さあ、いよいよ今日からWOWOWでエドワード・ヤン監督の作品が4本放映されます。時間はいずれも午後11時スタート。映画ファンの方は必見です。
また、先日急にエンニオ・モリコーネの音楽が聴きたくなり、アマゾンで「情熱のマカロニ・ウエスタン エンニオ・モリコーネ」というエンニオ・モリコーネのベスト盤のCDを買いましたが、なぜか『夕陽のガンマン』のテーマ曲だけが入っていませんでした。版権の問題なのでしょうか? まあ、それでも『荒野の用心棒』のテーマ曲と、ジョーン・バエズが歌う『死刑台のメロディ』のテーマソングが聞けたので、よしとして、CDはヤフオクで売ることとし、モリコーネの音楽はYouTubeで聞くことにしました。
さて、‘17年に刊行された、KAWADE夢ムック・文藝別冊『生誕120年記念総特集 宇野千代』に掲載された「秘書・藤江淳子が語る『うちの先生』」全7編を転載させていただきます。
『長生きの秘訣』
「うちの先生が亡くなられてからもうすぐで二十一年が経ちます。その間、あまりにいろんなことがありました。いまではその日によって感じ方が違って、もうずいぶん前のことだったようにも思いますし、つい最近のことだったような気もします。
私は最初、たまたまお手伝いで先生のお宅に入ったんです。文学好きというわけでもなかったし、先生のファンというわけでもない。『おはん』を書いた人だというくらいの認識で、なんとなく一緒にいるようになって、三十六年も経ってしまいました。
それだけ居心地が良かったのでしょう。もし九十八歳で亡くなられていなければ、今でも一緒にいたいと思うくらい。そうしたら今年で先生は百二十歳ですね。
うちの先生はとてもざっくばらんで、お手伝いの私にも気を遣わせることのない人でした。お料理もよくご自分でなさって、朝起きて顔を洗ったらもう台所に立って、まな板の上で何かを切るトントンという音を響かせます。洗い物もお好きだからご自分でやりたがって、だから私は『こちらでやりますから』なんてことも言いません。ほんとうに、家族のような関係でした。先生のお料理をいただいて、平気で『これちょっと辛いんじゃないですか』なんて申し上げたりして。
先生のお料理は、ぱっと作ってすぐに出せるお惣菜がほとんど。ただ、内容はささやかでも、彩りにはこだわりがあるんです。テーブルに並ぶお皿はぜんぶ同系色で、そして、それらがぜんぶ違うお皿でないと嫌がるんです。お着物も、同系色で統一するのがお好きでした。
そうした色彩へのこだわりがあるから、先生のお料理は豪華でなくても綺麗に見えます。
『見た目で美味しさを味わわなくてはいけませんよ』と、よく仰っていました。
先生は美食派ではなく粗食派(笑)。だからあんなに長生きできたんだと思います。」
『前向きの達人』
「うちの先生は前向きの達人でした。嫌なことがあっても、楽しい気持ちに転換することにかけてはまさに名人。
『スマイル』という言葉が好きで、苦手な歯医者さんへ行く時にも、ふたりで『スマイル、スマイル』なんて言いながら青山通りを歩いて行きました。すると、いつのまにか歯医者さんが素敵な人に変換されてしまうんです。
病院に着いてからもいろんな医療機器を見て『これはなに?』『あれはなに?』なんて言って、興味を自分で作り出してゆく。すると苦手な場所も、興味のあるものだらけになる。そしてだんだんと、そこに馴染んでゆく。そうすると、次に歯医者さんに行く時にはまるで好きな人に会いに行くように錯覚する。そうした雰囲気を、歯医者さんに限らず、嫌な人や苦手な人に対しても、自分で作り出してしまえるんです。
私は先生から失敗を咎められたことがありません。私がお着物の仕事で失敗した時なんか、おもむろに料理を並べはじめて、『まずは食べて、考えるのは明日にしましょう』って、私は落ち込んでいるから、なかなかそんな気分にはなれないのだけれど、だんだん賑やかな気持ちになっちゃう。
そうしてお食事を美味しくいただいて一晩眠ると、翌日には気分が嘘みたいに変わるんです。どうしてあんなに悩んでいたんだろうって。
先生が起きるのはいつも七時から八時の間でした。私が『おはようございます。ご気分はいかがですか』と挨拶すると、どんな時でも必ず『最高ですよ』と返ってきました。入院している時ですら、『最高ですよ』って。
私は三十六年間一度も、先生の涙を見たことがありません。喜怒哀楽の激しい揺れ、というものは、先生にはありませんでした。
『よよと泣かない』という先生の随筆があります。その通り先生は、相手にすがって何かを求めたり、怒ったり泣いたりすることを一切しませんでした。
それでいて、驚くほどの自然体なんです。」(明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。また、この2人について何らかの情報を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)
