舞鶴湾めぐり遊覧船 ツアー報告 NO.3
1時間ほどの、海からの基地めぐりである。
市役所が基地の中にある町だから、よそから来た者は、びっくりすることばかりであるが、毎日ここで生活しておれば、慣れっこになるのだろうか。
定員50人位の遊覧船、すぐに軍艦を作るドッグ、まだ、舳先・船尾・どこになるかわからない大きな鉄の塊がごろごろしている工場の横をとうる。ここは造修所である。
次は教育隊、新兵の教育、幹部教育、などをしているのだろうか、3棟程大きな建物と
オームの00サティアン見たいな建物が見える、建物のよこに馬鹿でかい排気ダクトがある、煙の中から人命救助の訓練をするということになっているが、毒ガス訓錬施設だとも言われている.
重油タンクらしいものが、5~6個並ぶ大波燃料貯蔵所、向かい岸に平燃料貯蔵所、1万5000トン級の軍艦も横付けして給油出来るという.山手には実弾射撃場があるという。
目の前に近代的なつり橋・クレインブリッジ、その下を通過、すぐ右奥に引揚桟橋がみえる。右上の丘の上に記念館がある。
西へ5分ほどのところに浮島丸沈没現場である。対岸の小さな公園に「浮島丸殉難の碑」が見える.思わず手を合わす.浮島丸は、調査のため?分断して引き上げられ、今は海底には何もない。
次に広い平らな場所がある.最近、最新式のヘリコプター基地が完成したのである。近代戦の一方の主役はヘリなのである。舞鶴基地の近代化が済んだといわれるゆえんである。
ここからがクライマックスだった。軍港の真中を行く、デカイ軍艦の真横を、(真下というほうが実感だ。)次々とうりすぎる。艦艇の名前と性能は、あとでふれたい。電波を吸収するためか、船番の白字を除いて すべて濃いねずみ色・プラモデルと同じ色だ。何か恐怖感をあおる色だ。一艘 数千億円 今日は、10艘程見える。
遊覧船を見張っているのか、他の進入者を警戒しているのか知らないが、一人のりボートに赤い「監視船」と言う旗を立て、止まっている。
何時まで このコースを認めているだろうかと 思いながら下船した.
今の間に早くこの遊覧船に乗られることをお薦めする。
東舞鶴軍艦の町、No.4
軍港として造られた町だが、道路の名前が旧日本軍の軍艦の名前がそのまま使われている。他の町では、道路の呼び名に軍艦お名前をつけても、終戦と共に元に戻しているが、東舞鶴は、新しく造った町だから元の名前がない、だから、現在も軍艦の名前のままなのである。このような町は、世界中で珍しいのではないだろうか。
「比叡」「天竜」「武蔵」「高尾」「八雲」「出雲」「高砂」「曙」等など、私など若いものはどれが軍艦の名前か知らないが……調べてみればすぐわかることだが…・・
1時間ほどの、海からの基地めぐりである。
市役所が基地の中にある町だから、よそから来た者は、びっくりすることばかりであるが、毎日ここで生活しておれば、慣れっこになるのだろうか。
定員50人位の遊覧船、すぐに軍艦を作るドッグ、まだ、舳先・船尾・どこになるかわからない大きな鉄の塊がごろごろしている工場の横をとうる。ここは造修所である。
次は教育隊、新兵の教育、幹部教育、などをしているのだろうか、3棟程大きな建物と
オームの00サティアン見たいな建物が見える、建物のよこに馬鹿でかい排気ダクトがある、煙の中から人命救助の訓練をするということになっているが、毒ガス訓錬施設だとも言われている.
重油タンクらしいものが、5~6個並ぶ大波燃料貯蔵所、向かい岸に平燃料貯蔵所、1万5000トン級の軍艦も横付けして給油出来るという.山手には実弾射撃場があるという。
目の前に近代的なつり橋・クレインブリッジ、その下を通過、すぐ右奥に引揚桟橋がみえる。右上の丘の上に記念館がある。
西へ5分ほどのところに浮島丸沈没現場である。対岸の小さな公園に「浮島丸殉難の碑」が見える.思わず手を合わす.浮島丸は、調査のため?分断して引き上げられ、今は海底には何もない。
次に広い平らな場所がある.最近、最新式のヘリコプター基地が完成したのである。近代戦の一方の主役はヘリなのである。舞鶴基地の近代化が済んだといわれるゆえんである。
ここからがクライマックスだった。軍港の真中を行く、デカイ軍艦の真横を、(真下というほうが実感だ。)次々とうりすぎる。艦艇の名前と性能は、あとでふれたい。電波を吸収するためか、船番の白字を除いて すべて濃いねずみ色・プラモデルと同じ色だ。何か恐怖感をあおる色だ。一艘 数千億円 今日は、10艘程見える。
遊覧船を見張っているのか、他の進入者を警戒しているのか知らないが、一人のりボートに赤い「監視船」と言う旗を立て、止まっている。
何時まで このコースを認めているだろうかと 思いながら下船した.
今の間に早くこの遊覧船に乗られることをお薦めする。
東舞鶴軍艦の町、No.4
軍港として造られた町だが、道路の名前が旧日本軍の軍艦の名前がそのまま使われている。他の町では、道路の呼び名に軍艦お名前をつけても、終戦と共に元に戻しているが、東舞鶴は、新しく造った町だから元の名前がない、だから、現在も軍艦の名前のままなのである。このような町は、世界中で珍しいのではないだろうか。
「比叡」「天竜」「武蔵」「高尾」「八雲」「出雲」「高砂」「曙」等など、私など若いものはどれが軍艦の名前か知らないが……調べてみればすぐわかることだが…・・