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アーサー・ビナードさんの講演会・その2

2012-12-12 07:11:00 | ノンジャンル
 今日は小津安二郎監督の50回忌です。改めてご冥福を申し上げます。

 さて、昨日の続きです。
 ではプルトニウムはどうやって作るのかというと、放射能を出さないウラン238に、中性子を当てて作ります。中性子を当てられたウラン238はその中性子を受け止めてウラン239になりますが、それはすぐにベータ線を2度放出してプルトニウム239になり、ウラン235よりも不安定で、より強力な放射性物質となります。プルトニウムはウラン235の固まりが爆発する時に生産されますが、爆発で拡散してしまい、フェルミはそれがじりじりと生産されるように研究を重ね、1942年12月2日にそれに成功したのでした。
 東京電力が'97年に発行した“未来へのパスポート”と題されたパンフレットは、原子力発電を無条件で賞賛する内容となっていますが、その中に、レントゲンがX線を発見したところから、現在31ヶ国で原子力発電が行われるようになるまでの歴史を、9行で表したページが存在します。そこでは、フェルミによる原子炉での初のプルトニウム抽出を賞賛し、そこから一気に原子力発電へと歴史が飛んでいます。つまり、そこではフェルミのプルトニウムの抽出を賞賛することによって、そのプルトニウムによって作られたプルトニウム型原子爆弾が長崎で行なった虐殺も、これまた無条件で賞賛していることになる訳です。
 そもそも原子炉というのは、プルトニウムを作るための装置、つまり原爆の原料を作るための装置のことを言い、フェルミの時は英語で“Chicago Pile”(Pile は“山”の意)と呼ばれていました。それが'50年代には“Nuclear Reactor”(=“核分裂反応装置”)と改称されるのですが、日本語では“核分裂反応装置”という名称は現在に至るまで一遍も使われたことがありません。日本では、英語で“Nuclear Reactor”と呼ばれるようになる以前に、既に“原子炉”という呼称が使われていて、これは、戦後の復興を象徴していた鉄鋼の生産高からイメージされる“溶鉱炉”の“炉”、そして田舎の風景としての“炉端”の“炉”という字が、市民に親しまれやすいものとして使われた訳です。(ちなみに、核兵器のことを“Nuclear Weapon”と呼ぶのはペンタゴン(ビナードさんによると“ペテンタゴン”なのだそうです)であって、“Atomic Bomb”と呼ぶのは爆弾を落とす側(例えばエノラ・ゲイの乗組員)、使われた側からの呼称というのは“ピカドン”である、とのことでした。)
 原子炉を止めても、冷却水を必要とすることには変わりがないため、逆に電気を食うようになります。したがって、原子炉は止めるのではなく、廃炉にしてしまわなければなりません。
 福井の“もんじゅ”、つまり高速増殖炉は、原理的にはプルトニウムを作り出す点で通常の原子炉(軽水炉)と同じですが、より上質のプルトニウム(しかも固まりの状態)を作ることができます。そこには毎年100億円単位の金が投下され、大量の電気を消費しています。'94年から運転されていますが、現在までにそれが発電のために運転された時間は通算たったの1時間だけです。“もんじゅ”はこれまでの運転によって、既に長崎型のプルトニウム爆弾を何発も作れるだけのプルトニウムを作っているはずで、政府は来年からまた“もんじゅ”の“研究のための”試験運転の再開を宣言しています。
 青森の六ヶ所村にある“核兵器製造施設”とともに、“もんじゅ”は政府が核兵器を作るために必要不可欠な施設であり、したがって逆に、それの運転を止めることができれば、政府の核兵器製造システムにくさびを打てることにもなるのです。
 日本は他の原子力発電施設を持つ国とともに、れっきとした“核保有国”であり、“核兵器保有国”です。ビナードさんは、このことに気付かないほど、日本人は“馬鹿”なのか? とあえて、おっしゃっていました。今回の総選挙、こうしたことをきちんと考えに入れれば、自ずと投票すべき党の名前がはっきりしてくるのではないでしょうか? それにしても聴講者が皆中高年であったのには驚きました。ということで、今回は、自戒の意味も込めて、あえて“政治的”な文章を書いてみましたが、いかがだったでしょうか?

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto