マイケル・マン監督の'95年作品『ヒート』をDVDで見ました。同監督の『メイド・イン・LA』のリメークで、今回の刑事役はアル・パチーノ、犯人役はロバート・デ・ニーロでした。ラストも違っていて、今回は空港脇の荒れ地での決闘が最後の対決となり、配役とともにより迫力あるものとなっていました。
さて、金井美恵子さんの'68作品『愛の生活』を読みました。『愛の生活』『エオンタ』『自然の子供』の中編3作が収められている本です。
いきなりですが、『エオンタ』の冒頭の一段落を引用させていただくと、
「もの凄い暑さが夜まで続いて、ベッドのマットレスの奥まで、汗がしみ込んでいそうなくらい、寝苦しい八月の夜の十二時すぎ、Aは眠れずに、体をじっとさせたままベッドに横たわっていた。身体とシーツが触れている部分は、じっとり汗ばんでいる。Aはベッドの真中からまだ汗にしめっていない右側から左側へ、身体を動かそうかどうしようかと、先刻からずっと考えているのだ。考えているというよりは、曖昧な意識の彷徨の内で、覚めかかっている部分がそれを要求しつづける。しかし、彼女は動こうとはしない。じっとしている。身体をほんの少し動かすのも面倒なくらい疲れているのかもしれない。Aは汗に濡れたシーツから身を離し、乾いたシーツに身体を思いきり接触させることを、渇望している。もう、どれくらいじっとしたまま、こうしているだろう? その間に煙草を吸ったし、まだ赤い火の消えていない軽い灰の一ひらが、Aの裸の胸の上に落ちて、あっという間に白い灰になり、Aは熱さの為に、頭と肩だけを、自分で少し大げさと思えるくらい、宙に浮かす。(しかしそれはほとんど数センチメートルにすぎなかったかもしれないが。)次の瞬間に彼女の身体は再び汗を吸い込んだシーツに触れていた。」
結局、『愛の生活』の冒頭9ページを読んだ段階で、先を読むことを断念してしまいました。私が呼ぶところの「純文学」であり、「純文学」を私はとても苦手としているからです。『エオンタ』も、『自然の子供』も、冒頭の部分を読んでみましたが、小さい活字がぎっしりつまっているページに圧倒されるとともに、思念の流れを描いたような文章についていけませんでした。高く評価されている方なので(私が読んだこの本も'74年に発行された第9刷の本でした)、何とも残念です。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、金井美恵子さんの'68作品『愛の生活』を読みました。『愛の生活』『エオンタ』『自然の子供』の中編3作が収められている本です。
いきなりですが、『エオンタ』の冒頭の一段落を引用させていただくと、
「もの凄い暑さが夜まで続いて、ベッドのマットレスの奥まで、汗がしみ込んでいそうなくらい、寝苦しい八月の夜の十二時すぎ、Aは眠れずに、体をじっとさせたままベッドに横たわっていた。身体とシーツが触れている部分は、じっとり汗ばんでいる。Aはベッドの真中からまだ汗にしめっていない右側から左側へ、身体を動かそうかどうしようかと、先刻からずっと考えているのだ。考えているというよりは、曖昧な意識の彷徨の内で、覚めかかっている部分がそれを要求しつづける。しかし、彼女は動こうとはしない。じっとしている。身体をほんの少し動かすのも面倒なくらい疲れているのかもしれない。Aは汗に濡れたシーツから身を離し、乾いたシーツに身体を思いきり接触させることを、渇望している。もう、どれくらいじっとしたまま、こうしているだろう? その間に煙草を吸ったし、まだ赤い火の消えていない軽い灰の一ひらが、Aの裸の胸の上に落ちて、あっという間に白い灰になり、Aは熱さの為に、頭と肩だけを、自分で少し大げさと思えるくらい、宙に浮かす。(しかしそれはほとんど数センチメートルにすぎなかったかもしれないが。)次の瞬間に彼女の身体は再び汗を吸い込んだシーツに触れていた。」
結局、『愛の生活』の冒頭9ページを読んだ段階で、先を読むことを断念してしまいました。私が呼ぶところの「純文学」であり、「純文学」を私はとても苦手としているからです。『エオンタ』も、『自然の子供』も、冒頭の部分を読んでみましたが、小さい活字がぎっしりつまっているページに圧倒されるとともに、思念の流れを描いたような文章についていけませんでした。高く評価されている方なので(私が読んだこの本も'74年に発行された第9刷の本でした)、何とも残念です。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)