昨日、川崎アートシアターへアキ・カウリスマキ監督の『ル・アーヴルの靴みがき』を見に行ってきました。ユーロスペース開設30周年記念公開とあり、ユーロスペースが私が22才の時に始まっていたことを知り、また映画の中では密告者役で、凄い形相となった(というか、生きながらにして見事な映画的存在となった)ジャン=ピエール・レオが出演していて、感動しました。そして、その日の朝日新聞の夕刊には、うらわ美術館での野口久光さんの展覧会がピックアップされていて、『大人は判ってくれない』のポスターでのレオーの大きな姿が! またまた不思議な縁を感じる一日でした。映画の詳細に関しては、のちに報告いたします。
さて、またまた昨日の続きです。
「成」の文字が運ばれていく工場跡地の向こうには高速道路が走っています。工場からは大型の製作機械が運び出されます。トラックで運ばれて行く製作機械。建設されゆく高層ビル。正門には新たに「華潤 二十四城」の文字が掲げられています。工場の敷地売却と、そこへの高層ビル建設をテレビニュースで知らせる男性。成都の新しい都市モデルの説明を女性から受ける、先程の男性。「趙剛 1974年 成都生まれ TVニュースキャスター」の字幕。彼は学校で切符をもらい、初めて汽車に乗り、北京経由で東北地方の工場へ実習に向かった時の話をします。制服姿となり、延々と単純な仕事をしなければならないことに嫌気がさして、工場を飛び出したと語る彼。ヘリコプターの前で彼と彼の父親がこちらを見つめています。
ギターとともに歌われる歌をバックに、懐中電灯を持ち工場内を警備する男性の目の前で、石により窓ガラスが割られます。壁にかけられた白衣のポケットからは、“李雪梅 2003年”と書かれた受験票が発見されます。製作機械がすべて運び出され、廃墟と化した工場。手作業で建物を取り壊す労働者と、工場内に音を響かせて動くショベルカー。カメラの前に並んだ解体作業をする労働者たち。壊されゆく工場の映像。インターナショナルを合唱する年配の女性たちの歌をバックに、工場は爆破され、もうもうと煙が広がっていきます。「我らがかつて行い、考えていたことは、必然的に散ってゆき、次第に淡くなってゆく 石の上にこぼされた牛乳のように イェイツ」の字幕。
口紅を塗る若い女性。「スー・ナー」の字幕。近代的な部屋からキャリーバッグを引きずり外出する彼女。iPodをしたまま、車を運転しながら話す彼女。菜の花畑の中に車を停めて、窓から外を見ている彼女。「スー・ナー 1982年 成都生まれ」の字幕。彼女は廃墟と化した420工場専属の中学校の内部を歩いて回ります。毎日ほっつき歩いていた若い頃の話、富裕層の女性の注文にしたがって香港に買い物をしにいく仕事をしている話、友人からタワーにあるレストランの経営をしてみないかと誘われている話をした後、母がリストラに会った後、臨時工の職人になったこと、退職後の父親は家にこもったままであること、今まで3人の彼氏とワンルームで暮らしてきたこと、ビザを取るため実家に戻った時、工場で重労働をする母の姿を見て、泣きながら逃げ帰って来たこと、そして両親に“二十四城”の部屋を何としても買ってあげたいことを涙ながらに話します。タワーから街を見つめるスー・ナー。「成都」の字幕。「消えゆくものを携えながらも、生涯私が誇りとするには充分なのだ 万夏」の字幕。画面は暗転し、映画は終わります。
ラスト以外は主に哀切なメロディが流れる中、ゆるやかな移動やパン、フェイドインやフェイドアウトが多用され、オーバーラップも使われるなど、独特の落ち着いた雰囲気を作り出していました。主だった登場人物はプロの役者さんが演じていたそうで、ドキュメンタリーだとばかり思って見ていた私は、その迫真性に驚くとともに、深い感動を味わうことができました。ジャ・ジャンクー監督作品は今までに『青い稲妻』『一瞬の夢』『世界』『長江哀歌』『プラットホーム』と見てきましたが、今回の作品が私は一番好きでした。皆さんにもご覧になることを自信を持ってお勧めします。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、またまた昨日の続きです。
「成」の文字が運ばれていく工場跡地の向こうには高速道路が走っています。工場からは大型の製作機械が運び出されます。トラックで運ばれて行く製作機械。建設されゆく高層ビル。正門には新たに「華潤 二十四城」の文字が掲げられています。工場の敷地売却と、そこへの高層ビル建設をテレビニュースで知らせる男性。成都の新しい都市モデルの説明を女性から受ける、先程の男性。「趙剛 1974年 成都生まれ TVニュースキャスター」の字幕。彼は学校で切符をもらい、初めて汽車に乗り、北京経由で東北地方の工場へ実習に向かった時の話をします。制服姿となり、延々と単純な仕事をしなければならないことに嫌気がさして、工場を飛び出したと語る彼。ヘリコプターの前で彼と彼の父親がこちらを見つめています。
ギターとともに歌われる歌をバックに、懐中電灯を持ち工場内を警備する男性の目の前で、石により窓ガラスが割られます。壁にかけられた白衣のポケットからは、“李雪梅 2003年”と書かれた受験票が発見されます。製作機械がすべて運び出され、廃墟と化した工場。手作業で建物を取り壊す労働者と、工場内に音を響かせて動くショベルカー。カメラの前に並んだ解体作業をする労働者たち。壊されゆく工場の映像。インターナショナルを合唱する年配の女性たちの歌をバックに、工場は爆破され、もうもうと煙が広がっていきます。「我らがかつて行い、考えていたことは、必然的に散ってゆき、次第に淡くなってゆく 石の上にこぼされた牛乳のように イェイツ」の字幕。
口紅を塗る若い女性。「スー・ナー」の字幕。近代的な部屋からキャリーバッグを引きずり外出する彼女。iPodをしたまま、車を運転しながら話す彼女。菜の花畑の中に車を停めて、窓から外を見ている彼女。「スー・ナー 1982年 成都生まれ」の字幕。彼女は廃墟と化した420工場専属の中学校の内部を歩いて回ります。毎日ほっつき歩いていた若い頃の話、富裕層の女性の注文にしたがって香港に買い物をしにいく仕事をしている話、友人からタワーにあるレストランの経営をしてみないかと誘われている話をした後、母がリストラに会った後、臨時工の職人になったこと、退職後の父親は家にこもったままであること、今まで3人の彼氏とワンルームで暮らしてきたこと、ビザを取るため実家に戻った時、工場で重労働をする母の姿を見て、泣きながら逃げ帰って来たこと、そして両親に“二十四城”の部屋を何としても買ってあげたいことを涙ながらに話します。タワーから街を見つめるスー・ナー。「成都」の字幕。「消えゆくものを携えながらも、生涯私が誇りとするには充分なのだ 万夏」の字幕。画面は暗転し、映画は終わります。
ラスト以外は主に哀切なメロディが流れる中、ゆるやかな移動やパン、フェイドインやフェイドアウトが多用され、オーバーラップも使われるなど、独特の落ち着いた雰囲気を作り出していました。主だった登場人物はプロの役者さんが演じていたそうで、ドキュメンタリーだとばかり思って見ていた私は、その迫真性に驚くとともに、深い感動を味わうことができました。ジャ・ジャンクー監督作品は今までに『青い稲妻』『一瞬の夢』『世界』『長江哀歌』『プラットホーム』と見てきましたが、今回の作品が私は一番好きでした。皆さんにもご覧になることを自信を持ってお勧めします。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)