国際シンポジューム「20世紀の和紙 壽岳文章 人と仕事」
2021年(令和3年)10月16日
午前9時半~12時半 オンライン配信
参加しての感想
コロナ禍の下で、オンライン会議やシンポジュームが多くなる中で、本日の 3時間はあっという間に過ぎてしまい、非常に楽しい時を過ごさせていただきました。妻、大橋美津子と一緒に参加しました。
壽岳文章さんは、ご家族ともども非常に偉い方々だと親から聞いていました。しかし私は、どれほど偉い方なのか詳しく知りませんでした。大人になってから、壽岳さんの経歴や生い立ちを知って、学問だけではなく、人間壽岳文章が好きになりました。机上の学問だけでなく、庶民の中に入って生きていくために働くということとの関連で学問があるのだ、ということに心をうたれました。
昔の偉い僧侶は百姓と一緒に暮らし、田んぼに入りコメを作り、灌漑用水路を整備しながら農村の暮らしを高め、農民の信頼を得ながら仏法を説いていった、その心にも似た感情を、講演を聞きながら思い浮かべていました。
壽岳さんの和紙の研究が高松宮家から受けた基金を活用して行われたことや宮内庁の委嘱によって正倉院の紙の調査をされたことは知りませんでした。
明治のはじめに天皇政府内の権力者によって「歴史の書き換え」が行われ、アジアへの侵略と15年戦争によって失われた日本の伝統文化を、手漉紙をとおして光をあて、多くの分野で貴重な日本の文化をよみがえらせるきっかけをつくられたことは、戦後日本のルネサンスの仕掛け人ともいえるひとだったのですね。
またその仕事が、平和な国際交流につながっていったことは、大変素晴らしいことでした。アメリカやヨーロッパからも本日の参加者がおられたそうですが、これからも一層幅広く交流が進められる展望が開かれていることは、うれしい限りです。私は、軍事で安保が保障されるのではなく、誠心な国際交流によってこそ世界平和が築かれるものだと確信しているからです。
リン・シュアーズさんが訪問されたアジアの国々も、今後国際交流の舞台が広がっていくことを確認することが出来ます。
壽岳さんの思いをおおくのアーテイストが引き継いでいただき、その心を花開かせるために一層ご奮闘くださることを期待しています。
壽岳文章さんとの思い出
中島俊郎氏講演の結びの一節に壽岳には「どのように生きるのか」と言う問題がたえず念頭にあった。「文学、美術、工芸すべてがからみあって」壽岳の生活は成り立っていた。そうした生活を推進させたのは「宗教的真理」への探求であった。「私の場合、あらゆる情熱、思慕、研究が孤立しておらず密接につながり全人的に私を推進してくれる」と壽岳は告白しているが、逆に、こうした人格のあり方こそが壽岳の和紙研究を支える力であったのではないか。と述べられています。
今日のテーマだった「人間壽岳文章」にとって、もう一つ大切な分野があったと思っています。
それは、壽岳文章さんが、徹底的な平和主義者であったと言うことです。 彼は、戦争反対と言うだけでなく、戦争へと進む政治や反動的な動きにも、間違った道に進んではならないと主張し、平和勢力を大きくしなければならないと自ら進んで行動し、参加する人々を励まして続けておられたことです。
1985年5月(壽岳さん85歳)、中曽根内閣が、日本はアメリカの不沈空母だと言ったとき「ヤス乃顔ヒトラーのそれに似てきたと思うこと多き 昨日 今日 かな 一九八五年五月 老壽仙 印」と色紙を書いて日本の針路が間違っていると警鐘をならし、平和への運動に参加しておられたのです。
また、昭和62年国鉄分割民営化が強行され、激動する日本・世界を見ながら
「任重く 道険しくとも 共産党 一九八七年秋 壽文章 印」(87歳)と未来を見つめ、日本共産党頑張れと声援を送られたのです。赤旗まつりへの激励として、この輪を大きくしていきたいと「赤旗を讀むも讀まぬもうまのあふ集会の輪をひろげてゆきたし 老壽岳 印」と未来を拓く国民の輪をひろげる必要性を強調されています。
私は、向日市共産党の責任者だったとき、国政選挙の候補者と一緒に市内の著名な方々に挨拶廻りをしましたが、いつも一番目は、寿岳文章さん・しづさん(憲法を守る婦人の会代表幹事)でした。
文章さんは、時間があるときは「上がりなさい」と応接間に通してくださいました。政治の話は勿論のこと、高野山・ダンテ・和紙の話にまで話題がおよび、平和であることが人間を豊かにするのだと熱く語られました。
しづさんとは挨拶する程度でしたが、寿岳章子さんは、京都市内での集会の帰りによく車で自宅までお送りしました。章子さんは「私はあちこち講演に行くけど、住民運動の話や議会の話をするときは、向日市の共産党議員団の活動がよいお手本やね、どこへ行っても鼻高々、三分の一も共産党の議員がいるんですものね。」とおっしゃり、「だから向日市民が生きた先生だと思っている。」とよく言っておられました。
向日市民憲章は、国語学者である章子さんの“作品”でもあるのです。 昭和52年11月3日制定時の編纂委員の一人として尽力いただきました。難しい言葉はなく、大切なことはみんな書いてあります。(以下のとおりです)
向日市民憲章
わたくしたちの向日市は、長いくらしの歴史を持ち、美しい自然にも恵まれた平和なまちです。わたくしたち市民は、相互の理解と連帯のもとに、豊かで明るい生活と向日市のよき発展とを願ってこの市民憲章を定めます。
- 住みよいまちを 力を合わせつくりましょう
- きれいな緑と水と空を守りましょう
- 働くよろこびと 心のふれあいを大切にしましょう
- すぐれた教育と文化を育てましょう
- 明るいくらしと福祉のまちをきづきましょう
章子さんからも「憲法の光の中に生きるよろこび 1987年秋壽岳晶子印」 の色紙をいただきました。
今、旧寿岳邸「向日庵」と壽岳文章さんの研究成果が大変貴重なものなので、ぜひ残さなければならないと地元で運動が起こっています。向日市民の宝として保存し市民の誇りにしたいものです。
壽岳さんは向日市の名誉市民に推薦したい方です。
2021年10月17日 大橋 満 名張にて
壽岳さんからいただいた色紙をコピーしておきます。