[インタビュー]ファインテック労働者
「キム・ヨンギュン氏の母のおかげで開かれた」
登録:2019-01-18 08:07 修正:2019-01-18 08:40
煙突上の最低気温は零下21度
1日2時間ずつ運動しながら耐え
パク・ジュンホ事務長の72歳の母は
426日間の座り込みを知らず
ファインテック労働者のホン・ギタク氏(左)、パクジュンホ氏が16日午前、ソウル中浪区の緑色病院でインタビューをしている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社
426日だった。ソウル木洞(モクトン)の熱併合発電所の75メートルの煙突の上で2度年を越したパク・ジュンホ金属労組ファインテック支会事務長の煙突座り込みを、慶尚北道醴泉(イェチョン)に一人で住むパク事務長の72歳の母親は知らなかった。煙突で母親と通話するとき、パク事務長は素知らぬふりで「ソウルで今忙しいから家に帰れない。俺は忙しいんだ、人がいないから」と言った。1年以上息子に顔を見ることができなかった母親は、残念そうに「その闘争はいつも何でそんなに忙しいんだい」と言った。劇的に交渉が妥結し、煙突から降りてきた11日、とうとう息子の厳しい闘いを知った母親は「母さんはそんなことも知らないでぬくい部屋にいて…それでも何とか元気に下りてきたので良かった」と話した。
「空の監獄」と呼ばれる場所で長い闘いを終えたホン・ギタク元支会長とパク事務長を16日、ソウル中浪区(チュンラング)の緑色病院のベッドで会った。彼らは煙突の下でハンストをしながら一緒に戦ったチャ・グァンホ支会長と一緒に並んで6人部屋の病室で治療を受けていた。骨があらわになりそうながりがりの体は、煙突から下りて5日たち少し肉がついたが、まだ痩せていた。しかし、表情からは温もりが感じられた。
表情に温もりを取り戻すまで、彼らは長い間孤独に闘ってきた。最低温度の氷点下21度まで下がった煙突の上の幅80センチの狭い空間で、二人は毎朝と午後に2回、1時間ずつストレッチや垂直飛び、スクワットや腕立て伏せなどをしながら体を管理した。「病気になってはいけないから、そうしなければ耐えられないから」運動をしなければならなかった。寒さを耐えるためには1日2回上がってくる食事も欠かしてはならなかった。体の中で寒さを一番ひどく感じる部分を、二人は口をそろえて「指先とつま先」だと言った。断熱材として使われたビニールの間にエアキャップを入れて保温し、雨が漏れば防水作業もした。
冬には体を洗うのは考えることもできなかった。「2リットルの水が上がってくるんですが、冬には水も凍ってしまったので歯磨きもできるかわからない状況になります。夏にはその水で汗だけ拭く程度にして、(せっけんをつけて)髪を洗って流すんです」。パク事務長のことばだ。
しかし、彼らのこうした生活はそれこそ「空の監獄」の上で起きた他人事であるだけだった。少なくとも「世界最長期の煙突座り込み」という記録が取り上げられるまで、75メートルの煙突の上を見上げた人はごく少数に過ぎなかった。
「人が高空座り込みをするのは、本当に切実で、最後の段階でやるんです。本当は一日や二日でも、何のために闘うのか(世の中が)知らなければならないのに、400日になった、500日になったと、日数ばかり話すだけで、その前に過程がないんです。なぜ切実に闘うのか。そうして人が死んで手遅れになってから騒ぐのです。私たちは日数で闘うために煙突に上ったわけではなかった。労使合意を履行しろと言って上ったんです」ホン前支会長のことばだ。
ファインテック社側が記者会見を行い「労組が入ってくると会社が倒産する」と発言したことも彼らを苦しめた。「どの資本家もそんな記者会見はしません。たとえば『工場を回したが赤字が出てとうてい回せなかった。早く下りて来てほしい』と、こういうことは言えるでしょう。ところが労働組合のせいで工場が倒産するなどというのは、労組を全面否定することです」(ホン)
泰安火力発電所で事故で死亡した故キム・ヨンギュンさんの母キム・ミスクさん(中央)が先月29日午後、ソウル木洞にある熱併合発電所の前で開かれた「煙突座り込み408+413日希望バス」文化祭で発言している=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社
スマートフォンの狭い窓から向き合った世間に挫折した彼らに希望を与えた人は、もう一人の母親だった。「私たちの闘いの突破口は、キム・ヨンギュン同志があのようなこと(泰安火力発電所で事故で死亡)になってから、(キムさんの)お母さんが強く持ち堪え、社会的な共感が形成されて開くことができたと思います。お母さんが「どうして金が優先なのか、人の命が優先じゃないのか。文在寅(ムン・ジェイン)大統領、あなたは何をしたのか」と言って、これが人々の共感を形成したのです。労働者を見る市民の関心が多くなりました。それがなかったら簡単ではなかったはずです。お母さんが来てくださって、話をしながら『本当にありがとう』と伝えました」(ホン)
ファインテック労働者のパク・ジュンホ氏(右側から)、ホン・ギタク氏が16日午前、ソウル中浪区の緑色病院で金属労組双龍車支部長(左から)、ハン・サンギュン前民主労総委員長と話をしている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社
これから彼らにとって重要なことは、日常を生きていくことだ。ホン前支会長はまだ顔も見ていない高校2年生になる長女に「ダウンパーカーを買ってあげたい」と言った。娘が最近母親に「友だちが冬にパーカーを着ている」という言葉を、遠まわしに言ったからだ。父親が買ってくれた8万ウォン(約8千円)のサッカーシューズがもったいなくてなかなか履けない息子ともペナルティーキックを賭けるサッカーをして、もうすぐ中学校に入学する末っ子の娘の顔も早く見たい。「義母が作ってくれた味噌汁が食べたい」とも話した。パク事務長は旧正月に母に会いに行く。彼は煙突の上で普段はあまり食べないトッポッキやピザ、ハンバーガーが特に食べたかったと話した。そうやって日常に適応していき、来月中旬に業務妨害容疑に対する調査を受けるため警察に自ら出頭し、会社と合意した通り7月1日からファインテック工場に戻る。
2人が理想と考えるファインテックの姿はどういうものだろうか。
「500人が働こうが5人が働こうが、私たちが守るべき大切な労働組合が確実に守られ、基本的に守るべきことを守りながら本当に働きやすい労働者の会社ではないでしょうか。労働組合で労働者の人権問題を解決できる条件のある会社とない会社では、天と地の差があります」
イ・ジョンギュ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )