわけだけど、その創造を拒否されたことは、彼にとっては自らの存在自体を否定されたってことなんだよね・・・ 彼と同じ存在は作りたくないと思ったわけなんだから・・・ この博士と怪物の葛藤は凄まじい。博士にとっては人道的にも"怪物"を新たに造らないことが正義だけど、創造主として怪物の存在自体を全否定し、それら全ての重荷を怪物だけに負わせてしまうのは、あまりにも酷い。

怪物の怒りは博士の大切なものを奪うという形で現れる。フランケンシュタイン博士の婚礼の夜、新婦エリザベスの寝室に忍び込んだ怪物は、博士の目の前で彼女を陵辱し、そして殺してしまう・・・ エリザベスに罪はないけれど、怪物を憎みきれないのは何故だろう・・・ やはり彼の背負った運命が、あまりにも辛すぎるからかな? そして、博士の身に起こったことは、彼の罪に対して当然の報いだと思ってしまう。もちろん、エリザベスはかわいそうなのだけれど、その彼女へ対しての罪も、博士が責任を負うべきだと感じてしまうのは間違っている? だって、彼には怪物をこの世に生み出した創造主としての責任があるのだから・・・ 姿は醜くても、彼が怪物を人間として愛していたら、怪物は人々には愛されず、たとえアフリカの奥地に隔離されて生きたとしても、幸せな人生を送れたのではないか? 博士の罪は、非人道的な方法で、生命を生み出したことではなく、自らの罪を認めず、その責任を負わなかったことにあるのかも・・・ メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」を執筆していた時、彼女は18歳で息子がおり、妊娠中だったのだそう。しかも、16歳でシェリーと駆け落ちした後、17歳で未熟児で出産した長女を亡くしている。そういう、彼女の"生む性"としての、生み出した生命に対する責任感や恐怖感のようなものが反映しているのかもしれない・・・ 同じく"生む性"である私自身は、母親になったことがないので、本当の気持ちは理解できていないかもしれないけれど、彼女自身の出産時に母親を亡くしているし、出産や子育てに畏れを感じていたのではないかと思った。

物語は、北極の海へ2人で肩を抱き合い去っていくところで終る。そう考えると、この舞台では2人は表裏一体ということなのかな? 怪物の狂気と博士の狂気・・・ 怪物は確かに怒りに狂っていた。博士は自らの考えに執着し、人道を越えてしまったことは、間違いなく狂気を孕んでいる。ただ、ジョニー・リー・ミラーはどちらかというと世間知らずのお坊ちゃまという印象だった。悪いと分かっていても止められないという狂気とも、そもそも何が悪いのだというような、倫理感のない狂気とも違う感じ・・・ 演技上手いので、ダメだと言っているのではなく、自分が求めていた博士の狂気とは違っていた気が・・・ 個人的には、悪いことは分かっているけれど、自分の考えにとりつかれて、それを抑えることが出来ない狂気みたいなものが見たかった。この舞台版ではフランケンシュタイン博士が怪物を生み出すに至るまでは描かれていないので、伝わりにくい部分はあるのだけど、何となくキャラクター的にベネディクト・カンバーバッチの方が、そういうイメージに合っている気がした。ダニー・ボイルは2人が表裏一体であるという演出をしたくて、2人に同役を交互で演じさせたのだと思うので、この大人になりきれていないジョニー・リー・ミラーのフランケンシュタイン博士と、子供の心のままだったベネディクト・カンバーバッチの怪物というのも、もちろんとってもよかったのだけど、逆パターンだと作品がどんな変化をするのか見てみたい!

キャストについては、エリザベス役の女優さんが良かったのだけど、名前が分からない・・・ あと、盲目の老人役の人も! この物語にあって、唯一怪物を受け入れてくれた人。その存在に救われたのは怪物だけじゃない。あとはもう2人に尽きるという感じ! 2012年のオリビエ賞では2人とも主演男優賞を受賞。納得の演技! ホントに素晴らしかった

セットはわりとシンプル。盲目の老人の家、博士の研究室、エリザベスの部屋など、"人間"の居る場所はセットがきちんとあるけれど、怪物が1人でいるところは、ほぼセットはなし。冒頭で怪物が出てくる袋状のものが子宮を感じさせて素晴らしいデザイン! 印象的だったのは、舞台の真ん中に草を生やしたシーン。雨が降り、文字通り怪物が転げ周り、生命を実感する。このシンプルなセットも素晴らしい! キラキラした照明が印象的だったのだけど、最後にアップになってビックリ! すごい数の電球で出来てた! これ好き