また、先日急にエンニオ・モリコーネの音楽が聴きたくなり、アマゾンで「情熱のマカロニ・ウエスタン エンニオ・モリコーネ」というエンニオ・モリコーネのベスト盤のCDを買いましたが、なぜか『夕陽のガンマン』のテーマ曲だけが入っていませんでした。版権の問題なのでしょうか? まあ、それでも『荒野の用心棒』のテーマ曲と、ジョーン・バエズが歌う『死刑台のメロディ』のテーマソングが聞けたので、よしとして、CDはヤフオクで売ることとし、モリコーネの音楽はYouTubeで聞くことにしました。
さて、‘17年に刊行された、KAWADE夢ムック・文藝別冊『生誕120年記念総特集 宇野千代』に掲載された「秘書・藤江淳子が語る『うちの先生』」全7編を転載させていただきます。
『長生きの秘訣』
「うちの先生が亡くなられてからもうすぐで二十一年が経ちます。その間、あまりにいろんなことがありました。いまではその日によって感じ方が違って、もうずいぶん前のことだったようにも思いますし、つい最近のことだったような気もします。
私は最初、たまたまお手伝いで先生のお宅に入ったんです。文学好きというわけでもなかったし、先生のファンというわけでもない。『おはん』を書いた人だというくらいの認識で、なんとなく一緒にいるようになって、三十六年も経ってしまいました。
それだけ居心地が良かったのでしょう。もし九十八歳で亡くなられていなければ、今でも一緒にいたいと思うくらい。そうしたら今年で先生は百二十歳ですね。
うちの先生はとてもざっくばらんで、お手伝いの私にも気を遣わせることのない人でした。お料理もよくご自分でなさって、朝起きて顔を洗ったらもう台所に立って、まな板の上で何かを切るトントンという音を響かせます。洗い物もお好きだからご自分でやりたがって、だから私は『こちらでやりますから』なんてことも言いません。ほんとうに、家族のような関係でした。先生のお料理をいただいて、平気で『これちょっと辛いんじゃないですか』なんて申し上げたりして。
先生のお料理は、ぱっと作ってすぐに出せるお惣菜がほとんど。ただ、内容はささやかでも、彩りにはこだわりがあるんです。テーブルに並ぶお皿はぜんぶ同系色で、そして、それらがぜんぶ違うお皿でないと嫌がるんです。お着物も、同系色で統一するのがお好きでした。
そうした色彩へのこだわりがあるから、先生のお料理は豪華でなくても綺麗に見えます。
『見た目で美味しさを味わわなくてはいけませんよ』と、よく仰っていました。
先生は美食派ではなく粗食派(笑)。だからあんなに長生きできたんだと思います。」
『前向きの達人』
「うちの先生は前向きの達人でした。嫌なことがあっても、楽しい気持ちに転換することにかけてはまさに名人。
『スマイル』という言葉が好きで、苦手な歯医者さんへ行く時にも、ふたりで『スマイル、スマイル』なんて言いながら青山通りを歩いて行きました。すると、いつのまにか歯医者さんが素敵な人に変換されてしまうんです。
病院に着いてからもいろんな医療機器を見て『これはなに?』『あれはなに?』なんて言って、興味を自分で作り出してゆく。すると苦手な場所も、興味のあるものだらけになる。そしてだんだんと、そこに馴染んでゆく。そうすると、次に歯医者さんに行く時にはまるで好きな人に会いに行くように錯覚する。そうした雰囲気を、歯医者さんに限らず、嫌な人や苦手な人に対しても、自分で作り出してしまえるんです。
私は先生から失敗を咎められたことがありません。私がお着物の仕事で失敗した時なんか、おもむろに料理を並べはじめて、『まずは食べて、考えるのは明日にしましょう』って、私は落ち込んでいるから、なかなかそんな気分にはなれないのだけれど、だんだん賑やかな気持ちになっちゃう。
そうしてお食事を美味しくいただいて一晩眠ると、翌日には気分が嘘みたいに変わるんです。どうしてあんなに悩んでいたんだろうって。
先生が起きるのはいつも七時から八時の間でした。私が『おはようございます。ご気分はいかがですか』と挨拶すると、どんな時でも必ず『最高ですよ』と返ってきました。入院している時ですら、『最高ですよ』って。
私は三十六年間一度も、先生の涙を見たことがありません。喜怒哀楽の激しい揺れ、というものは、先生にはありませんでした。
『よよと泣かない』という先生の随筆があります。その通り先生は、相手にすがって何かを求めたり、怒ったり泣いたりすることを一切しませんでした。
それでいて、驚くほどの自然体なんです。」(明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。また、この2人について何らかの情報を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)