〈奪われた朝鮮文化財 なぜ日本に35〉恥ずべき文明破壊の蛮行
膨大な楽浪古墳出土品を日本へ持ち去る
平壌は檀君が、古朝鮮王国の首都と定めた歴史的由緒の深い地である。日帝はこの史実をかたくなに抹殺しようとしたが、日帝時代に平壌で新聞記者だった八田巳之助はこれについて興味深い一文を著書の「伝説の平壌」で残している。
大同江の3千の古墳乱掘
八田は「古朝鮮の記録はすべて、平壌が中心となっていて、すなわち朝鮮の発祥は平壌とも言えよう」と述べ「我らが今踏む寸尺の土壌の下には四千年の昔、朝鮮の王者の踏んだ土壌が布かれているのである。」と続けた。また、日本がたんなる神話として黙殺しようとしている「檀君神話」についても「見逃すことの出来ない平壌発祥の記録である」と言った。
しかし日帝の御用学者らは大同江面一帯に密集している古墳群すべてを中国・漢人の埋葬陵と断定し乱掘を始めた。彼らが発掘対象とした大同江南岸の古墳だけでも、その数がいかに多かったかについて針替埋平は、「楽浪古墳の話」で次のように述懐している。
「その数三千以上もあって、これら大部分総督府古蹟調査委員の手で往年調査された」続いて「楽浪古墳群地への入口とも言うべき低地の一面から種々の遺物も出るので、これもまた、古墳の跡であったらしく、実際楽浪古墳と称するものの数は、どれだけあるか不明である」と嘆いた。
古鏡、青銅器、漆器、墓誌など貴重な埋葬品が続々と出土する古墳に対し、日本人学者らは興奮を隠せず、墓あばきに等しい行動に拍車をかけた。ある記録によると約1千400基の古墳の中で、かろうじて発掘を免れた古墳は約140基にすぎないという。他国の文化遺産に対し、これほど侵害した例は他にその類を見ることが出来ない。まさに文明破壊の蛮行である。楽浪古墳の発掘に積極的に参加した関野貞、黒板勝美、今西龍、谷井済一らは、罪の意識もなく出土した考古遺物をもって数多くの論文を発表した。勿論、共通した論調は、すべて中国文化の産物であり、それが朝鮮文化の母体と強調するものだった。
出土された膨大な遺物のほとんどが日本へ持ち去られた。1914年4月に東京帝国大学工科大学建築科(現東大工学部)主催で行われた。「第5回朝鮮芸術展覧会」には、おびただしい楽浪遺物が展示された。発掘者の関野貞が当時、当大学の助教授だった因縁もあって楽浪の陶器、銅鏡、刀剣、碑石などが展示会のメイン展示物として披露された。これらの遺物は展示後、返されることなく、大学の研究資料として保管されることになった。
黒板勝美は東京帝大文学部教授だが、遺物について恥知らずな放言を残している。
「私たちは骨董的な意味で発掘したものでなく研究のために発掘したもので、保存という事は深く考えてはいない」
つまり、自分の学問的欲求さえ満たせれば、他民族の貴重な文化遺産といえども保存の必要がないということだ。しかも黒板は朝鮮に遺物の受け入れ施設が出来れば「いつなんどきでもお返しするつもりである」と今度は居直っている。
遺物の故地である平壌には壮大な歴史博物館があるが、日帝時代に奪われた楽浪遺物の一品たりとも返されたことはない。
熱狂的な楽浪熱、米国にも
日本人各学者の論文には盗掘された痕跡のある古墳が多いことがたびたび言及されている。総督府の発掘によって珍奇な埋葬品が出土したという噂が拡がるにつれ、日本人による盗掘が盛んになり、日本人社会の間で楽浪遺物を所有することが一つのブームになった。盗掘は総督府が手を着ける前にも行われ、日本人学者が民間の所有者に日参して見せてもらうほど、貴重な遺物が個人の私有物になっていた。先に名をあげた八田は著書で「高麗焼の盗掘を教えられた連中が、楽浪古墳に目をつけ、ぼつぼつと盗掘を始め」それがピークに達したのは24年前後と記している。また八田は「この5年間に大盗掘時代が展開されたが、ために平壌府内には、にわかに楽浪熱が伝染病のように蔓延し……平壌府民(日本人)は古鏡の一枚や素焼きの壷の一個くらいは持っていなければ人に馬鹿にされたという嘘のような話もある」(「伝説の平壌」)と日本人の熱狂ぶりを描写した。
平壌滞在の悪質な収集家は当時の平壌・検察庁の検事長関口半、執達史の山田財次郎、高等普通学校長の鳥飼生駒、同じく元校長の白神寿吉、教師の北村忠次らである。この連中は、遺物のすべてを日本へ持ち帰った。
楽浪遺物は日本ばかりではなく、米国へも流出していった。「考古学雑誌」1927年9月号の記事によると、ボストン美術館や米国人楽浪遺物の愛好家が、京城市内の民間所有者から買い取っていったという。
(南永昌 文化財研究者)
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