とにかく、素晴らしかった! これは生で見てたらすごい迫力だろうなぁ・・・ でも、日本にいながらこんな素晴らしい舞台が見れるというのはうれしい! 今後もロキことトム・ヒドルストンとハドリー・フレイザーの「コリオレイナス」などの上映も決定しているそうなので楽しみ

3月20日のオープンするTOHOシネマズ日本橋での上映が決定! ということで、逆バージョン見る予定!! 見たら追記する!o(`・д・´)o


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【Googleのロゴ】国際女性デー2014

2014-03-07 23:54:33 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



国際女性デー2014!

そういえば、毎年GoogleのロゴUPしてる気がする・・・
もう1年経ったのね・・・ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル

一応、毎度のWikipediaで!

国際女性デー(IWD: 英語 International Women's Day)は、
記念日の一つである。
毎年3月8日。国際婦人デー、国際女性の日などとも呼ばれる。

1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークで、
女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。

これを受けドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが、
1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で
「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」
記念の日とするよう提唱したことから始まった。

日本では1923年3月8日、
社会主義フェミニスト団体赤瀾会が初の集会を開催。

国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を
「国際婦人デー」と定め、
現在は国連事務総長が女性の十全かつ、
平等な社会参加の環境を整備するよう、
加盟国に対し呼びかける日となっている。

とのこと・・・

ちなみに、明日(3月8日)国際女性デー中央大会が、
池袋で開催されるもよう・・・

2014年 国際女性デー中央大会

これ動画になっていて・・・

再生ボタンを押すと・・・


画面が動き・・・


世界中の女性たちが登場する動画が!
(代表で日本人女性を・・・)


twitterやfacebookにも連携!

検索画面のロゴも同じ



ちなみに動画はコチラ ドゥゾ♪(っ'ω')っ))



Happy International Wemen's Day


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【Googleのロゴ】吉田初三郎生誕130周年

2014-03-03 23:41:31 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



吉田初三郎生誕130周年!

すみません・・・ どなたでしょう?
毎度のWikipediaによりますと・・・

吉田 初三郎(よしだ はつさぶろう1884年3月4日- 955年8月16日)は、
大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師。
生涯において3000点以上の鳥瞰図を作成し、「大正広重」と呼ばれた。

10歳で友禅図案師に丁稚奉公する。
25歳のとき鹿子木孟郎に師事して洋画を学ぶが、
鹿子木のすすめで商業美術に転向する。

1914年、最初の鳥瞰図である『京阪電車御案内』が、
修学旅行で京阪電車に乗られた皇太子時代の昭和天皇の賞賛を受ける。

大正から昭和にかけて日本の観光ブームによって、
初三郎の鳥瞰図の人気は高まり、
大正名所図絵社(のち観光社と改称)を設立する。

第二次世界大戦が進む中、
初三郎式鳥瞰図は港湾等の軍事機密が見て取れ、
地政学上好ましくないという軍部の判断の下、不遇の時代を送る。

1999年、堺市博物館で大規模な回顧展が開かれたのを契機として、
各地の博物館で展覧会が開かれ、再評価されるようになった。

なるほど・・・ そういえば・・・

初三郎は「初三郎式絵図」と呼ばれる独自の作風を確立していた。
その特徴は、見えないはずの富士山やハワイが描かれているなど、
大胆なデフォルメや遊び心にある。

って、テレビで見たような・・・ゥ──σ(・´ω・`;)──ン

ちなみに検索画面のロゴも同じ



お誕生日おめでとうございます!


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【Googleのロゴ】ひな祭り

2014-03-03 00:18:39 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



ひな祭り!

もちろん知っているけど、一応毎度のWikipediaで調べてみた!

雛祭り(ひなまつり)は女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事。
ひいなあそびともいう。
ひな人形(「男雛」と「女雛」を中心とする人形)を飾り、
桃の花を飾って、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭り。
雛あられや菱餅を供える。

「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、
その起源説は複数存在している。
平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな
「遊びごと」として行われていた記録が現存している。

江戸時代に女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、
全国に広まり、飾られるようになった。

と、以下は長いので割愛!詳しくはWikipediaで!

検索画面のロゴも同じ



楽しいひな祭りを!


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