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日朝協会京都府連合会創立60周年記念のつどいであいさつ

2015-05-10 | 「私がお話し」します。

 

 

5・9 開会の挨拶  大橋 満

 開会にあたり一言ご挨拶を申し上げます。

本日は、日朝協会京都府連創立60周年のつどいを開きましたところ友好15団体から代表者がご参加いただき本当に

ありがとうございます。会員の皆さんをはじめ、遠くは 福岡、栃木、千葉県、東京 からもご参加いただき重ねて御礼

申し上げます。

 日朝協会京都府連の創立総会は、1955年1月22日、旧労働会館でひらかれました。

60年の歩みの概略はお渡ししている資料の通りですが、 私は、1962年当初に入会して4月5日、比叡山根本中堂での

第7回全国大会に参加したのを思いだします。

 当時は、立命館大学の末川 博さん、同志社大学の和田洋一さん、草野昌彦さんや、谷田シュウ望さん、井口和起さん、

西川さんと言う事務局員のあとに西村喜八郎さんがこられてから、青年学生の皆さんをはじめ、会員が増えて大きく発展しました。

私も青年部長として、阪急電車の定期券を買って川端丸太町にあった古い事務所に通っていました。

 京都府連は激動する東アジア情勢の歴史を前進させる取り組みの一翼をになってよく頑張ってきたと思うのです。

 1955年12月11日、朝鮮民主主義人民共和国で千里馬運動の実施が決議され、あらゆる部署で千里馬のような勢いで

建設にとりくむことが呼びかけられました。

私たちも日朝友好運動の相手国のことだったけれども、チョンリマのスローガンを掲げて、明るく楽しく勇ましく取り組みました。

 1959年12月14日在日朝鮮人の帰国事業が開始され第一便が1000名を乗せて新潟港を出港しましたが、

後になっていろいろな意見を述べる方がいますが、私たちはこの取り組みを通して、1910年韓国「併合」に始まる

日本帝国主義の朝鮮侵略支配と第二次世界大戦の歴史、戦後の朝鮮・韓国人への不法不当な扱いについて勉強し、

日朝友好運動がまともな日本人を育てる運動だということを深く理解しました。

 1965年の日韓条約反対の取り組みは、府連の歴史にのこるもので、会員が増え新しい班が生まれました。

後で他の方からもお話があると思いますので省略しておきます。

1980年韓国の光州事件がらみで、金大中さんを救出しようと四条河原町で署名行動をしましたが、

後に韓国大統領になった金大中さんが、日本と韓国の文化交流をはじめ、韓国の民主化運動を今日のように発展させた基礎を

築かれたことは、私たちの活動が歴史の前進にとっても大いに貢献してきたのだと確信を持つことができました。

 今、日朝協会は、日朝国交正常化の実現を第一の目標にして活動しています。

政府・外務省に直接何度も申し入れをしています。京都府連から全国代表理事を出し、本部の活動にも若干責任を果たしている

ことにも確信をもち、今日まで築いて来た知恵と力を発揮して、当面する諸活動に邁進していこうではありませんか。

 また、本日ご参加の友好団体の皆様とも力を合わせ、北東アジアの平和協力構想実現のために、

さらに安倍内閣が進める「戦争法の制定」を許さず、憲法9条を守り抜くために、共に取り組みを強めていこうではありませんか。

 今後ともよろしくお願い申しあげまして 開会の挨拶といたします。

 

 


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